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終末の血族  作者: 天津千里
15章:遥かなる帝都
115/115

第115話 遥かなる帝都V

【帝国紀元1800年7月6日 13:30】

【コモティニア平原】


「ここで皇帝旗だと……馬鹿な……」


 本陣に届いたその報せに、ヴァレン・モラードは思わず呻いた。卓上に広げた戦線図を睨んだまま、握った拳が震える。遠く、地を這うような角笛の余韻が、まだ耳の奥に残っていた。


「……敵は、陛下だと言うのか……?」


 アウグストゥスの声が、わずかに揺れている。それを、セレニウス公爵が一歩踏み出して遮った。


「……アウグストゥス、いや、殿下、気をたしかに。殿下が唯一の皇族です。あれは逆賊が勝手に掲げているだけです」


 ヴァレンは図から顔を上げ、片膝をついて声を張った。天幕の外では、すでに兵のざわめきが広がりはじめている。


「殿下! 不遜なる輩の討伐のご下知を! ……殿下!」


 二度目の呼びかけで、アウグストゥスの目に光が戻った。


「あ、ああ。皇帝を騙る不届き者を許すな! 必ずや首を獲れ!」


「殿下の御前に不届き者の首を捧げよ!」


「応!」


 居並ぶ貴族たちが、動揺を振り払うように声を揃える。慌ただしい足音と怒号が交差し、本陣は再び戦の熱を取り戻していった。ヴァレンは立ち上がりながら、内心で息を整える。


(まさか、あんなものを持ち出してくるとはな……早く兵を落ち着かせねば……)


