第90話 蒼海への船出I
【帝国紀元1800年2月14日 10:00】
【ガゼリウム郊外・ユリア大隊宿営地】
ユリア大隊の本陣の天幕に、リディアとエステヴァンが訪れた。
「待っていたわ、リディア」
「お疲れ様、ユリア。エステヴァンも連れて来たわよ」
「ありがとう。お久しぶりです、エステヴァン殿」
「またお会いできて嬉しく思います」
エステヴァンが穏やかに一礼してから、瑞希へと視線を向けた。
「ミズキ様もケガをされたとお聞きしましたが……皆様お元気なようで何よりです」
「おかげ様で」
ルシアが静かに答える。
「えへへ、もう治っちゃいました」
「お早いご回復でなによりです」
エステヴァンが微笑んだ。
「それで、貴族家の組織のことよね?」
リディアが本題を切り出した。
「ええ。何分この世界のことは分からないから、知恵を借りようと思って」
「任せて。と言っても正直、多少のわがままでも通るものよ。帝国貴族は民の模範となって国に尽くすことができるのならば、害がない限り黙認されることが多いわ」
「民の模範ね……随分曖昧ね」
「普段通りの行動をしていれば問題ないわよ」
「国に尽くすという点も考えねばなりません」
エステヴァンが静かに続けた。
「そのためには軍組織よりも強固な貴族家と家臣団の結成が不可欠です」
「貴族家というと、当主とその家族になるのかしら?」
「それに加え一門衆として分家も含めることも多いですね。ただ、高位になるほど、分家も爵位を持つことが多いため、その場合はまた別の貴族家として扱われますな」
「なるほど……ということはリディアもそのうち分家を立てることになるのかしら?」
「そうですね、婿を迎えていただければそうなるでしょうけど……」
エステヴァンが言いかけると、リディアが遮るように話を向けた。
「……まずはユリアの一門ね。ルシアさんは血縁だから当然として、ミズキさんを呼んだということはミズキさんも?」
「はあ……リディア様……」
エステヴァンが小さく息をついてから続ける。
「そうですね、ミズキ様も一門としたほうが安全でしょう。勇者の一門となれば貴族といえども下手な手出しはできなくなるでしょう」
「え? 私?」
瑞希が自分を指差した。
「そうよ、瑞希さん。一緒にこの世界に来た者同士の仲間というわけね」
ルシアが穏やかに言う。
「はぁ……私が貴族……イマイチ実感が湧かないですね……」
「今と大して変わらないわよ。瑞希も入れて問題ないのね?」
「ええ。遠縁ということにしてしまえばいいだけの話よ。傭兵上がりが腹心を一門にしたりするなんてよくある話だから問題ないわ」
「むしろ帝国の貴族がこんなに緩いのに驚いたわ……」
「実力のない者は骸を晒すだけですからな」
エステヴァンが静かに言い切った。
「ああ、そういう理由で緩いのね……」
「わ、私、ただの高校生なんですけど……」
瑞希が困惑した顔で呟く。
「誰も一撃で鎧を破壊するような者に手を出しませんから大丈夫ですよ……」
「そうね……」
リディアが苦笑する。
「そ、それはそれでちょっと複雑なような……」
「一門はこれでいいとして、家臣団というのは?」
ユリアが話を進めた。
「伯爵になれば子爵と男爵、騎士の任命権があるわ。これらが直臣。子爵と男爵には騎士の任命権があって、これらはユリアの陪臣という形になるわ。これらを全部合わせてユリアの家臣団ね」
「私にも騎士がつくんですか?」
「ええ。ちゃんと選ばないとダメよ。ユリアの家臣団になるんだからね」
ルシアが釘を刺すように言う。
「ちょっと自信がないです……」
「無理に選ぶ必要はないわ。それに、正式に叙爵されるまではこれらの権利も発生しないから、あくまで予定という形になるわ」
「それはそうね。フィリオやカリスはどうなるのかしら? 二人とも貴族だけど。あ、クラリッサもね」
「フィリオ殿はアルデリス家の所属。カリス殿はレーンフォード子爵家の当主。クラリッサ殿はラティア家のご令嬢」
エステヴァンが指を折りながら答えた。
「お三方は主家が許せば寄騎……要は仮初の家臣ですね」
「ふーん、派遣社員ってことね」
「はあ、なるほど?」
瑞希が首を傾げる。
「しかし、ラティア家はクラリッサ殿を出してきたわけですか……」
エステヴァンが感慨深そうに呟いた。
「思い切ったことをしたわね……」
リディアが何か言いかけたが、言葉を選ぶように少し間を置いた。
「じゃあ、その三人以外で選ぶ必要があるわけね?……でも大半はカラディン家の兵なのだけど」
「承知しております。ですので、私とリディア様がこの場で許可を出せば移籍もできるという次第でして。もちろん本人の同意も必要ですが」
「なるほどね。話が早いのは助かるわね」
(まあここで足踏みして私の配下に別の家が入り込むのも面白くないのでしょうね)
「カラディン家の兵というと、レオニダスさん、セリーヌかしら?」
ルシアが手元の書き付けに目を落としながら言った。
「そうね。あとは、ベルンハルト、リオフェル、アウレリア。傭兵でバフラーム、オルフェンね」
「レオニダスとセリーヌね。二人とも許可するわ。エステヴァン、記録しておいて」
「はい」
エステヴァンがペンを走らせながら、ふと顔を上げた。
