第94話 蒼海への船出V
【帝国紀元1800年3月14日 9:00】
【ラティア伯爵領・ラティア城館会議室】
会議が始まる前の時間、ユリアはリディアと連れ立って会議室のバルコニーに出ていた。
沖合に目をやると、無数の軍艦が停泊している。マストが林立し、その間を小舟が行き交う様は、まるで海の上にもう一つの都市が出現したかのようだった。
「すごい軍艦の数ねー」
リディアが欄干に手をかけ、目を丸くした。
「これが全部南方艦隊の軍艦なの?」
「らしいわよ。もっとも、これでも南方艦隊の全てではないらしいけどね」
「そうなの。戦列艦だけで何隻いるのかしら」
「今回は一〇隻ほどです、お嬢様」
背後から声がした。振り返ると、五〇歳ほどの初老の男が歩み寄ってくるところだった。波風に焼けた褐色の顔に立派な髭を蓄え、その体格は鍛え上げられた軍人のものだったが、どこか大らかな空気をまとっていた。
「申し遅れました。南方艦隊総司令を務めております、エルディン・マルヴァスと申します。大将に任じられております」
リディアが姿勢を正した。
「これは失礼致しました。カラディン辺境伯家、リディア・カラディンです」
「ユリア・コニシです」
「お会いできて光栄です」
エルディンは二人と順に握手を交わした。その手は大きく、長年海に出てきた者特有の硬さがあった。
「今回はまだ南方艦隊の一部でしかありませんが、安全な船旅を保証できる陣容ですよ」
「今いる軍艦の数でも十分圧倒されますよ、エルディン大将」
「ハハハ、いつか南方艦隊の全てをお見せしたいですな!」
エルディンが豪快に笑った。その後ろから、静かな声がかかった。
「総司令、そろそろ時間です」
細身ながら隙のない立ち姿の将校だった。華美な装飾を持たない制服を着こなし、目だけが鋭く動いている。
「わかった、行こう」
エルディンが二人に向けて手を向けた。
「今の男がカスパル・ネレウス。今回の艦隊を指揮する男です。さ、待たせてもよくない。行きましょう」
会議室には東部と南部の諸侯たち、そして先ほどの海軍提督たちが揃った。
ガリウスが一同を見渡し、口を開いた。
「揃ったな。状況の確認からしよう」
ガリウスは一歩前に出て、続けた。
「我ら東部と南部が協力体制に入って三か月ほどになる。これ以前から南方艦隊を中心に南部と西部は海上でつながりがあったが、この度、正式に東部、南部、西部で協力体制を築くことになった」
室内が静まり返る中、ガリウスがゆっくりと一同を見渡した。
「……ここからが本題なのだが」
言葉を区切り、ガリウスは重々しく告げた。
「西部貴族の筆頭、セレニウス公爵より、皇孫であられるアウグストゥス・セレニウス様を立皇太子し、帝国復活の象徴としたいと打診があった」
室内にざわめきが広がった。
「よりによってセレニウス家だと? 他に皇族の方はおられないのか?」
「セレニウス公爵か……あの怪人め……」
ユリアは周囲の反応を静かに観察した。セレニウス家の名は知っている。しかし詳細は知らない。それでも貴族たちが揃って渋い顔をしているのを見れば、何か一筋縄ではいかない家なのだろうということは見当がついた。
「他に有力な皇族の方は見つかっていない」
ガリウスが手を上げ、ざわめきを静めた。
「それに西部はセレニウス家、ティラヌス家、ブカレウス家などが健在だ。生半可な対抗馬では難しいだろう」
ガリウスの言葉に、諦観のようなものが室内に漂った。
「……まずは帝国がまとまることが先決だ。立皇太子の儀は滞りなく終えねばならない。このままでは帝国は分裂したまま内憂外患と戦うことになる」
「それは分かっていますが……どうもあのセレニウス家のやり口は気に入らん」
一人の貴族が腕を組んで渋い顔をした。隣の貴族が小声で応じた。
「一旦は引き下がりましょう。今はまだ西部貴族と争う場面ではないようです」
「話を続けよう」
ガリウスが促した。
「立皇太子の儀は四月上旬に行われる予定だ。我々も参加せねばならん。道中の護衛を南方艦隊にお願いしている」
ガリウスに促され、エルディン大将が前へ出た。
「南方艦隊のエルディン大将です。要請に基づき、皆さまをケクロピアまでお送りします。それにあたって、現在のアルカディア海の状況を共有させていただきたく」
エルディンが海図の前に移動した。指先が地図の上を動く。
「現在、我々南方艦隊はアルカディア海東部の帝国領海においては制海権を維持しており、西方艦隊もアルカディア海中部の制海権を維持しています。問題はその北側のソリウム海峡です」
エルディンの声が低くなった。
「皆さまもお聞きになっている帝都ソリウムの消滅と同時に、海軍においても中央艦隊と北方艦隊との通信が途絶えました。今その海峡にいるのはその成れの果て。……幽霊艦隊です」
貴族たちの呻くような声があちこちから上がった。
(海でも陸と同じわけね。しかも海峡にいるということは船を動かしているわけか……)
ユリアは内心でそう整理しながら、エルディンの言葉に耳を傾けた。
「幽霊艦隊は海上交通の問題にならないのですかな?」
