第13話:聖女の要塞
――白山の霊峰に座す『無明院』。
かつては打ち捨てられたただの寂れた寺と思われていたその場所は、瞬く間に難攻不落の魔城へと変貌を遂げていた。
踏み入る者を絶望の底に突き落とす、無数の致死の罠。
いかなる刃や魔術をも弾き返す、幾重にも連なる絶対防壁。
我ら天陽の教えに仕える精鋭、特級異端審問官部隊を以てしても、その境内に足を踏み入れることすら叶わず、瞬きする間に泥土へと伏したのである。
ああ、何たる悪夢か。
あの城に座す悪魔を討ち払い、囚われの騎士を救い出せる者など、もはや神の奇跡を体現する『聖女』様を措いて他にはいないだろう――。
(聖都サン・ソレイユ、白山遠征隊・生き残り審問官の絶望の記録より)
聖都サン・ソレイユの最奥、黄金に輝く教祖の執務室。
その日は、朝から絶叫と混乱が渦巻いていた。
「な、なんじゃとォォォォッ!!」
天陽教の頂点に立つ教祖(権力欲の塊で、見た目は恰幅の良い初老の男)が、手紙を読んだ直後に白目を剥いた。
彼の手から滑り落ちた豪奢な黄金の杖が、カランコロンと大理石の床を虚しく転がっていく。
「我が教団の最高戦力であり、盾であるトモエが……白山の悪魔に寝返ったじゃと!? 『温泉の奇跡』だと!? 『真の王に純潔を捧げる』だと!? あああっ、儂の心臓が、胃がぁぁっ!!」
ドサァッ、と。
教祖は口からカニのような泡を吹き、執務机に突っ伏して気絶した。周囲の神官たちが「教祖様ァーッ!」と慌てふためく中、聖堂騎士団の幹部たちは完全に指揮系統を失い、右往左往するばかりであった。
――そんな大パニックの執務室の片隅で。
騒ぎの中心である手紙の『追記』部分をじっと見つめていた聖女マリエットは、ぷるぷると肩を震わせていた。
『追記:マリエット様へ。貴女様が市場で出会ったという殿方には悪いですが、私の見出した真の王(レオン様)の素晴らしさには到底及ばないでしょう。貴女様もいつか、真の愛に目覚めることを祈っております』
「……っ、トモエお姉様の、おバカァーッ!!」
マリエットは、普段の神聖なオーラなど欠片もない、普通の女の子のような声で叫んだ。
「何が『真の愛』ですか! 洗脳魔の悪魔なんかに心酔して、私の彼(市場の串焼きお兄さん)を馬鹿にするなんて許せません! 絶対に、絶対に私の彼の方が優しくて素敵なんですっ!!」
マリエットの頭の中は、「洗脳された姉代わりへの心配」よりも、「恋バナで一方的にマウントを取られた悔しさ」で完全に支配されていた。
「神官長! 今すぐ私に、特級・異端審問官の精鋭部隊を用意しなさい! 私が直々に白山へ向かい、悪魔の洗脳からトモエお姉様を救い出します! そして……っ、ついでに教団の総力を挙げて、市場の彼を見つけ出して、お姉様に見せつけてやるんですから!」
「は、はいぃぃっ! ただちに!」
聖女の(明後日の方向に向かった)熱意と神聖力に気圧され、神官長は泣きながら頷いた。
かくしてマリエットは、天陽教の威信と、自身のちっぽけな対抗心(恋心)を胸に秘め、堂々と白山へ向けて進軍を開始したのである。
一方その頃。白山の中腹に位置するボロ寺『無明院』は、かつてない異常事態(魔改造)の真っ只中にあった。
「ふっ……完璧だ。教団秘伝の『絶対防護・七重光壁』。これさえあれば、天陽教トップであるあの強欲なるバルバロス教祖の差し金であろうと、無明院には指一本触れさせることはできん!」
「流石は元・聖騎士筆頭。見事な結界術です。では、その光壁の死角となる足元には、バシリカ本家特製の『猛毒・鋼糸曼荼羅』を張り巡らせておきましょう。万が一結界を抜けても、一歩踏み出せば細切れの肉片になります」
「見事な連携だ、シノ殿! これで当主様(レオン様)の安寧は守られた!」
無明院の裏庭で、元聖騎士のトモエと筆頭メイドのシノが、恐るべき防衛設備を完成させて固く握手を交わしていた。
金と権力に執着する俗物・バルバロス教祖から刺客が放たれることを想定したトモエの光壁と、シノの致死性トラップ。物理と魔術の最強コンボにより、ただのボロ寺は文字通り『足を踏み入れた瞬間に死ぬ難攻不落の魔城』へとクラスチェンジを果たしていた。
そして、その魔城の縁側にて。
当の本人であるレオンは、干し柿をかじりながら、ガクガクと激しい貧乏ゆすりをしていた。
(えっ、なにこれ。なにあの光る壁。なにあの陽の光に反射してギラギラ光ってる無数の糸……! てか、バルバロスって天陽教の教祖様だよな!? なんで俺、そんな国家レベルのトップからガチの暗殺部隊向けトラップで守られてんの!?)
レオンの額から、滝のような冷や汗が流れ落ちる。
(俺、ただの分家の厄介者なんだけど!? 叔父上(分家当主)の嫌がらせを躱すためだけに山に引き篭もったんだけど!? なんで世界規模の要塞の主みたいになってんだよ!!)
