第10話:【間話】オルハの献身
――陽の当たる場所で主君に傅くのは、表の従者たる侍女の役目。
ならば、血と泥に塗れた裏の道を切り拓き、不浄なる刃を秘密裏にへし折るのが、我ら影に生きる者の役目である。
しかし、影とて主君の健やかさを案じる心は同じ。
霊峰の夜風は冷たい。あの御方が身をすり減らし、孤独な玉座(ボロ寺)で天下の采配を振るわれているというのに、我らが温かな寝床で微睡むことなど許されようか。
せめて、この手で狩り取った極上のぬくもり(魔獣の毛皮)と、溢れるほどの滋養(血の滴る生肉)を捧げよう。
ただし、私の纏う不快な死の匂いが、決してあの高潔なる御方の安らぎを煩わせることのないように。
(バシリカ本家・影の将オルハ・スリッターの極秘手記『暗夜の献身』より)
「……チッ。相変わらず、可愛げのないメイドだねぇ」
聖都の裏路地。シノとの熾烈な『お掃除スコアアタック』を引き分けで終え、早々に姿を消したオルハ・スリッターは、誰にも気づかれることなく聖都の外へと抜け出していた。
夕闇が迫る街道の木の上で、彼女は忌々しげに息を吐く。
(当主様の護衛は、あの過保護なメイドに任せておけば問題ないだろうさ。だがね……アタシには、今日どうしても果たさなきゃならない『本命の任務』があるんだよ)
オルハは木の洞に隠しておいた、巨大な風呂敷包みを愛おしそうに引きずり出した。
分家の暗殺者や覇王軍の斥候を秘密裏に始末し、バシリカ本家を影から支え続ける彼女にとって、当主であるレオンは絶対にして至高の存在である。
しかし、そんな無敵の当主様が現在拠点にしている霊峰のボロ寺『無明院』は、控えめに言って隙間風の吹き荒れる劣悪な環境だった。
(すべては敵を欺き、己を『ただの貧乏な世捨て人』と誤認させるための、当主様の深遠なる計略。……それは分かっている。分かっているが、あの隙間風の中で、当主様がお風邪を召してしまわないか、アタシは夜も眠れないんだ……!)
オルハは風呂敷をそっと開き、中身を確認した。
そこに入っているのは、彼女が昨日、霊峰のさらに奥地で命がけで単独討伐してきた『極炎魔獣の毛皮』である。触れるだけでポカポカと温かい、最高級の防寒具だ。
さらにその横には、滋養強壮に最高の効果を発揮する『超新鮮な魔獣のレア肉』が、まだ生々しく赤い血を滴らせた状態で鎮座している。
(ふふっ……これで当主様も、温かい夜を過ごせるはずさ。栄養満点の肉を食えば、さらに神王としての覇気も増すに違いない)
普段の気怠げな三白眼をわずかに伏せ、オルハの頬が乙女のようにほんのりと赤く染まる。
しかし、彼女は自らその品を直接手渡す気は毛頭なかった。
(アタシは裏で血の汚れ仕事を請け負う日陰者。この身に染み付いた強すぎる血の匂いや殺気で、当主様の安らぎを汚すわけにはいかないからね……)
そう。オルハは純粋な献身と、己の立場を弁えた奥ゆかしさから、『極秘の差し入れ』を決行することにしたのだ。
彼女は霊峰へと続く山道の、レオンが必ず通るであろう獣道の中央に先回りした。
そして、血の滴るレア肉と毛皮の包みを、まるで神仏への供物のように恭しく道端に設置する。
(さあ、当主様。アタシからのささやかな忠誠の証、どうかお受け取りください……!)