「殿下、どうか兵たちの前にお姿を……。兵も動揺しております」


「ああ、行こう。セレニウス公、指揮を一時任せるぞ」


「ハッ、お任せを。近衛、御身を守り抜け」


「ハッ」


 近衛の一団が、鎧を鳴らして皇太子を囲もうとした、そのとき。天幕の幕を撥ね上げて、伝令が転がり込んできた。息が上がり、声が裏返っている。


「緊急です! 前軍正面に、騎士ゾンビの大軍が現れました!」


「なんだと……!」


 セレニウス公爵の顔色が変わる。だが、アウグストゥスはむしろ前へ踏み出した。


「すぐに前線に行く。動揺した兵では戦いにならんだろう」


「御身を危険に晒すわけには……」


「なに、少し鼓舞してくるだけだ。行ってくる」


 アウグストゥスは身を翻すと、颯爽と馬に跨り、前線へと駆けていった。蹄の音が遠ざかる。その背を見送って、セレニウス公爵が低く呟いた。


「誰に似たのか……」


 そして、すぐに声を張る。


「ヴァレン! 正面の敵を粉砕しろ!」


「ハッ、ブカレウス軍に伝令、予備を前軍左側面に出し敵の攻勢を挫け。合わせて砲兵は右から攻撃。中央軍魔導大隊は後続を断て」


「直ちに!」


 伝令が幕の外へ走り出る。ヴァレンはさらにセレニウス公爵へ向き直った。


「セレニウス公、歩兵も厚みを増やします。予備の投入を」


「よかろう。すぐに兵を出す」


「ありがとうございます」


 ほどなくして、伝令と通信兵が引きも切らず行き交いはじめた。卓を囲む空気が張り詰める中、戦況報告が次々と舞い込んでくる。


「ブカレウス軍、攻撃開始。合わせて砲撃も開始されました」


 遠く、地を揺らす砲声が連なって響いてくる。


「セレニウス軍大隊長エギウス子爵戦死、カラブリウス子爵戦死」


「ブカレウス軍大隊長メズドリウス子爵、ストラティウス子爵戦死」


 ヴァレンの眉が動いた。


「……まて、それは誤報ではないのか?」


「……応答ありません」


「そうか……」


 ヴァレンは短く目を閉じ、すぐに開いた。指先が、図上の駒へ伸びる。


「西部方面軍第二師団から救援要請」


「ブカレウス軍に伝令、騎兵を右側面に当てろ」


「ハッ」


「セレニウス軍第二師団長イテリウス子爵戦死……師団本陣、通信途絶」


 その報に、セレニウス公爵が眉を寄せ、幕の外へ目をやった。


「……殿下を呼び戻すぞ。伝令を出せ」


「それには及ばん。今戻った」


 幕を割って、馬を下りたばかりのアウグストゥスが戻ってくる。鎧には土埃が散っていた。


「おお、ご無事でしたか」


「ここで死ぬわけにはいかんからな。ヴァレン、戦況は?」


「芳しくありません。敵の攻勢が、未だ止まっていません」


「ふむ。最悪、近衛を出しても良い。食い止めよ」


「ハッ、ありがたく」


 言い終わるより早く、次の報告が飛んだ。


「西部方面軍第二師団、突破されました。師団長、副師団長戦死。大隊長複数名負傷」


「騎兵はまだか!」


「アレクシウス・ブカレウス殿を先頭に、突入開始」


 ヴァレンは図の一点を見据え、祈るように内心で呼びかけた。


(頼むぞ、万剣……)


「セレニウス軍第三師団から救援要請」


「ブカレウス軍砲兵部隊、対魔法戦闘開始」


「対魔法戦闘だと? ……中央軍魔導大隊に砲兵の支援をさせろ!」


 伝令が駆けていく。その背を追うように、セレニウス公爵が腰の剣に手をかけ、決然と告げた。


「わしも前へ出る。ヴァレン、殿下を守れ」


「必ずや」


 公爵が大股に幕を出ていく。入れ替わりに、また報告が届く。


「東部諸侯軍、南部諸侯軍、共に交戦開始」


「ブカレウス軍の騎兵はどうした!?」


「交戦中のようです。万剣殿が、騎士数体を討ち取ったと」


「それでも突破されているというのか……」


「セレニウス軍第三師団、師団長負傷、副師団長が代理で指揮」


 報告を聞いていたアウグストゥスが、堪りかねたように問うた。


「ヴァレン、指揮官が、これほどやられるものなのか?」


「いいえ。こんなこと、現代戦ではありえません……。師団長ともなれば、幾層もの部隊で防衛されています」


「それが突破されているというわけか」


「はい。速度を考えると、まともに戦えているかも怪しいものです」


 アウグストゥスは、遠く燃える地平へ目を細めた。


「騎士か……消えゆくものだと思っていたのだが」


「ええ。現代の魔法と火薬の進歩は、重装鎧を過去のものにしたはずです」


 その言葉を裏切るように、報告は止まらない。


「セレニウス軍第一師団、交戦開始」


「左軍ティラヌス侯より伝令。中軍の戦況如何か、です」


「左軍へ回答。戦力不足。遊撃部隊をこちらへ求む、だ」


「ハッ」


 ヴァレンは戦線図を睨み、唇を噛んだ。右翼の駒に伸ばしかけた指を、止める。


(右軍は……ダメか。ただでさえ少ない兵力を抽出すると、崩壊しかねないか)


「ブカレウス軍遊撃歩兵部隊、損害多数で撤退」


「左軍の部隊が戻り次第、穴を埋めさせろ」


「閣下、左軍の部隊は、戻るまでに時間が……」


 歩み寄った参謀が、声を落とす。ヴァレンは短く返した。


「やむをえん。他に部隊がない」


 卓上の駒が、また一つ退けられる。


「東部諸侯軍、アルデリス伯爵戦死、子爵、男爵も複数人戦死。……救援要請です」


「アルデリス伯だと……そこまでか……。砲兵は回せるか?」


「ブカレウス軍砲兵部隊は、まだ対魔法戦が終わっていません」


「被害は覚悟の上だ。東部諸侯軍の援護に回せ」


「ハッ」


「南部諸侯軍、ホルス伯爵、アミア伯爵負傷。撤退開始」


 報告の途切れぬ中、幕が開いた。セレニウス公爵が、前線から戻ってきたのだ。その鎧は煤に汚れ、顔にはもはや迷いの色がなかった。


「殿下。このままでは支えきれません。ここは、撤退のときです」


 ヴァレンは、静かにその言葉を受け止めた。公爵が自ら前を見てきたのなら、それが答えなのだろう。


(そうか、セレニウス軍ももはや限界か……)


