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終末の血族  作者: 天津千里
15章:遥かなる帝都
114/115

第114話 遥かなる帝都IV

【帝国紀元1800年7月6日 9:00】

【コモティニア平原】


 平原の南側を埋め尽くすゾンビの黒い波が、昇りはじめた朝日に照らされて蠢いていた。その一面の黒は、地平の際まで途切れることなく続いている。数の見当もつかぬほどの群れが、ただそこに在った。


 対する帝国軍は、平原の北側に大きく翼を広げるように展開していた。緩やかな弧を描く鶴翼の陣。全幅にしておよそ十ケイミル、その両翼を前へ張り出させ、押し寄せる黒波を抱き止めるように構えている。両軍はなお距離を取り、にらみ合いを続けていた。


 ユリア率いる旅団は、その弧の西端、右軍の最右翼を守っていた。背後には山地が迫り、丘の中腹に布いた陣からは、敵の群れも、味方の戦線も、見晴らしよく一望できた。


 その陣の前に、馬を寄せてリディアが来ていた。


「連絡線はここの道でいいかしら?」


「ええ。こっちは補給線でいい?」


「問題ないわ。この道はちょうどうちの補給拠点の裏手に出るわ」


 二人が地図の上で指を走らせ、最後の打ち合わせを交わしていると、後方からセリーヌが声をかけてきた。


「ユリア隊長。私、こんなに後ろでいいんですか?」


 不安げに振り返るセリーヌに、ユリアは軽く頷いてみせる。


「問題ないわ。後方の山地に敵が来ていないか警戒しておいて」


「分かりました」


 セリーヌが本陣の裏手、自分の持ち場へと戻っていく。その背を目で追って、リディアが小さく首を傾げた。


「あれはセリーヌよね? 前使ってたっていう魔力感知?」


「そうよ。まだ試作品みたいだけど、主にセリーヌの担当ね」


「他の人は使えないの?」


「まだまだ難しいみたいね。複数属性がなんとか……」


「それは……え? セリーヌが使えるの?」


 リディアが目を丸くする。ユリアはそれに答えかけて、ふと敵の方へ視線を向けた。


「みたいよ? ……あ、敵が動き出したわね」


 黒い波が、ゆっくりと前へ傾きはじめていた。リディアも気配を察して、手綱を引き寄せる。


「あら、戻らないと。じゃあ先ほどの手筈通りに」


「ええ。連絡は密にしておきましょう」


 リディアは馬上で軽く姿勢を正すと、別れ際に告げた。


「あなたにポレモスのご加護がありますように」


 ユリアは口の端をわずかに上げて、応じた。


「銀の女神が祝福を授けるわ」


「あら、やっとその異名を受け入れてくれるの?」


「うふふ、どんなものでも使いようよ」


「そうね、ありがとう」


 リディアは笑みを残すと、手綱を返して自陣へと駆け戻っていった。


 その馬影が遠ざかるのと入れ替わるように、ゾンビの群れが平原をじりじりと近づいてくる。黒の波頭はまだ遠く、その中に騎士ゾンビの姿は見えない。


 ユリアは旅団を布き終えていた。直轄部隊を含む三個歩兵大隊と一個騎兵大隊を予備に残し、五個歩兵大隊で防衛線を構築する。山裾に沿って設営された野戦陣地が、内側の小高い丘を囲うように築かれ、その丘の上には砲兵陣地が据えられていた。


 やがて、ユリアたちの背後――砲兵陣地から、砲撃が開始された。腹に響く砲声が連なって丘を揺らし、白い煙が立ちのぼる。少し遅れて、遠目に各戦線でも砲撃が始まるのが見えた。平原の各所で煙が噴き上がり、砲声が重なり合って一つの轟きになっていく。


 いくつもの砲弾が黒波に突き刺さる。だが、その数を前にしては、焼石に水としか見えなかった。撃ち倒された同胞に目もくれず、ゾンビたちはただ前へ前へと近寄ってくる。


 そこへ、魔法攻撃が降り注いだ。戦場全体が赤く染まり、あちこちに火柱が立ち上がる。


「始まったわね」


 ユリアの呟きに、傍らのルシアが頷いた。


「ええ。これだけの兵はなかなか見ないわね。結局どれくらいまで増えたの?」


「さっきの情報では四十万だそうよ。もっともここまでの数だと誤差がどれくらいかもわからないわ」


「四十万って大きな街くらいじゃないですか……そんなにいるんですか……」


 追いついてきた瑞希が、平原を埋める黒を見渡して声を細らせる。ルシアが励ますように言った。


「味方も十七万人いるわよ。心強いじゃない」


「この数を前にするとそう言われても……」


「そこまで悲観する差じゃないってことよ」


 ユリアは戦場から目を離さぬまま、続けた。


「それに、ドンと構えていれば意外と味方はついてきてくれるわ。安心していなさい」


「どうやったらそう思えるんですか……」


「場数よ場数。お姉さんに任せなさい」


「あの、私、ユリアさんより年上なんですけど……」


「私が頼れるくらいドンと構えてくれるお姉さんになってもらわないとね」


「理想が高すぎる……!」


 そんな軽口を交わす間にも、ゾンビは間合いを詰めてくる。


 やがて、野戦陣地の各大隊から銃撃が始まった。最初の斉射が轟き、丘陵全体が白煙に包まれる。そこから各大隊が思い思いの間合いで斉射を重ねていく。砲撃と魔法を掻い潜ってきたいくつもの群れが、銃弾の壁に丸ごと薙ぎ倒された。


