第21話:大理石と血族
――『無明院・家計簿(兼・苦情メモ)』より抜粋。
朝起きたら、境内に真っ白でピカピカした巨大な石の塊が山のように積まれていた。
しかも天陽教の連中が「聖域の改装用です!」と勝手に運び込んでくるせいで、洗濯物を干す場所すらない。俺はただのボロ寺で静かに暮らしたいだけなのに、なんで頼んでもいない高級建材で庭が埋まっていくんだ……?
(のちの歴史家は、天陽教から捧げられた一万トンの最高級大理石を、神王が「ただの邪魔な漬物石」同然に扱ったこの逸話を『神王の無欲と、聖都の熱狂』として記録している)
「……おい。誰か説明しろ。なんだこの無駄に眩しい白い壁は」
ローレンツ枢機卿がツヤツヤの笑顔で下山してから、わずか数日後の朝。
縁側に出たレオンは、目の前に広がる光景を見てこめかみをヒクヒクと引きつらせた。
かつて素朴な土と雑草が広がっていた無明院の境内が、見渡す限りピカピカに磨き上げられた『純白の最高級大理石』と、山積みにされた『金貨の木箱』によって完全に埋め尽くされていたのである。
「ひゃっほーう! 見てよこの最高純度の魔導大理石! 聖都の大聖堂にしか使われない超高級建材じゃない!」
大理石の山の上で、魔導設計図を広げたクルミが目を血走らせながら狂喜乱舞していた。
「これだけの資材と予算があれば、あんたが言ってたお風呂どころか『全自動迎撃ゴーレム付きの超巨大・神殿大浴場』が作れるわよ! 地下の古代炉から直結で源泉掛け流しよ、感謝しなさい三白眼!」
「頼んでねぇよそんな成金趣味の風呂! 俺はただの五右衛門風呂でいいっつっただろ!」
「ふふっ、さすがはローレンツ枢機卿ですわね! さあレオン様、その神殿大浴場が完成しましたら、まずは私と二人きりで『聖なる混浴の儀』を執り行いましょう♪ お背中、たーっぷり流して差し上げますわ!」
「あ、ああっ、レオン様とマリエット様の混浴イベント……! 私は浴場の天井裏に換気口兼・覗き穴を作って、お二人の尊い湯けむり姿を永久保存版として網膜に焼き付けますね♪」
エプロン姿で胸を押し付けてくるマリエットと、すでにノミと金槌を持って天井裏へ潜り込もうとしている元・暗部筆頭のニコル。
さらにその横では――。
――ドゴォォンッ!! バキバキィッ!!
「むぅ……レオン殿の神々しい肉体美を表現するには、この程度の大理石ではまだ硬さが足りんな! せやぁぁっ!!」
トモエが巨大な大理石の柱を『素手』で豪快に削り飛ばし、身の丈三メートルはある『筋肉隆々のレオン像(なぜか上半身裸)』を彫り上げていた。
「おいやめろ脳筋! なんで俺の顔を勝手に彫刻にしてんだよ、しかも俺そんなボディビルダーみたいな胸筋してねぇだろ!?」
「あら、当主様。トモエ様の彫刻はなかなかの出来栄えかと。それはそうと、天陽教から届いた金貨の検品が終わりました。とりあえず一億ゴールドほどは裏の地下金庫に放り込んでおきましたので、残りは畑の畝の土留めにでも使いましょうか?」
「金貨の箱で畑の土留めを作るな! 泥棒が目の色変えて押し寄せてくるわ!」
シノのズレきった金銭感覚と、ルナの「さすがはレオン様、天陽教を完全に属国として従えてしまわれましたのね!」というキラキラした称賛の声を浴びながら、レオンは深々と頭を抱えて縁側にへたり込んだ。
(……俺の静かで目立たないスローライフは、一体どこへ消えちまったんだ……?)