「……帝都を見ることもできずに、下がれというのか……」


 アウグストゥスの声が沈む。セレニウス公爵は、膝をついて頭を垂れた。


「このままでは御身を守り切れません。ここで殿下を失えば、帝国は崩壊します」


 しばしの沈黙。やがてアウグストゥスは、絞り出すように告げた。


「ヴァレン、中央軍副参謀長の意見を聞こう」


「……セレニウス公のおっしゃる通りです。まだ戦力の残っているうちに撤退を開始せねば、限界を迎えたときに、状況がどう動くか分かりません」


「そう、か……。敗因は、なんだ?」


「……騎士ゾンビの戦闘力を、過少評価していました……」


 口にしながら、ヴァレンの内心では、別の問いが渦巻いていた。


(アスミノールの報告が間違っていた? いや……そうか、勇者を人間の物差しで測るべきではないと分かっていたはずなんだが……人の枠に、はめてしまっていたか……)


「それは、仕方ないな。誰もあれほどとは思っていなかった。……撤退する」


「殿下のご英断、承知致しました」


 ヴァレンは、図の縁を握りしめた。指の節が白くなる。


(撤退、できるのか? ……帝国は……ここで消えるというのか……俺が、判断を間違ったが故に……)


 セレニウス公爵が立ち上がり、淡々と命を下していく。


「撤退命令を各部隊に出す。伝令は騎兵を出せ。……いや」


 わずかな間。公爵は図の右翼へ目を落とした。


「右軍は足場が悪かったな。そちらは徒歩伝令だ。準備が終わり次第、一斉に下がるぞ」


「ハッ」


 伝令が散っていく。ヴァレンは、その差配に内心で頷いた。


(右軍への伝達は時間がかかるな……。せめて、その時間は稼がねばなるまい……)


「私も撤退支援のため、魔導大隊を直接指揮して参ります」


「ああ。頼んだぞ」


「ハッ」


 ヴァレンは一礼して本陣を出た。外は煙と土埃に煙り、火薬の匂いが鼻を突く。遠くで爆ぜる魔法の閃光が、昼の空を断続的に白く染めていた。彼は馬を駆り、魔導大隊が布陣する小さな丘へと移る。


「ヴェロニカ大隊長、撤退が決まった。撤退支援に移るぞ。負傷兵と後方部隊は、先に動かせ」


「そうですか……力及ばず、申し訳ありません」


 振り返ったのは、赤毛の、几帳面そうな雰囲気を持つ女だった。ヴェロニカ・コメンタリア大隊長である。煤の浮いた頬を拭おうともせず、彼女は静かに頭を下げた。


「俺の指揮が悪かった。まあ、反省は生きて帰ってからだ」


「はい。直ちに準備します」


 ヴェロニカが部下へ指示を飛ばしていく。号令と足音が丘の上を駆け回るのを背に、ヴァレンは戦場を見渡した。


(後は、どれだけ生かして帰せるか、か……)


 眼前では、中央を大きく抉られた中軍が、それでもなお抵抗を続けている。喊声と銃声、断末魔が入り混じり、煙が幾筋も立ちのぼっていた。騎士ゾンビの群れに食い込んでいた騎兵も、大きく数を減らしながら退いていく。後方では、馬車の車列がすでに引き上げを始めていた。


「ヴェロニカ大隊長、あの騎士に、魔法はどれくらい効いたんだ?」


「私もどれだけ効いたか直接は見ていませんが……少なくとも、動きは止まらず、着弾時にシールドの発動も確認しています。並の近接兵へ直撃した時の、何割にも満たないのではないでしょうか?」


