第106話 テッサロニアの烽火III
【帝国紀元1800年5月1日 12:00】
【クルキア城館・中庭】
「隊長殿、来ていただきありがとうございます」
中庭の入口で待っていたレオニダスが、ユリアの姿を認めて頭を下げた。
「瑞希の相手をして欲しいですって?」
「はい。私ではなかなか……」
歯切れの悪い言い方に、ユリアは片眉を上げた。
「この前ついに一本取られたとか言ってなかった?」
「そうなんですが、成長が早いもので」
「そんなに?」
レオニダスは答えの代わりに苦笑を浮かべ、中庭の奥へと視線を向けた。話しながら歩いていくと、すでに木剣を手にした瑞希が準備を整えて待っていた。
「あ、ユリアさん!」
「だいぶ様になってきたわね。レオニダスには勝てるようになったの?」
「まだまだ力任せですけど……」
瑞希が照れたように木剣を握り直す。その傍らで、レオニダスが小さく息をついた。
「ちょっと、その力が尋常じゃないので……受け流しきれなくなりまして……」
「へえ?」
「えへへ」
「いいわ。力を見せてもらいましょう」
「ありがとうございます!」
瑞希が気合と共に構えを取る。
ユリアが両手剣を正眼に構え、瑞希が片手剣と小盾を胸の高さに据えた。
「ハァッ!」
瑞希の裂帛の掛け声と共に、鋭い踏み込みからの縦斬りが繰り出される。
木剣が空気を裂く重い音。しかしユリアは半歩だけ後ろに滑り、刃先を鼻先で躱すと、そのまま右から軽く横薙ぎを放った。
瑞希はそれに焦ることなく、小盾を斜めに突き出して横薙ぎの軌道を上へと逸らし、空いたユリアの懐へ鋭い突きを放つ。
だが、その刃が届くより早く、ユリアが反時計回りに体を回転させた。
突きを紙一重で躱しながら、回転の遠心力を乗せた凄まじい袈裟斬りが瑞希を襲う。
瑞希が咄嗟に盾で受け止めるが、強烈な打撃音が中庭に響いた。
ユリアがそのまま腕に力を込めると、瑞希は耐えきれずに盾ごと強引に押し込まれる。たまらず後ろへ跳び退いて回避した瑞希の眼前で、ユリアの両手剣が地面に叩きつけられ、地面がボコッとえぐれ飛んだ。
砂煙の中、瑞希が獣のようなバネで飛び掛かり、渾身の力で剣を振り下ろす。
ユリアは両手剣を真横にして、その一撃を正面から受け止めた。
「ぐっ……このっ……!」
瑞希が顔をしかめ、鍔迫り合いに力を込める。
しかし次の瞬間、ユリアがふっと剣の圧を抜いた。瑞希の渾身の斬撃が虚空へと受け流され、体勢が前のめりに崩れる。
瑞希が慌てて横に飛び退いた直後、つい先程まで彼女がいた空間を、ユリアの無慈悲な斬撃が切り裂いた。
返す刃。飛び退いた瑞希に対し、ユリアがさらに大きく踏み込んで必殺の斬撃を見舞う。
逃げ切れないと悟った瑞希は、カウンターで思い切り横薙ぎを放った。ユリアが即座に剣を立ててそれを受け、激しい甲音が鳴り響く。
――ギリィッ、と木剣同士が悲鳴を上げた。
ユリアの両手剣が力で瑞希の剣に競り勝ち、瑞希が弾かれるように跳び下がる。
ユリアはそこへ追撃の歩を進め、大きく左からの斬撃を放った。
瑞希は片手剣を両手で握り込み、なんとか受け止めるものの、強烈な衝撃に体勢を崩す。辛うじて斬撃の威力を流したが、そこへ振り切ったはずの両手剣を瞬時に返したユリアが、今度は右から重い斬撃を叩き込む。
瑞希は咄嗟に盾で受け止め、先程のように軌道を逸らそうとした。
しかし、受け流そうとしたその一瞬。ユリアの剣の軌道がわずかに変わり、瑞希の盾は完全に上から押さえ込まれた。
「――っ!」
瑞希の膝が地面に沈み込み、片膝をついた。剣の切先が瑞希の喉元にピタリと止まる。
「そこまで!」
審判役のレオニダスの声が響き渡った。
ユリアがスッと力を抜き、剣を下ろす。限界まで張り詰めていた瑞希は、そのまま力尽きたように大の字で地面に倒れ込んだ。
「はあ、はあ……重すぎ、ます……」
荒い息を吐きながら瑞希がこぼした恨み言に、ユリアは呆れたように肩をすくめた。
「ちょっと。手合わせの最初の感想が、それはないでしょ」
「だって、レオニダスさんとか、あの大きな騎士ゾンビの一撃より全然重いんですもん……」
