第18話:神王の血と家庭菜園
――『無明院・農作業日誌』より抜粋。
麓の村で買った鶏糞の肥料が、思いのほか効果絶大だった。
一晩でサツマイモが丸々と育った上に、なぜか表面が黄金色にピカピカと光っている。少しばかり派手だが、秋の味覚としては上出来だろう。今日の三時のおやつは、みんなで落ち葉を集めて焼き芋にしようと思う。
(のちの歴史家は、この日誌を読んで激しく頭を抱えた。「神王は己の尊き御血潮による『大地への神聖なる祝福』を、あろうことか『鶏のフン』の功績として処理している……! なんという底知れぬ謙虚さ、そしてなんという神の御業の無駄遣いか!」と)
「ほらそこっ、ちんちくりん! 魔導導管の接続が甘いわよ! そっちの牛どもは、さっさと裏山の岩盤を砕いてきなさい!」
「はっ、ただちに!」
「むぅ、この岩を真っ二つにすればよいのだな! せやぁぁっ!!」
無明院の境内には、朝からクルミの威勢のいい怒号と、トモエが岩を叩き割る轟音が鳴り響いていた。
レオンが注文した「自動の水やり」と「給湯システム」を実現するため、クルミの指揮のもとでボロ寺の魔改造工事が急ピッチで進められていたのである。
「……騒がしくて昼寝もできやしねぇ」
その騒音地獄から逃げるように、レオンは本堂の裏手にある小さな家庭菜園へと避難していた。
ここだけは工事の喧騒から少し離れており、秋の穏やかな日差しが降り注いでいる。畑の隅には、マリエットが「カラス除けの案山子代わりになりますわ♪」と無造作に突き刺していった、天陽教の国宝級聖遺物『太陽神の錫杖』がキラキラと場違いな輝きを放っていた。
「まったく、あんな高そうな杖を畑に刺しっぱなしにして、バチが当たっても知らんぞ。……っと、そろそろサツマイモの周りの雑草を抜いておかないとな」
レオンは麦わら帽子をかぶり直し、草刈り鎌を手に取って畝の間にしゃがみ込んだ。
こうして無心で土をいじっている時だけが、三大勢力から命を狙われているストレスを忘れられる、彼にとって唯一の癒やしの時間だった。
ザクッ、ザクッ、と手慣れた手つきで雑草を刈り取っていくレオン。
だが、その時――。
「痛っ……!」
石ころに鎌の刃が弾かれ、レオンの左手の人差し指を浅くかすめた。
ぷっくりと赤い血の玉が盛り上がり、そのままポタリ、と一滴だけ、サツマイモの根元の黒土へとこぼれ落ちた。
「ちっ、不覚にも指を切っちまった。まあ、舐めときゃ治るか」
レオンは傷口をチュッと舐めると、何事もなかったかのように立ち上がり、麓の村の農具屋で買ってきたばかりの麻袋を抱えた。
「よし、仕上げにこの『特製・熟成鶏糞肥料』をたっぷり撒いておくか。おじさんが『驚くほどデカく育つぞ!』って太鼓判を押してたからな、楽しみだぜ」
レオンは鼻歌交じりに肥料を畑一面にばら撒くと、満足げに頷いて本堂の縁側へと戻っていった。
――彼は、気づいていなかった。
自身の体内に流れる血こそが、かつて世界を救い、三大勢力が血眼になって探し求めている究極の霊薬――『神王の真血(生きた聖遺物)』そのものであるということに。
ドクン……ッ!
レオンが去った直後、一滴の血を吸い込んだ畑の大地が、まるで心臓のように大きく脈打った。
土の奥底から眩いばかりの黄金色の魔力光が噴き出し、畑の隅に刺さっていた『太陽神の錫杖』がそれと共鳴して、ブゥゥンッ! と耳鳴りのするような神聖波動を周囲に撒き散らし始めたのである。
「――きゃああああっ!? レ、レオン様! 大変ですわ、裏の畑がとんでもないことになっておりますの!!」
翌朝。ルナの悲鳴にも似た大声で、レオンは布団から跳ね起きた。
「な、なんだ!? 猪にでも畑を荒らされたか!?」
寝間着の上に羽織を引っ掛け、レオンが慌てて裏庭へ駆け出すと、そこにはルナだけでなく、トモエ、マリエット、シノ、そしてクルミの全員が畑を取り囲み、呆然と立ち尽くしていた。
「おい、朝から何をそんなに騒いで……って、うわっ、眩しっ!?」
レオンは思わず腕で目を覆った。
昨日の夕方まではただの素朴な家庭菜園だった場所が、まるで天界の庭園ででもあるかのように、神々しい『黄金色の後光』を放って輝いていたのである。
土を突き破って地表にせり出していたのは、人間の赤ん坊ほどもある巨大なサツマイモの群れだった。しかもその皮は純金のようにキラキラと輝き、周囲には虹色の光の粒(超高濃度の聖属性魔素)がふわふわと舞っている。
「し、信じられません……!」
マリエットが震える手で、畑の隅にカラス除けとして刺していた『太陽神の錫杖』に触れた。
「大聖堂で百人の神官が三日三晩祈りを捧げてもピクリともしなかった私の聖遺物が、大地から溢れ出る聖なる力と共鳴して、通常の百倍以上の出力で稼働していますわ……! まさかレオン様、一晩でこの荒れ地に『神の祝福』をお授けになったのですか!?」
「ちょっと待ちなさいよ、祝福どころの騒ぎじゃないわよこれ!」
魔導測定器を覗き込んでいたクルミが、数値が振り切れて煙を吹いたメーターを叩きながら、裏返った声で叫んだ。
「この黄金の芋一つから、伝説の『賢者の石』に匹敵する高密度魔力と生命エネルギーが検出されてるんだけど!? これ、一口かじるだけで四肢の欠損はおろか、死の呪いすら一瞬で浄化できる『神話級の霊薬』の塊よ! 一体どんな禁断の錬金術を使ったら、ただの農作物がこんなバケモノに変異するのよぉっ!?」
「さすがは当主様……! 食糧の備蓄と同時に、不死の軍団を作るための霊薬を畑で量産なさるとは!」
「おお……見ているだけで古傷が癒え、全身に力がみなぎってきますぞ! これぞ神王の御業!」
シノとトモエが感動に打ち震え、ルナが「レオン様、やはりあなたは神そのものなのですね……!」と恍惚の表情で拝み始める。
(……いや、なんでただのサツマイモでそこまで大げさな話になるんだよ!?)