「当主様、いかがなされましたか? そのような激しい足の震え……さては、すでに麓へ接近しつつある『敵』の気配を察知し、武者震いをされておいでなのですね?」
縁側の下から、いつの間にか地面と同化していたオルハがスッと顔を出し、尊敬の眼差しを向けてきた。
「……お、おう! ま、まあな! (ヒィィィッ!! 誰か来るの!? こんな要塞に攻め込んでくるようなヤバい奴らが来ちゃうの!?)」
ハッタリで頷きながらも、レオンの胃袋は恐怖で限界寸前だった。
自分がどれほどの巨大な渦の中心にいるのか、微塵も理解していない『ビビリの神王』は、ただ干し柿を握りしめながら嵐が過ぎ去るのを祈るしかなかったのである。
無明院の麓に、白銀の鎧を纏った一団が到着した。
天陽教・特級異端審問官部隊。教祖バルバロス直属の冷酷なる精鋭たちである。
「マリエット様、ご安心下され。我ら『断罪のザイード』率いる異端審問官の刃にかかれば、白山の悪魔など物の数ではありません! さあ、野郎ども! 聖女様の御前だ、一息にあのボロ寺を制圧――」
意気揚々と剣を抜き、ザイードが一歩踏み出した、その瞬間。
ビキィィィィンッ!!
ドバァァァーーンッ!!
「「「ぎゃあぁぁぁぁっ!?」」」
凄まじい閃光と共に、トモエの『絶対防護・七重光壁』が発動。弾き飛ばされた審問官たちが宙を舞い、着地した瞬間にシノの『猛毒・鋼糸曼荼羅』の衝撃を食らい、次々と白目を剥いて昏倒していく。
「ざ、ザイードさぁぁぁん!?」
わずか三秒。
マリエットの目の前で、教団が誇る特級部隊はギャグのような速度で全滅(気絶)してしまった。
「こ、こんな……お姉様の結界術、聖都にいた頃より遥かに凶悪になってるじゃないですか! でも、私は負けません! 私の愛の力で、絶対にお姉様を洗脳から解き放ってみせますっ!」
部隊の全滅に引くどころか、謎の対抗心で逆に燃え上がったマリエットは、単身で結界へと歩み寄った。
天陽教の最高位たる『聖女』の規格外の神聖力。それが発せられた瞬間、トモエの光壁が「同じ天陽の極大魔力」と誤認して道を明け渡し、シノのトラップ群も神聖なオーラに阻まれて作動しない。
見事、無傷で致死の魔城をすり抜けたマリエットは、ついに無明院の境内へと足を踏み入れた。
「そこまでです、白山の悪魔! 貴方の悪行もここまで――」
ビシッと指を突きつけたマリエットの言葉が、ピタリと止まる。
境内の縁側。そこには、干し柿を握りしめながら、小刻みに貧乏ゆすりをしている一人の青年が座っていた。
「……へ? あっ……市場の、串焼きお兄さん!?」
「ん? ……おおっ、お前! あの時の銀髪の嬢ちゃんか! 迷子になってこんな山奥まで来ちまったのか!?」
恐怖でガクガク震えていたレオンは、知っている顔(しかも一般人の女の子)が現れたことで、ホッと安堵の表情を浮かべて駆け寄ろうとした。
マリエットもまた、初恋の相手との奇跡の再会に頬を染め、歩み寄ろうとする。
――その、最高に和やかでロマンチックな空気を、三つの凶悪な殺気がぶち壊した。
「お待ちください、当主様(レオン様)!!」
バンッ!! と襖を蹴破り、トモエ、シノ、ルナの三人が一斉に飛び出してきた。
「お下がりくださいレオン様! その女は天陽教の最高戦力、聖女マリエットです!」
「当主様のお命、このシノが何に代えても……!」
「私のレオン様に気安く近づく泥棒猫は、今すぐ消し炭にしてあげますわニコッ」
三人の超常的な配下たちが、レオンを庇うようにしてマリエットに立ちはだかった。
その光景を見たマリエットの脳内で、とんでもないエラー音が鳴り響く。
洗脳されたトモエお姉様。
「レオン様」と呼ばれる男。
市場で串焼きを奢ってくれた、素敵な彼。
……それが、全部、同じ男?
「えっ……? えっ……と……?」
マリエットの瞳からハイライトが消え、視線がレオンとトモエの間を激しく往復する。
そして、ついにその処理能力が限界を突破した。
「ええええええええぇぇぇぇぇっ!? 串焼きのお兄さんが、洗脳魔の悪魔だったんですかぁぁぁぁっ!?」
白山の霊峰に、聖女の悲鳴と特大のすれ違いの産声が木霊した。
四つ巴のヒロイン集結による、地獄の同居生活が、今まさに幕を開けたのである。
――〇月×日 聖女マリエットの秘密の祈り帳(日記)より。
神様、天陽の導き手よ。どうか迷える私に教えをお授けください。
市場で私に優しく微笑みかけてくれた素敵な殿方が、教団を脅かす『白山の悪魔』だなんて、そんな残酷な試練がありますか?
いいえ、きっと何かの間違いです! トモエお姉様たちを従える恐るべき悪魔の顔は世を忍ぶ仮の姿で、私にだけ見せてくれたあの素朴な優しさこそが、彼(レオン様)の真の姿に違いありません!
私の愛の力で彼の心に巣食う悪魔の呪縛を浄化し、ついでにお姉様たちも正気に戻してみせますっ!
……とりあえず、明日も彼が焼いてくれる川魚(とても美味しい)をいただいてから、本格的な浄化作戦を練ろうと思います。
(※この日記が発見されたのは数百年後であり、のちの歴史家たちは「聖女はこの時点で完全に胃袋を掴まれており、浄化する気など毛頭なかった」と結論づけている)