仰向けのまま天を仰ぐ瑞希を見下ろして、ユリアは小さく息を吐いた。
「それにしても、上達したものね。ほんとに一年前は剣の経験なかったの?」
「そのはず……です」
「はず?」
「あ、いえ、私、弓道部だったので……」
歯切れの悪い返答に、ユリアはわずかに目を細めたが、それ以上は追及せずに流した。
「そう。先生がよかったのかしらね?」
「そうかもしれません。レオニダスさん厳しいけど丁寧に教えてくれるんですよ」
「へえ、丁寧なの」
「手を抜いて教えて戦場で死なれても困りますからね」
レオニダスがわずかに照れたような表情を見せる。
「技術は問題ないと思うわ。この調子で頑張りなさい」
「は、はい!」
身を起こした瑞希に頷いてから、レオニダスがユリアへ向き直った。
「筋力はどうです?」
ユリアは地面に残った剣の痕を一瞥してから答えた。
「……体格からは信じられない力ね。レオニダスが受け流しきれないのも分かるわ」
「えへへ」
「やはりですか……元からこのような?」
「こっちに来てからだと思うんですけど……」
瑞希が首を傾げる。ユリアは少し考えてから口を開いた。
「カラディンでは鎧を一撃で壊していたからもっとあったかもしれないわね」
「もっとですか?……鍛える前のほうが強かったということがあるのでしょうか?」
レオニダスが訝しげに眉を寄せた。
「普通はないはずだけど……」
「すみません、自分ではあまり……」
申し訳なさそうに肩をすくめる瑞希に、ユリアは軽く首を振った。
「そうでしょうね。まあ計測したわけでもないから何とも言えないわ」
「そう、ですね」
レオニダスが納得とも言い切れない様子で頷き、それから改めて口を開いた。
「これからもたまに瑞希殿に稽古をつけていただけますか?」
「たまによ?」
「ありがとうございます!」
瑞希が顔を輝かせる。ユリアは木剣を箱へと戻しながら、空を見上げた。陽はとうに中天を過ぎている。
「さ、お昼も過ぎちゃったし、汗を流して何か食べに行きましょう」
「あ、いいですね! すぐ片づけますね!」
「ああ、午後からは兵の鍛錬に使いますので、隅の箱に入れておいてください」
「はーい」
瑞希が散らばった得物を抱えて駆けていく。その背を、ユリアは何か言いかけてやめたように、ただ見送った。
しばらく後。
二人はクルキア市街の大通りに出てきていた。
拡張工事中の大通りには、まだ剝き出しの地面や積まれた石材が目立つ。その間を縫うように、労働者や兵士向けの屋台が所狭しと並び、香ばしい煙とざわめきが入り混じっていた。
「あなた、さっきも串焼き買ってたじゃない。また買ったの?」
「これはまた別の味なんですよ!」
瑞希が両手に持った串を得意げに掲げてみせる。
「よく食べるわね……」
「訓練するとお腹が空いちゃって……。それに、意外と太らないんですよ。そりゃあちょっとは増えちゃいましたけど……みんな筋肉がついたからって言うし……」
「ほんとに筋肉ついてる? あまり見た目変わらないけど」
「段々剣とか軽くなってきているので、筋トレの効果は出てるはずです!」
ユリアは横目で瑞希を眺めてから、ふと尋ねた。
「弓の方はどうなの?」
「そっちもバッチリです! よく見えるし、なんとなくどこに飛ぶか分かるし……異世界特典なんですかね?」
「そんなものあるわけないでしょう……」
「えー。あーあ、大会前にこれだけ中てれてたらなー。あの時、悔しくて泣いた……あれ、誰が慰めてくれたんだっけ……ユリアさん?」
串をかじりながら、瑞希が何気なくこちらを見上げる。ユリアの足が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……そんな話、知らないわよ。学校の友達じゃないの」
「まあいいか……。それで、なんの話でしたっけ? そうそう、異世界特典じゃないなら、やっぱり神殿ですかね? なんか、神殿に行くと調子が良くなる気がします」
「神頼みで強くなるわけないでしょ。むしろ魔法陣の方が怪しいわよ」