オルハはすぐ横の深い茂みに身を隠し、息を潜めた。
敬愛する主君が、自分の用意した包みを見て喜ぶ姿を、草葉の陰からこっそりと見守るために。
――しかし。
長年の裏稼業で染み付いた濃密な『血の匂い』。
包みからはみ出た肉からポタポタと滴る『リアルな鮮血』。
そして何より、茂みの隙間から獲物の到来を待つ彼女の『鋭すぎる三白眼の眼力』は。
どこからどう見ても、恋する乙女のプレゼント待ちではなく、「これから標的を爆殺しようと息を潜める、狂気のサイコパス暗殺者」のそれにしか見えなかったのである。
「いやー、今日はマジでいい一日だった! 飯は美味かったし、謎の美少女とも仲良くなれたしな!」
聖都での休日を大満喫し、両手いっぱいの買い出し袋を抱えたレオンが、鼻歌交じりで獣道を登ってくる。
茂みの中に潜むオルハは、主君の機嫌の良さに内心でガッツポーズをキメた。
(素晴らしい笑顔だ……! さあ当主様、アタシのささやかな献身、どうかお納めください!)
オルハの期待を乗せた熱い視線(※第三者から見れば、標的を仕留める寸前の血走った殺人鬼の目)が、レオンへと注がれる。
「るんるんるーん……ん? なんだ、急に血の匂いが……」
獣道を歩いていたレオンが、ふと足を止めた。
彼の視線の先には、道のど真ん中に不自然に置かれた巨大な風呂敷包み。しかもそこからは、生々しい赤黒い血がポタポタと地面に滴り落ちている。
「ヒッ……!?」
レオンの背筋に、尋常ではない悪寒が走った。
恐る恐る周囲を見回した彼の視線が、茂みの奥で爛々と光る『鋭すぎる三白眼』とバッチリ交差する。
(あああっ! 気づいてくださった! さあ当主様、遠慮なくその包みをお開けに……!)
オルハは喜びのあまり、口元をニチャァ……と三日月型に歪めて笑った。
(で、出たァァァァァッ!! あのいっつも俺の命を狙って、事あるごとに血の匂いさせて睨んでくるガチのサイコパス暗殺者だァァッ!!)
レオンの心臓は、恐怖で早鐘のように打ち鳴らされた。
(な、なんであんな茂みから目を血走らせて俺をガン見してんだよ!? 笑ってる! めちゃくちゃヤバい笑顔でこっち見てる! 絶対アレ、俺が包みを開けた瞬間に爆発するか致死毒のガスが出るヤツだろ!!)
レオンの頭脳(生存本能)がフル回転する。
逃げようにも、相手は神出鬼没のエリート暗殺者。背を向ければ即座に背後から首を刎ねられるかもしれない。ならば、あの危険物(血まみれの肉と毛皮)をどうにかして無力化するしかない。
(落ち着け、俺。あそこは確か、三日前にイノシシ除けの『丸太の跳ね上げトラップ』を仕掛けた場所のど真ん中だ……!)
レオンは極限の緊張の中、顔に引き攣った余裕の笑み(※渾身のハッタリ)を浮かべたまま、そっと足元の小石を拾い上げた。
(当主様……? なぜあんな無防備に、小石など拾って……?)
茂みの中でオルハが小首を傾げた、次の瞬間。
「し、死んでたまるかァァァッ!!」
ピシュッ! とレオンが全力で投げた小石が、獣道の脇に張られていたトラップの固定縄にクリーンヒットした。
バァァァァンッ!!!
「「えっ」」
仕掛けが作動し、強烈なしなりで跳ね上がった太い丸太が、道の中央にあった『極秘の差し入れ』をカチアゲた。
最高級の極炎魔獣の毛皮と、超新鮮なレア肉が。
まるで大砲の弾のように、夜空の彼方へと全力でホームランされていく。
「き、キィィィィィン……(キラッ☆)」
夜空の星となって消えていく血まみれの包みを眺めながら、レオンは(よっしゃ! 爆弾処理成功!!)と心の中でガッツポーズをしていた。
一方のオルハは、己の愛と忠誠の結晶が、いとも容易く空の彼方へ弾き飛ばされた光景を前に、ただ呆然と茂みの中で口をパクパクとさせていた。
夜空の星となって消えていく己の『愛と忠誠の結晶(極上毛皮とレア肉)』を眺めながら、オルハは茂みの中で硬直していた。
(あ、アタシの……徹夜で狩った、極炎魔獣の毛皮が……)
呆然とするオルハの脳内で、しかし、すぐさま裏稼業のエージェントとしての恐るべき『超解釈』の歯車が猛回転を始めた。
(……いや、待てよ? 当主様はあの包みに一切触れようとなさらなかった。そして、アタシの完璧な気配遮断をいとも容易く見破り、あんな初見の丸太罠を小石一つで起動して迎撃した……?)