平和といえば平和だが、あまりにも騒がしすぎる無明院の日常。
だが、そんな呑気な空気を一変させる『北からの冷たい風』が、すぐそこまで忍び寄っていたのであった。
「――ああ、そういえば神王様。天井裏の覗き穴を掘る前に、ひとつご報告がございました♪」
金槌をくるくると指先で回しながら、ニコルがふと思い出したように言った。
いつもの無邪気な笑顔だが、その瞳の奥には元・暗部筆頭としての冷徹な光がわずかに宿っている。
「私どもの天陽教が、この白山を『不可侵の最高聖域』として保護下に置いたことで……少しばかり焦り始めた連中がいるようです。北の国境付近で、不穏な暗殺部隊の動きが活発になっていると、私の放った使い魔から連絡が入りました」
「北の国境、だと……?」
レオンの眉がピクリと動いた。
それ以上に強く反応したのは、隣でお茶を淹れていたルナとシノだった。二人の顔からスッと血の気が引き、穏やかだった空気が一瞬にして氷点下へと凍りつく。
「北の暗殺部隊……まさか、『バシリカ分家』の連中が動き出したというのですか!?」
「ええ、ルナ様のおっしゃる通りです。何でも、天陽教が手を引いた今こそ好機と見て、この白山から『ルナ様の身柄』と『神王の遺骸』を強奪しようと画策しているとか♪」
ニコルの言葉に、シノがギリッと奥歯を噛み締め、持っていた茶托をミシリと軋ませた。
北の暗殺貴族、バシリカ家。
それはルナとシノの故郷であり、同時にレオンが幼い頃から「魔力なしの落ちこぼれ」として蔑まれ、過酷な暗殺訓練の果てに追放同然で捨てられた因縁の『実家』でもあった。
数ヶ月前、野心に燃える冷酷な『分家』の一派がクーデターを起こして本家を乗っ取り、正当な後継者であるルナたちの命を狙ったことで、彼女たちはこの白山へと落ち延びてきたのである。
「……それだけではありませんわ。分家の当主であるゲオルグは、卑劣にも『あの方』を人質に取って、私たちが自ら投降するよう揺さぶりをかけてきているのです……」
ルナが悔しそうに唇を噛み、ギュッとスカートの裾を握りしめた。
「あの方って……おいシノ、まさか『オルハ』のことか!?」
「……はい、当主様。本家が襲撃されたあの日、私とルナ様を逃がすために一人で殿を務め、分家の連中に捕らえられてしまった、私たちの姉とも呼べる筆頭メイド……オルハお姉様です」
レオンの脳裏に、かつてバシリカの屋敷で誰からもゴミのように扱われていた幼い自分に、唯一こっそりと温かい食事を運んでくれ、傷の手当てをしてくれた優しく凛々しい女性――オルハの笑顔が浮かんだ。
「分家の連中から、先日密書が届いたのです。『十日以内にルナと神王の遺骸を差し出さなければ、反逆者としてオルハを公開処刑する』と……。さらには、分家が誇る精鋭の処刑部隊『黒鴉』の刺客まで、すでにこの白山へ向けて放たれたようですわ!」
悔しさと無力感に肩を震わせるルナと、今にも一人で飛び出していきそうなほど凄절な殺気を放つシノ。
マリエットやトモエ、クルミたちも、ただならぬ事情を察して真剣な表情でレオンの横顔を見つめた。
(……オルハが捕まって、処刑されるだと?)
縁側に座っていたレオンの顔から、いつもの呑気なへらへらとした笑みが完全に消え失せていた。
(……くそっ、分家のゲオルグの野郎、相変わらず吐き気がするほど卑怯な手を使いやがる!)
縁側で膝の上に拳を握りしめながら、レオンは内心で激しく舌打ちしていた。
そもそも、分家が要求している『神王の遺骸』などというものは最初からこの世に存在しない。自分がついた苦し紛れのハッタリである。つまり、どれだけ要求に応じようとしても遺骸を渡すことはできず、このまま放置すれば恩人であるオルハが確実に処刑されてしまう。
(俺をゴミ扱いしたバシリカの連中がどうなろうと知ったこっちゃないが……昔、腹を空かせた俺に隠れて握り飯をくれたオルハだけは見殺しにできねぇ。かといって、俺が偽物の神王だってバレたらルナたちも危ない……)
元・暗殺者としての冷静な思考が、瞬時にひとつの結論を導き出した。
(よし。分家の連中と全面戦争になる前に、俺が夜陰に紛れてこっそり屋敷に忍び込み、オルハだけを救い出してトンズラしよう! 隠密行動と夜逃げなら俺の十八番だからな!)