 それでも残り、徐々に近づいてくるゾンビには近接兵が応じる。陣地の縁で受け止め、決して取りつかせない。前線では白兵戦が始まり、後方には絶えず火柱が立ち上っていた。


 ユリアは戦線の各所へ目を配りながら、矢継ぎ早に指示を飛ばす。


「旅団左軍押されているわね。第九歩兵大隊、旅団左軍後方から支援射撃」


 戦況は刻一刻と動く。ユリアは間を置かず続けた。


「旅団右軍は前に出すぎないように。後衛を旅団中軍の支援射撃に回して」


「ハッ」


 伝令が駆けていく。そのとき、後方からセリーヌの声が飛んだ。


「ユリア隊長! 山間部に反応が!」


「数と強さは?」


「数多数で計測不可、反応はやや強め、です!」


「武装ゾンビかしらね。レオニダス、近接大隊を出して。深追い無用」


「承知!」


 近接歩兵を率いるレオニダスが、即座に部隊を割いて山間部へ向かわせる。ユリアはセリーヌに向き直った。


「セリーヌは後続に注意。ただし少し間隔を開けていいわ。迎撃部隊が回ったからね」


「は、はい!」


 前線では、帝国軍が優位に戦いを進めていた。だがゾンビ側も数を頼りに突撃を繰り返し、一進一退の攻防が続いている。何度も押し寄せる黒の波を、旅団は叩き返し続けた。


 その均衡に、亀裂が走る。旅団左軍から、伝令が血相を変えて駆け込んできた。


「第七歩兵大隊正面に騎士ゾンビが現れました! 至急増援を!」


「すぐに出す! 瑞希! 護衛を連れてきなさい」


「はい! あ、ちょ、ユリアさん、待って!」


 言うが早いか、ユリアは駆け出していた。瑞希が慌ててその後を追う。


 第七歩兵大隊の正面は、すでに崩れかけていた。前衛は食い破られ、中衛にまで踏み込んだ騎士ゾンビが、槍を振り回して暴れている。鎧をまとったその一体の前に、銃兵たちは隊列を保てずにいた。


 その渦中へ、ユリアが飛び込む。


 大きく振りかぶった横薙ぎが、騎士ゾンビの槍を捉えた。受け止めた相手が大きく体勢を崩す。すかさず、群がる武装ゾンビが次々とユリアに飛びかかった。だが、その悉くが、返す刃に一瞬で切り捨てられる。


 体勢を直した騎士ゾンビが、槍を構えて突き掛かってきた。ユリアは身を横にひねってかわすと、剣で柄を強く打ち据え、その軌道を地面へとずらす。そのまま柄に右足を乗せ、剣を横に薙いだ。


 騎士ゾンビは槍から手を離し、後ろへ下がって腰の剣を抜く。


 ユリアと騎士の間に、武装ゾンビが割り込んできた。だが、そこへ瑞希の矢が突き刺さる。続いて護衛たちが武装ゾンビへと斬りかかり、ユリアの前を切り開いた。


 始まった乱戦の合間を抜け、ユリアは騎士ゾンビに正対する。


 斬りかかってくる剣に、逆袈裟で応じた。相手の剣を弾くと同時に、刃を振り下ろして兜をへこませる。ふらついた騎士ゾンビの脚を斬り払い、崩れ落ちて地面に膝をついたところへ、首を袈裟に斬り捨てた。


 騎士が斃れた一瞬、周囲の武装ゾンビの動きが止まる。その隙を、瑞希たちがあっという間に突いて、残らず倒した。


「被害は?」


「ありません」


「よろしい。戻るわよ。第一大隊から一個中隊を派遣するからそれで立て直させましょう」


「はい、すぐ伝令を出します」


 ユリアは剣を納めながら、戦場を見渡した。


 倒しても、倒しても、ゾンビの群れは途切れる様子がなかった。


 本陣に戻ると、ルシアが出迎えた。


「おかえり、ユリア。問題はなかったみたいね」


「ただいま、姉さん。対処はできたけど少なくない被害は出るわね」


「これを砲撃で防ごうとしているのよね……?」


「そうね。砲撃命令は間に合うのかしらね?」


「厳しい戦いになりそうね」


「とは言っても、アスミノールのアレよりは弱いわ。これならいずれ駆逐されるでしょう」


 ユリアがそう応じたとき、セリーヌが緊張した面持ちで駆け寄ってきた。


「ユリア隊長! あの、魔力感知なのですが」


「どうかした?」


「背後の山地はほぼ駆逐されつつあるのですが、その――敵軍の中央に、巨大な輝点が……」


「中央……?」


 ユリアは、ゾンビの群れの中央へと目をやった。


 その、ときだった。群れの中央から、ゾンビたちのうめき声を上書きするかのように、角笛の音が響き渡った。地の底から這い上がるような、低く長い音。その響きの中、中央に――巨大な日輪の旗が掲げられた。


「旗……?」


 その隣で、セリーヌが息を呑んだ。


「えっ……」


 味方の喚声が、止んだ。


 戦場に、一瞬の静寂が流れる。


「味方の声が……?」


 ルシアが戸惑ったように呟く。やがて再び動き出した戦場で、味方の動きは明らかに精彩を欠いていた。さきほどまでの整然とした斉射の刻みが、どこか乱れている。


 そこへ、ラシドが駆け込んできた。予備に置いていた歩兵を率いる将である。


「ユリア殿、あれはまずい、皇帝旗だ!」


「皇帝旗ですって……!?」


「ああ、兵が動揺している。後方の俺の部隊でもこれだ! 前線は……」


「そういうことね……姉さん、また出るからここの指揮を! 士気を立て直すわよ!」


「わ、わかったわ!」


(このタイミングで皇帝旗とは……!)


 ユリアの視線の先――皇太子の旗の下へ、周囲とは明らかに雰囲気の違う一団が、迷いなく向かっていく。整然と、そして圧するように。


(まさか……!)

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