レオンは引きつった笑みを浮かべながら、畑の中へと足を踏み入れた。
「レ、レオン様……! 一体どのような秘術を用いて、一晩でこのような天地創造のごとき奇跡を起こされたのですか!?」
瞳を潤ませて問いかけるマリエットや、ゴクリと唾を飲んで身構えるクルミたちを前に、レオンは黄金色に輝く巨大なサツマイモを「よっこいしょ」と土から引っこ抜いた。
そして、土を払いながらケロッとした顔で言い放つ。
「いや、秘術も奇跡も何も……昨日、麓の村で買ってきた『特製の鶏糞肥料』をたっぷり撒いただけだぞ? 農具屋のおじさんが『驚くほどデカく育つ』とは言ってたけど、まさか光り輝くとはな。まあ、最近の肥料はよく効くってことだろ!」
「「「「「に、鶏糞……ッ!?」」」」」
その瞬間、ヒロイン五人の脳裏に、またしても激しい稲妻が駆け抜けた。
(((まさか……ッ!!)))
真っ先に戦慄したのは、魔導技師であるクルミだった。
(これほどの神話級の奇跡を、あえて『ただの鶏のフンの力』だと嘯くことで、私たちに無用な畏怖を抱かせないよう配慮しているのね……!? 己の神性を徹底して隠蔽し、あくまで『普通の農夫』として振る舞うその徹底ぶり……なんて恐ろしい男なの!!)
「な、なんという底知れぬ謙虚さ……! 世界の理を書き換えるほどの御業を、肥料のおかげだと笑って済ませるなんて……!」
「くぅぅっ、やはりレオン様こそ、私が一生涯お仕えすべき真の救世主ですわ!」
「当主様のその奥ゆかしさ、シノは涙が止まりません……!」
勝手に深読みを爆発させたヒロインたちが、再びレオンに向かってキラキラとした尊敬の眼差し(と重い愛)を向け始める。
「……お前ら、なんで鶏のフンの話でそんなに感動してんだよ。まあいいや、せっかくこんなにデカいのが採れたんだ。トモエ、シノ、裏山から落ち葉をかき集めてきてくれ!」
「はっ! 落ち葉ですな! まさか、敵を攪乱するための煙幕の訓練でしょうか!?」
「バカ、決まってるだろ。今日のおやつは、みんなで『焼き芋』にするんだよ!」
「「「や、焼き芋ぉぉっ!?」」」
一国が傾くほどの価値がある『神話級の霊薬』を、ただのおやつとして焚き火に放り込む。そのあまりにも豪快すぎる神王の采配に、クルミは「あ、あんたの金銭感覚と常識はどうなってるのよぉっ!?」と頭を抱えて絶叫した。
それから数時間後――。
無明院の境内では、うず高く積まれた落ち葉の焚き火の中で、黄金のサツマイモがじっくりと焼き上げられていた。
パカッ、とレオンが焼けた芋を二つに割ると、中から黄金色の湯気とともに、蜜がたっぷり染み出したホクホクの果肉が顔を出した。
その瞬間――常軌を逸した『甘く芳醇な香り』と、あらゆる邪気を祓う『超高濃度の神聖波動』が、秋の風に乗って白山のふもとへと一気に広がっていったのである。
――そしてその頃。
白山の険しい獣道を、音もなく駆け上がっていた純白の修道服の暗殺者――ニコル・アークライトは、不意に足を止めて鼻をひくつかせた。
「……んんっ? なんですか、このお腹の底から幸せになるような、甘くて神聖な香りは……?」
ドス黒い殺意をまとっていた最凶の処刑人の顔から、スッと険しさが消える。
ギュルルル……と、朝から何も食べていなかったニコルの可愛らしいお腹が、静かな森に大きく鳴り響いたのであった。
――『黒鉄堂・魔導素材研究ノート(クルミ著)』より抜粋。
本日、三白眼が畑で『黄金の芋』を収穫した。
成分を解析した結果、一口かじるだけであらゆる欠損や呪いを浄化する、神話級の聖属性回復アイテムであることが判明した。国家予算をすべてつぎ込んでも絶対に作れない代物だ。
……だが、あのバカはそれを落ち葉の焚き火に放り込み、バターを乗せて「ホクホクで美味ぇ!」と呑気に平らげていた。私は今日をもって、あの男の常識を測るのを完全にやめた。
(のちの歴史家は、この黄金の焼き芋こそが、天陽教が放った最凶の刺客を無血開城させた『神王の聖餐』であると記録しているが、ただの秋の味覚の食べ過ぎでお腹が膨れていたことは伏せられている)