「そうか……。そして近接兵では止められず、将官を狙ってくる、か」


「そのようですね。あれは人ではない、というのを、痛感しました」


「あれは……魔法的にも、そうなのか?」


「ええ。あのシールドの出力は、我々と同程度以上でしょう。近接兵に、いていい存在ではありません」


 ヴァレンは戦場の煙へ目を据えたまま、低く呟いた。


「……中央軍の魔導大隊以上の存在が最前線で剣を振るい、万剣でないと相手をできないというのか……。ではそれを討伐したあの少女は、なんだというのだ?」


「勇者とは、そういうものでしょう。神話は、本当の記録だったということです」


 ヴェロニカの言葉に、ヴァレンは小さく息を漏らした。


「貴殿は柔軟だな……」


「お褒めに預かり、光栄でございます」


 そのとき、本陣の方角で、空気を裂く音がした。全軍撤退の信号弾が、煙の空へ打ち上げられたのだ。赤い光が、弧を描いて尾を引く。


「撤退の合図です」


「前線に斉射を二発。足止め目的だ。派手に燃やせ」


「ハッ」


 信号弾を見上げたまま、ヴァレンの胸に、小さな引っかかりが走った。


(……少し、早すぎる気がするのだが。右軍に、準備命令は届いたのか?)


 号令とともに、中軍、左軍が前線へ魔法の斉射を放つ。大地が轟き、戦場が一斉に燃え上がった。熱風が丘の上まで吹き上げてくる。だが――右軍からの斉射は、大きく遅れて放たれた。


「……遅れているな。カラディン辺境伯とアマミヤ子爵が、撤退準備を失敗するなど、あり得るのか……?」


「各隊、統制射撃開始! ……副参謀長?」


 ヴェロニカが、号令の合間に怪訝そうな視線を向ける。ヴァレンは戦場の右翼を見据えたまま、ほとんど独り言のように続けた。


「アマミヤ子爵は経験が浅いからないとは言わないが、カラディン辺境伯だぞ? ……撤退命令が、早すぎたのではないか……?」


 ヴェロニカも、ようやく異変に気づいたように、右翼へ目をやった。


「……右軍が、遅れていますね」


「ヴェロニカ大隊長、統制射撃を続けろ。特に右軍側の撤退路の確保が最優先だ。俺は本陣に確認のため戻る。死ぬなよ」


「ハッ」


 ヴァレンは再び馬を駆った。本陣では、馬車に荷が積み込まれ、撤退の準備が慌ただしく進んでいる。彼はその只中へ取って返した。


「セレニウス公。右軍が遅れておりますが、全軍撤退命令が、早すぎたのではないでしょうか」


「やむをえないのだ。中軍の崩壊は、想定以上に進んでいる。これ以上は、待っていられない」


 公爵は、積まれていく荷から目を離さない。


「しかし、中軍が撤退しては、丘陵地帯の右軍は、撤退路がなくなります」


 その一言で、セレニウス公爵がゆっくりと振り返った。


「……貴殿は、殿下の御身を危険に晒せと言っているのか?」


「そうは言っていません! 殿下には先行して下がってもらい、軍は、その後でもよかったのではないでしょうか」


「それこそ、殿下の身を守る者が必要だろう。どちらにせよ、もう終わった話だ。貴殿も撤退の準備をするのだ」


 ヴァレンは、喉まで出かかった言葉を、辛うじて呑み込んだ。


「セレニウス公……まさか……いや、撤退の支援に戻ります」


 公爵は、ほんのわずか、口の端を上げた。


「そうしろ。その嗅覚は、大事にするものだ」


 踵を返したヴァレンの胸中に、冷たいものが、音もなく広がっていく。背後で、馬車の車輪が軋み、撤退を急ぐ兵の足音が乱れて響いていた。


(……軍事に政治を持ち込むなど……国家の危機ではないのか……。俺はいったい、何を守って……)

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