あくまで「目立たず、戦わず、人質だけをこっそり盗み出す」という、極めて堅実な暗殺者らしいプランを固めたレオン。
彼はルナとシノを安心させるため、すっくと立ち上がると、軽く肩を回しながらニヤリと不敵に笑ってみせた。
「――泣きそうな顔すんなよ、ルナ、シノ。オルハには昔、俺も散々世話になったんだ。見捨てるわけがねえだろ」
「レ、レオン様……!」
「まあ、俺にとっても腐れ縁の『身内の不始末』だ。分家の連中には、俺がちょっくら出向いて『お灸』を据えてきてやるよ」
レオンとしては、「こっそり忍び込んで人質を奪い、分家に恥をかかせてやる」程度の軽い意味で言った『お灸』だった。
――だが。
(((お灸を据える……だとぉぉっ!?)))
その場にいたヒロイン全員の背筋に、ゾクッとするような歓喜の戦慄が駆け抜けた。
「あ、ああ……なんという圧倒的な覇気……! 普段はあれほど温厚で平和を愛するレオン様が、ついに本気の『怒り』をお見せになられたわ!」
「当主様の仰る『お灸』……すなわち、バシリカ分家の屋敷ごと焼き払い、一族郎党を地図から完全に消滅させる『神の鉄槌』ですわね!」
「うむ! 大恩ある恩人を救うため、北の大地を焦土に変えるおつもりか! これぞ真の漢、見事な心意気であるぞレオン殿!」
ルナ、シノ、トモエが次々と物騒すぎる深読みを炸裂させ、マリエットとニコルに至ってはうっとりと頬を染めて両手を組んでいた。
「素敵ですわレオン様! 愛する家族のために起こす『聖戦』ですね! 私も太陽神の錫杖をもって、分家の屋敷に極大閃光魔法を撃ち込みますわ♪」
「ふふっ、神王様の初めての遠征イベントですもの、私も張り切って分家の連中を端から端までミンチにして回りますね♪」
「ふん、仕方ないわね。あたしが今すぐ、大理石を削り出して『強襲揚陸用の装甲魔導馬車』を組んであげるわよ!」
「お、おい待てお前ら! 誰もジェノサイドするなんて言ってねぇし、装甲馬車で正面突破する気もねぇ! 俺は一人でこっそり――」
「「「またまたご冗談を、神王様!!」」」
レオンの必死の弁明は、やる気満々で武器の手入れや魔導馬車の設計を始めた美女たちの大合唱によって、完全に掻き消された。
(ち、ちくしょぉぉぉっ! なんでただの人質救出が、国家転覆レベルの全面カチコミ計画にすり替わってんだよぉぉっ!!)
秋の空に向かってレオンが絶叫を上げる、ちょうどその頃――。
白山のふもとに広がる鬱蒼とした針葉樹林の影を、音もなく疾走する二つの『黒い影』が、無明院へと迫っていたのであった。
――『バシリカ分家・当主ゲオルグへの極秘報告書』より抜粋。
白山に潜伏している落ちこぼれのレオンですが、どうやら天陽教の連中に泣きついて命乞いをし、細々と生き延びている模様。
所詮は魔力を持たぬ無能のゴミ。我らが誇る処刑部隊『黒鴉』の精鋭――カガリとニアの二名を差し向ければ、赤子の手を捻るも同然かと存じます。
(のちの歴史家は、この報告書を『人類史上もっとも愚かな死亡フラグ』として歴史の教科書に掲載した。彼らが「無能のゴミ」と呼んだ男のもとには現在、一国を単独で滅ぼせるレベルの特級戦力たちが、主人の「お灸」のために手ぐすね引いて待機していたのである)