そこまで考え至った瞬間、オルハの全身に雷に打たれたような衝撃が走った。
(そうか……! 当主様は、アタシの生温い『気遣い』などとうの昔に見透かしておられたのだ! あの包みから漂う強烈な『血の匂い』が、霊峰の凶悪な魔獣を引き寄せる原因になるということも!)
オルハはワナワナと肩を震わせた。
自分は良かれと思ってやったが、それは結果的に主君の潜伏地に危険を招く素人以下の行為だったのだ。
当主様はそれを口で咎めるのではなく、あえて「お前の未熟な隠密行動など、私には通用しない」という無言の叱咤によって指導してくださったに違いない。
「なんという……なんという、慈悲深く、そして底知れぬお方なんだ……ッ!」
オルハの狂信的な忠誠心は、ここに来てついに限界を突破した。
感動のあまり、彼女の鋭い三白眼からはボロボロと大粒の涙が溢れ出す。そして、至高の主君に仕える喜びに打ち震えながら、彼女は茂みの奥で最高に恐ろしい恍惚の笑みを浮かべた。
「ふふ……ふふふふっ……ああ、当主様……!!」
――一方。
命からがら爆弾(?)の迎撃に成功し、へたり込みそうになっていたレオンは、茂みの奥から聞こえてきた不気味な笑い声にビクッと肩を跳ねさせた。
(ヒィィッ……!? な、なんだ!?)
恐る恐る茂みの方を窺うと。
そこには、自分の仕掛けた爆弾が空の彼方へ弾き飛ばされたというのに、なぜかボロボロと涙を流しながら「ニチャァ……」と満面の笑み(※ホラー画像)を浮かべるオルハの姿があった。
(ヒィィィィィィッ!! 自分の暗殺計画が失敗したのに、極限の殺し合いのプレッシャーに感動して泣きながら笑ってやがる!! マジモンの戦闘狂だァァァァッ!!!)
レオンの生存本能が「これ以上ここにいたら確実にバラバラにされる」と警鐘をガン鳴らしした。
「う、うわああああああああっ!!」
レオンは両手いっぱいの買い出し袋を抱えたまま、かつてないほどの凄まじい速度(ウサギの逃げ足)で、夜の霊峰へと全力ダッシュで逃亡した。
「あっ、当主様……!」
脱兎の如く走り去るレオンの背中を見送りながら、オルハは胸に手を当て、深く、深く一礼した。
「アタシの未熟な献身を戒める、あのような素晴らしい身のこなし……しかと目に焼き付けました。次こそは必ず、当主様に認められる完璧な『影』となってみせます……!」
夜風が吹き抜ける中、オルハもまた新たな誓いを胸に、静かに闇の中へと消えていった。
――ちなみに。
空の彼方へとホームランされた血の滴る超新鮮な魔獣のレア肉は、遠く離れた隣の山に落下し、冬眠前でお腹を空かせていた野生のツキノワグマの頭上にクリティカルヒット。クマはその日、生涯で一番美味しい極上のディナーを堪能して無事に冬眠についたという。
――〇月×日 霊峰ふもとの獣道にて。
己の浅はかさを恥じるばかりである。
良かれと思い配置した極炎魔獣の生肉。しかし、あの強烈な血の匂いは霊峰の凶暴な獣を引き寄せ、結果として当主様の安寧を脅かす「毒」に他ならなかったのだ。
当主様は私の気配を完全に看破した上で、その愚かな供物を小石一つで天空へと弾き飛ばし、一切の言葉を交わすことなく無言の教えを授けてくださった。
ああ、なんと慈悲深く、底知れぬ御方か。あの時の当主様の淀みない判断と、すべてを見透かしたような涼やかな横顔……思い出すだけで胸が高鳴り、熱い涙が込み上げてくる。
次こそは。次こそは必ず、血の一滴、気配の欠片すら残さず、完璧な形で当主様の玉座に温もりをお届けしてみせる。
(バシリカ本家・影の将オルハ・スリッターの極秘手記『暗夜の献身』血と涙の滲んだ追記より)