「でも、あの声は……」
「神様がそんな受付みたいなことするかしら?」
「それは……しなさそうです」
「そういうことよ。嫌よ? 神殿に入ったら“いらっしゃいませー”とか言う神様なんて」
「それはそうかも」
瑞希が小さく吹き出す。ユリアは前を向いたまま、口の端だけをわずかに緩めた。
「でもまあ、神殿には何かありそうね。神秘ではなく別のものがね」
「そう……ですね。って、よく見たらユリアさんも相当食べてません? なんですかその串の数!」
瑞希が指さした先、ユリアの手にも何本もの串が握られている。
「これは街の巡察で仕方なく、よ」
「食べ比べしてるじゃないですか!」
「はあ、仕方ないわね。はい、これ上げるわ。美味しいわよ」
「いや、欲しいわけじゃ……もらいますけど」
差し出された串を結局しっかり受け取る瑞希に、ユリアは小さく笑った。雑踏のざわめきと屋台の煙が、二人の周りをのんびりと流れていく。
その賑わいの中で、ユリアの胸の内にだけ、消えない小さな引っかかりが残っていた。
【同日 夜】
【クルキア城館・執務室】
「Nostra manent secreta」 ――われらの秘密は守られん。
ルシアが短く詠唱を終えると、執務室の空気がわずかに張り詰めたものに変わった。窓の外の喧騒が、急に遠のいたように感じられる。
「どうしたの、急に?」
「瑞希のことなんだけど……仕事の方はどう?」
ユリアが切り出すと、ルシアは少し考えるように視線を上げた。
「瑞希さん? そうね……真面目だし、飲み込みも早いわ。多少危なっかしいところはあるけれど、身体能力でカバーできているわね」
「そう……」
「今日、稽古をつけたのでしょう? どうだったの?」
ユリアは椅子の背に体を預け、低く答えた。
「戦闘能力自体は間違いなく一級品よ。既にもう勝てる人間は少ないでしょうね」
「そんなに?……高校生よね?」
ルシアがわずかに目を見開く。
「ええ。問題は、その成長が技術というより身体能力が中心なことなのよね」
「……普通はそんな早さでは成長しない……やはり何かの干渉があるわけね」
ルシアの声が一段低くなった。
「ただ、神殿の魔法陣以外に怪しい接触はないにも関わらず、長期間に渡って継続的に成長しているみたいよ」
「魔法陣で瑞希の体に何かしらの細工が?」
「それを疑っているところよ」
ユリアは一度言葉を切り、それから慎重に続けた。
「ここ最近、明らかに地球での思い出が薄れているように見えるのよ。苗字を変えるのを止めておく理由も“なんとなく”だし、今日も大会で負けたときに慰めてくれた友人を私と誤認していたわ」
「それはさすがにおかしいわね……」
ルシアが眉をひそめ、指を組んだ。
「こちらに来たばかりの頃は、事故のショックでご両親の記憶を封印しているのかと思ったけど……」
「やはり神殿に連れていくのはやめたほうがいいわね。たしかにあの魔法陣で呼ばれた可能性はあるけど、瑞希に何かをしている可能性を考えたら触るべきではないわ」
「けど、他の手がかりというと……先代勇者の記録……かしら」
「ええ。帝都になるわね」
ルシアが小さく息をついた。
「でも、先代勇者が帰れていないのなら、失敗の記録になりそうだけど……」
「ないよりはマシよ」
「それはそうだけど。でも皇宮に入るなんてできるかしら……」
ユリアは窓の外、夜闇に沈むクルキアの街並みへと視線を移した。
「……西部貴族が手柄として欲しているでしょうけど、全ては戦場の混乱のせいにしましょう。手加減をするつもりはないわ」
「……確実に勇者扱いになるわね」
「むしろ、勇者ならば多少の問題も揉み消してもらえるでしょう?」
「まあ、そうね。どうしてもダメなら逃げればいいだけの話ね」
ルシアが肩をすくめると、ユリアは小さく頷いた。
「そういうことよ。瑞希が自衛できるなら取れる手も多いわ」
「まずはそうならないことを祈りましょう……」
「ええ、もちろんよ」
夜の静けさの中、魔法に閉ざされた執務室には、二人の声だけが低く落ちていった。