「しかし、あのレオニダスがよく落ち着いたものですな」
「ほんとね」
リディアが小さく笑った。
「ベルンハルト、アウレリアは問題ないでしょう。リオフェルはエルフのようですが……流れ者のようですから特に問題視されないでしょう」
「こちらも同じく、長期の雇用契約から信頼関係があるということで通るはずよ」
「バフラームとオルフェンは?」
「お二人は鳥人と熊獣人でしたな……制度上は問題ないはずですが、さすがにいきなり獣人を家臣というのはいささか……」
エステヴァンが言葉を濁した。
「抵抗がある?」
「……その通りです。特に西部貴族というのは気位が高いので……」
「思わぬ妨害を受けかねないわ。その二人なら、領内の少数民族の徴兵という形がいいかもしれないわ」
「少数民族?」
「領内に居住地を認めて、その代わりに領主に忠誠を誓わせるの。その代表者なら市長と同等だから実質下級貴族みたいなものよ」
「リディア様、その方法はあまり……」
エステヴァンが渋い顔をした。
「今は無人なのだからいいじゃない」
「なるほど、普通は既得権益層が問題になるから使えないけど……というわけね。いいじゃない」
「ユリア、本人たちの意向も聞かないと」
ルシアが静かにたしなめた。
「ああ、そうだったわね。そこは確認するとして……こんな形でいいかしら?」
「ええ。あとは階級をどうするか、くらいですね。これは軍の編制も関わってきますので、合わせて決められるのがよろしいかと」
「旅団長よね……もう私も並ばれてしまったわね」
リディアが苦笑した。
「二重の旅団長ですよ、リディア様。実質師団長です」
「そうだったわね……レンクス大将もクレメンス大将もよくもまあこんな裏技を思いつくものね」
「やはり特例なのね」
「そもそも貴族家はどこかの方面軍に組み込まれるのが一般的です。今回のような両属というのは聞いたことがありません」
エステヴァンが首を振った。
「それだけ特殊な事例なのでしょうけど……これは師団を編制したらいいのかしら?」
「でしょう。皆様方からの紹介状もありますし……」
「そうだったわね」
「紹介状?」
「急に配下に大隊長を揃えろと言っても難しいでしょう? 父やラティア伯、正規軍から大隊長候補の紹介状を預かっているわ」
「それはどういう扱いなの?」
「名目は前線防衛を手伝うための寄騎。あわよくば新興の貴族家の重臣に自分たちの息がかかった者を……といったところかしら」
「リディア様、もう少しこう言葉を選んでいただけると……」
「大きく外れてはいないでしょう」
エステヴァンが苦笑する。
「それはそうですが……」
「それならそれで有能な人が送られてくるのでしょう? 悪い話じゃないわ。見せてくれる?」
「こちらになります」
エステヴァンが書類を差し出した。
「この中から選べばいいわけね。何人くらい選べばいいのかしら?」
「そうね……最終的には師団規模にしないといけないけど、最初は旅団規模程度でいいと思うわ。本格的に復興が進んでからじゃないと部隊を維持するのも大変よ」
「それはそうね。今の中隊長を昇進させるとして……姉さん、フィリオ、カリス、レオニダスの四人が大隊長かしら?」
「なら二人か三人くらいは受け入れたほうがいいわね。領地の防衛のことも考えると実戦部隊だけで七大隊くらいは欲しいわ」
「二人か三人ね……」
ユリアが書類に目を走らせる。
「最初は貴族家からのほうがいいかもしれません」
エステヴァンが助言した。
「ユリア様の状況を考えると、正規軍の候補の方は兵站への負担が重い部隊が多いので……正規軍には伝手で物資を融通してもらったほうが双方に良い結果になるかと」
「そういった意味では、うちからのカト・フロントはおすすめよ。レオニダスとも面識があるし、実力は保証するわ」
リディアが身を乗り出した。
「あら、売り込み上手ね。でもそうね、じゃあこのカトとラティア家からのラシドを寄騎にお願いしようかしら。正規軍には工兵と物資をお願いしましょう」
「承知しました。早速手配しましょう」
エステヴァンが手元の書類に書き込み始めた。
「あとは階級ね。子爵二人、男爵二人、他は騎士……くらいの振り分けでいいと思うわ」
「姉さんとレオニダスが大隊長ということで子爵ね。一門の瑞希と、直属の魔導部隊長のセリーヌが男爵かしら。ベルンハルト、アウレリア、リオフェルが騎士階級で内政官。バフラーム、オルフェンが族長扱いで実質騎士階級?」
「ええ、素晴らしいわ」
リディアが頷いた。
「だいぶ形になってきましたな」
エステヴァンが満足そうに言った。
「これに、寄騎の方々が軍務内政問わず手腕を発揮してくれるでしょうから、復興任務には十二分な陣容だと思います」
「よかったわ」
天幕の外では兵たちの声が遠くに聞こえている。ユリアはふと視線を落とした。
(貴族……ね。上流階級ならばもう情報のアクセスはほぼ全て解禁されるはず。すでにしがらみはここまで来てしまった……なぜ何も情報がないの……? 先代勇者はやはり……)
答えの出ない問いだけが、静かに残った。
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