ガリウスが眉をひそめて問いかけた。
「南方艦隊と西方艦隊を結ぶ交易路は辛うじて維持されています。しかし、ソリウム海峡から断続的にゾンビが乗った幽霊船が周辺海域に進出してきています。我々は哨戒網を敷いて迎撃していますが……控えめに言って一進一退といったところです」
「商人たちからの報告によると、夜間速度を落としているときに一気に接近されることがある、と」
マルケルスが手元の杯を置いた。
「また、嵐もないのに消息を絶つ商船が一定数いるようです。おそらくは……」
「……我らの不徳の致すところです」
エルディンが引き取るように続けた。
「両艦隊で掃討作戦を決行もしたのですが、幽霊艦隊の本隊とは接敵できず……どうやら本隊は帝都付近を遊弋して、商船などにゾンビを載せて航路など気にせず送り出してきているようです」
「厄介な……」
マルケルスが小さく呟いた。テーブルの端からアウルスが声を上げた。
「幽霊艦隊本隊を発見はできたのですか?」
「掃討作戦のときに一度は」
エルディンが海図の一点に指を当てた。
「偵察に送ったフリゲートが帝都付近で発見したのですが、包囲されかけ撤退。こちらの主力が到着したときには影もなく……」
エルディンの言葉が途切れた。
「こちらに進出してきている幽霊船の航路に法則性は?」
ユリアが口を挟んだ。
「航路自体に法則はないようです。しかし、目的の場所は分かっています。東西を結ぶ主要航路、イアリソス島とイラクリオン島の間の海峡付近です」
「海流の流れではなく、明確に?」
ユリアが確認すると、エルディンは重々しく頷いた。
「はい。どの方向に進んだ幽霊船も、主要航路に出てからはこの海峡へと向かってきます」
ユリアは少しの間、海図に目を落とした。
「……通商破壊というわけですか」
「やはりそう見られますか」
エルディンの目に、どこか安堵に近い色が浮かんだ。薄々感じていたことを、ようやく言葉にしてもらえたような表情だった。
「ええ。南への移動は航路を外して潜伏し、主要航路を移動して遭遇する商船に奇襲をかける……そう整理すると明確な作戦行動のように思えます」
「海上では艦隊行動と言えるほどのものは見られませんが、陸上ではすでに作戦行動を行っているとか?」
エルディンがユリアからガリウスへ視線を向けた。
「アスミノールでは待ち伏せ、迂回、奇襲などを行ってきています」
ガリウスが静かに答えた。
「海上でもいつ艦隊行動をとってきてもおかしくないでしょう」
「忠告、かたじけなく」
エルディンが頭を下げた。それから姿勢を改め、声のトーンを上げた。
「さて、海軍の苦境ばかり話してしまいましたが、それは海全体での話です。我らが帝国海軍は少なくとも正面戦闘においては敵を圧倒しています。今回の帝国西部行きについては皆さまを安全に送り届けると確約しましょう」
「それは頼もしい話ですが、今の話を聞いただけでは不安になるものもいるのでは?」
ガリウスが苦笑した。
「ハハハ、たしかにその通りです。では今回の護衛艦隊司令を務めるカスパル中将から作戦の説明をしてもらいましょう」
カスパルが海図の前に進み出た。バルコニーで見かけたときと変わらぬ静かな佇まいだったが、話し始めると言葉に一切の無駄がなかった。
「護衛艦隊司令、カスパル・ネレウスです。今回の作戦では、中央を戦列艦を中心とした艦隊で進み、その両脇を護衛のフリゲートを中心とした艦隊で固めます。艦隊から離れた位置にはスループなどの小型艦を中心とした哨戒網を形成。敵の早期発見とフリゲートによる迅速な排除を行います」
「戦列艦は皆さまを乗せる都合で戦闘にはやや制限がかかりますが、元々の戦闘力は主力艦の名にふさわしいものを持っています」
エルディンが補足した。
「これらの防衛網を万が一抜けた幽霊船がいても、戦列艦の前にはただの木くずでしかありません」
「ほう。そこまでですか」
ガリウスが目を上げた。
「先日のアスミノールでは二〇〇門の大砲が使用されたと聞いております」
「ああ、その認識で間違いありません」
「その火力も戦列艦二隻分でしかありません。片舷からしか撃てないことを考慮しても四隻分……今回参加する戦列艦は一〇隻ですので、アスミノールの二倍以上の火力が保証されています」
カスパルが淡々と述べると、室内にどよめきが広がった。
「あの火力の二倍以上だと……」
「なるほど、それなら……」
「それは頼もしい話ですな」
「安心していただけたでしょうか?」
カスパルが一同を静かに見渡した。
「皆さまを必ずやケクロピアまでお届けいたします」
「海軍の実力を疑って申し訳ない」
ガリウスが苦笑まじりに頭を下げた。
「お気になさらず」
エルディンが鷹揚に笑った。
「普段海軍の戦いを見ることなどないでしょうから当然のことです」
「皆さまの準備ができ次第、出航することとします」
「ああ、直ちにとりかかろう」
周囲が動き出す中、ユリアは窓の外へ視線を移した。沖合に並ぶ戦列艦の威容が、穏やかな海面の上に黒々とそびえている。幽霊艦隊の話を聞いた後では、その頼もしさが余計に際立って見えた。




