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終末の血族  作者: 天津千里
12章:蒼海への船出
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第93話 蒼海への船出IV

【帝国紀元1800年3月12日 11:00】

【クルキア山脈・クルキア門】


 天幕の中に張り詰めた空気が漂っていた。


「状況は?」


「バフラーム殿からの情報では、敵勢はおよそ五千。武装ゾンビの存在も確認済みです。こちらはフィリオ隊の布陣が完了、レオニダス隊もまもなく完了の見込みです。他は――」


 フィリオが答えかけたところで、天幕の入口からオルフェンの野太い声が飛んだ。


「若熊隊、待機中」


 続いて、羽音とともにバフラームが舞い降りてきた。


「今戻った」


「だそうです」


 フィリオが続けた。ユリアは小さく頷いた。


「後方からもうすぐカト大隊長が部隊を率いて来るわ」


「例の寄騎の方ですか?」


「ええ。今朝私が出るときにちょうど着いたから、そのまま来てもらったわ」


 言いかけたところで、天幕の入口に人影が現れた。背が高く、鍛え上げられた体格の男だった。陽焼けした顔に整った口髭を蓄え、鋭い目が一行を順に見渡す。


「お初にお目にかかる。カト・フロントだ。よろしく頼む」


「着いて早々に移動してもらって悪いわね」


「問題ない。戦いぶりを間近で見たかったところだからな」


「あら、気合を入れないといけないわね」


 そこへ、外から早足で入ってきたレオニダスが口を開いた。


「レオニダス隊、布陣完了しました――カト、来てたのか」


「ああ、久しぶりだな」


 カトが低く笑った。


「お前もやっと大隊長か。まったく、反抗的じゃなければすぐに出世できただろうに」


「それなりにこだわりたかったんだ」


「こだわりか。今は満足なのか?」


 レオニダスは少しの間を置いてから、静かに答えた。


「今は……目指すものが高すぎて、背中も見えん」


 カトの表情がわずかに動いた。


「なんだ、追うことを覚えたのか」


 腕を組みながら、軽く肩をすくめる。


「どうだ、目の前の高い山を追うものの先輩として、一杯おごってやるぞ?」


「お前はまずその酒癖をどうにかしろ。明日訓練に付き合うなら考えてやる」


「おいおい、吐いちまうぞ」


「考えて飲めってことだ」


 二人のやり取りを眺めていたユリアが、ふっと口の端を上げた。


「旧知とは聞いていたけど、いい仲間じゃない」


「腐れ縁ってやつです」


 レオニダスが素っ気なく言う。


「旅団長、接敵まであと半刻ほどです」


「悪い縁じゃないからいいわね」


 ユリアは笑みを収め、天幕の外へ視線を向けた。


「さて、陣地で迎え撃ちましょうか」


「「「ハッ!」」」


 ユリアたちが配置についてほどなく、山道を埋めるゾンビたちの姿が現れ始めた。


 先頭に現れたのは統制のない群れだった。ただ本能のままに前進するだけの無数の死者たちが、山道を埋め尽くすように上ってくる。しかし、その背後には隊形を組んだ武装ゾンビたちが控えていた。


 対するユリアたちは、簡易な陣地を築いて待ち構えていた。柵と木壁で山道を封鎖し、正面ではレオニダスとフィリオの部隊の銃兵が柵の裏で射撃態勢を整え、柵の合間には近接兵たちが固まっている。木壁の上のユリアの周囲では、魔法兵が魔導銃の準備を終えていた。


「敵、一〇〇〇ミルを切った!」


 低空を飛ぶバフラームの報告が響く。


「ここからなら十分ね。魔導部隊、攻撃開始」


 号令が伝わるや否や、木壁の上からいくつもの魔導弾がゾンビへ降り注いだ。狭い山道に密集した死者たちの中に火柱が立ち上る。炎に焼かれながらも、ゾンビたちは徐々に前進してくる。幾度となく降り注ぐ魔導弾に相当数が焼かれてもなお、その歩みは止まらない。


「バフラーム、武装ゾンビの様子は?」


「今のところは前軍の影に隠れているようだ。魔法攻撃もあまり効果的ではないようだな」


 傍らでカトが腕を組んだ。


「密集したゾンビに紛れた上に、更に騎士ゾンビが紛れているのではないか?」


「騎士のシールド魔法で魔法攻撃を軽減しているってこと?」


「ああ。ゾンビに対魔法陣形が組めるかはわからないが……戦時の近接兵の密集陣形なら、ありうることだ」


「なるほど。こういう感じなわけね」


 ユリアは軽く頷いた。


「対処法は近接をぶつけるか、集中射撃ね」


「一般的にはそれが対処法だな」


「集中射撃には周りのゾンビが邪魔ね」


 ユリアがわずかに眉をひそめる。


「……近接戦闘は避けられない、か。盾持ちを前へ。それからオルフェンを呼んできて」


「ハッ」


 伝令が駆け出した。


 その間にもゾンビの接近は続き、銃兵たちの射撃が始まった。山間に轟音が響き、陣地に硝煙が立ち込める。ゾンビたちが倒れていく中、時折その隙間から淡い光が瞬く。


「いるみたいね」


「ああ、シールドの反応光だな」


 カトが静かに言った。しばらくして、オルフェンが指揮所に現れた。


「呼んだか?」


「来たわね」


 ユリアは手短に指示を出した。


「オルフェン、若熊を率いて側面に隠れているフィリオの山岳歩兵に合流して。こちらが合図を送ったら、敵の側面から突撃してちょうだい。合図は山岳歩兵に通信を送るわ」


「突撃、任せろ。腕が鳴る」


「あ、丸太か岩を持って行ってね。騎士を見つけたら投げつけてちょうだい」


 オルフェンが一瞬きょとんとした。


「殴らなくていいのか?」


「近づかなくていいわ。岩が足りなかったら、そこらへんのゾンビでも武器でも、なんでもいいから投げつけて」


「なんでもいいんだな? やってみる」


 オルフェンが機敏な動きで指揮所から去っていく。その背中を見送りながら、カトが眉をひそめた。


「あれが熊獣人か……あの図体で森に入れるのか?」


「問題ないみたいよ。むしろ生き生きしているわ」


「そうなのか」


 カトは少し間を置いてから続けた。


「それで、なんであんな指示を?」


「アスミノールで槍を投げられたのだけど、シールドじゃ防げなかったのよ」


 カトの表情が固まった。


「……なんで無事なんだ?」


「弾いたからよ。投げ返したらちゃんと敵のも割れたから、重い物をぶつけたらいいと思ってね」


「むう……たしかに理屈ではそうだが……どんな力で投げたら、投槍程度でシールドが割れるんだ……」


「まあいいじゃない。岩が落ちてきても割れるでしょう?」


「う、うむ……割れれば銃撃で仕留められる……それはそうなんだが……」


 唸り続けるカトを背に、ユリアの眼前では激しい銃撃と魔導弾の火炎が降り注いでいた。


 戦線正面では、魔法と銃弾の雨によって数を減らしながらも、ゾンビの群れが確実に前進してくる。やがて陣地の正面に到達し、防衛線での近接戦闘が始まった。


 柵の合間から槍や剣を突き出す近接兵たちが、群がってくるゾンビを次々と叩き返す。しかし痛覚を持たない死者たちは柵そのものに取りつき始め、その重みで木組みが軋みだした。群れの後方に控えていた武装ゾンビたちも歩みを早め、いよいよ近接戦闘の激しさが増していく。


「フィリオ隊より通信。配置よし、です!」


 通信兵の緊迫した声が指揮所に響いた。


「待っていたわ。攻撃開始」


「ハッ! 全軍、攻撃開始!」


 ユリアの号令を通信兵が復唱した直後だった。


 右側面の険しい森の中から、突如として無数の閃光が瞬いた。山岳歩兵たちによる、完全な奇襲の一斉射撃である。無警戒だった側腹に鉛玉の豪雨を浴び、陣形を崩したゾンビたちが次々となぎ倒されていく。敵の注意が完全に右側面の森へと向いた、その一瞬の隙だった。


 銃撃のさらに奥、斜面の木々をなぎ倒しながら、地響きを立てて何かが駆け下りてくる。


 巨大な丸太や一抱えもある大岩を軽々と抱えた、オルフェンたち熊獣人の群れだった。彼らはその規格外の重量物を抱えたまま、獣特有の異常な脚力で斜面を駆け下り、ゾンビの背後まで一気に肉薄する。


 武装ゾンビたちがその巨体に気づいて振り向いた瞬間、猛スピードで突進してきた熊獣人たちが、その勢いのまま抱えていた丸太や岩塊を隊列のど真ん中へ放り込んだ。


 ドンッ! パキィィィンッ!


 重低音と同時に、鼓膜を劈くような甲高い破砕音が山間に響き渡る。絶対の防御を誇っていた騎士の魔法シールドが、生きた攻城兵器が叩きつけた物理質量に耐えきれず、まるでガラス細工のように粉々に砕け散り、光の破片となって降り注いだ。


 そこへ、正面と側面から銃弾と魔導弾の集中砲火が叩き込まれる。シールドを失った死者たちは、為す術もなく炎と硝煙の中に沈んでいった。


 それでもなお、何体かの騎士ゾンビが立ち上がろうと蠢く。


 だが、丸太を投げ終えたオルフェンたちは止まらない。足元に転がっていた一般ゾンビの死体や、ひしゃげた鎧、武器の破片を鷲掴みにし、砲弾のごとく無言で次々と投げつけ始めた。


 空から降ってくる「仲間の死体」や「鉄屑」に押し潰され、そこにフィリオ隊からの第二射、第三射が正確に撃ち込まれる。やがて、武装ゾンビの堅牢な隊列は完全に沈黙した。


 シールドという最大の厄介事を失った残存兵力など、もはや恐るるに足りない。背後から迫る若熊隊の圧倒的な暴力と、側面の山岳歩兵の精密射撃、そして正面で待ち構えていたレオニダス隊の一斉攻撃による完璧な包囲網の中で、五千のゾンビはあっという間に削り取られ、ただの動かない肉塊へと変わっていった。


「……私の部隊を使う暇もありませんでしたな」


 眼下で繰り広げられた一方的な蹂躙劇を見届け、カトが呆れたように呟いた。


「予備を使わずに勝てるに越したことないじゃない」


「それはそうなんですが」


 カトが苦笑いとも取れる表情を浮かべた。


「まさか本当に岩と死体を降らせて陣形を叩き割るとは……」


「あなたの部隊には、ここの防衛に加わってもらっていいかしら?」


「ハッ。必ずやお役に立ちましょう」


 カトが姿勢を正して敬礼する。


「無理はしなくていいから。あくまで被害を最小限に抑えるように立ち回ってちょうだい」


「承知しました。しかし旅団長ご自身は?」


「私はこれからクルキアを離れるから、その間はあなたたちに任せたわよ」


「どちらまで行かれるので?」


 カトの問いに、ユリアは振り返り、遠く西の空を見つめた。


「西部貴族の街……ケクロピアよ」


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