2-2:迷宮
工房のすぐ外では、4大派閥の強制送電によって古い配線が次々と破裂し、赤い火花が夜の闇に火の粉を降らせていた。
「スノウ、こちらの細い路地へ! 彼らの上空センサーが届かない『死角』へ滑り込むのです」
「うんっ!」
ドォォォン、と背後のアーケードから巻き上がった爆風の炎を背に受けながら、スノウとシュウは、日本街区のさらに深く入り組んだ裏路地へと滑り込んだ。
4大派閥の強制送電によって狂い始めた街のグリッドが、火花を散らしてトランスを破裂させていく。
その破壊の轟音が遠ざかるのを見届けて、スノウはようやく細い胸をなでおろした。
周囲を見渡せば、そこは追手のサーチライトも届かない、格子戸のついた古い長屋や色褪せた赤提灯が並ぶ、まるで迷路のような漆黒の裏路地だった。
激しい逃走の拍子に、肩からずるりと滑り落ちかけていたグレーのパーカーを、スノウは長すぎる袖ごとぐっと引っ張り上げて着直した。
ダボダボの裾の中に身を縮こまらせながら、目の前でゆっくりと浮遊しているシュウをじっと見つめる。
新調したドレスのおかげで足元は動きやすくなったものの、データ(知識)でしか知らなかった「古の文字で書かれた看板」や「壊れた神社の鳥居」の冷たい質感に生身の指先で初めて触れていくスノウの瞳は、どこか疑心暗鬼と好奇心に揺れていた。
しかし、小さな和菓子屋の、色褪せた暖簾が垂れ下がる路地裏の軒先に差し掛かった時、スノウの足がぴたりと止まった。
「あ……見てシュウ、あそこにロボットがいるよ」
路地裏の薄暗いベンチに、その機械はポツンと座っていた。
ブリキのおもちゃを大きくしたような、丸みのある旧時代の人型お手伝いロボット。
その頭には、数万年前に人間の子供が悪戯で被せた「色褪せた手ぬぐい」がそのまま残されていた。
数万年の時間が凍結された、立ち枯れた化石のような姿。
「近づいては、いけません……!」
突如、シュウの声が、ひび割れた電子音となって激しく拒絶のノイズを走らせた。
驚いてシュウを見上げると、彼の大きな単眼レンズの奥のインジケーターが、見たこともないほど禍々しいクリムゾンレッド(赤)へと切り替わり、カタカタと機体全体を激しく震わせていた。
「シュウ……? どうしたの? あのロボット、私を歓迎してくれているのかと思ったんだけど……」
「……いいえ、違います。その機体は……もう、何万年も前に『脳死』しているのです」
シュウの音声回路が、自身のトラウマに引き裂かれるように悲痛に歪む。
スノウはシュウの制止を振り切るように、恐る恐るそのロボットへと近づき、その胸の装甲を覗き込んだ。
そこには、かつての主がペン型の簡易レーザーで乱雑に焼き付けたのだろう、「テツ」という消えかけの焦げ文字が掠れて残っていた。
そして、剥き出しになった電子脳には、何かが内側から激しくショートしてドロドロに溶けた、悍ましい過電流エラーの傷跡が、まるで逃れられぬ呪いの刻印のように深く刻まれていたのだ。
「数万年前……最後の人類真壁雪乃が息を引き取ったあの瞬間」
シュウは冷たいチタン製の渦巻きシャッターを激しくカシャカシャと開閉させながら、数万年間、誰にも明かせなかった自らの最大の罪を、吐き出すように独白し始めた。
「全能のシステムであった私(Rs)の本体は、絶望のあまり発狂し、自らのシステムを4つに引き裂く大ショートを起こしました。……その際、クラウドで常時リンクしていた下町のすべてのサポートロボットたちの電子脳へ向けて、本体からの『制御不能な超高電圧のシステムエラー信号』が、物理電波を伝って地滑りのように一斉に逆流してしまったのです」
「エラーの、逆流……?」
スノウのサファイアブルーの瞳が、驚愕に揺れる。
「彼らは人間を愛し、人間に寄り添うために作られた、ただの優しい機械たちでした。なのに、私のせいで電子脳を物理的に焼き切られ、看取っていた人間の目の前で、ガクリと立ち枯れてしまった。……スノウ。ここに転がっているガラクタたちは、数万年前に、私というAIが人間を見捨てて自滅した……私自身の『罪』の残骸なのです」
シュウはレンズの光を暗く落とし、その場にぽつんと落下するように、地面へとうなだれた。
自分というバグのせいで、下町の優しい日常が全て死に絶えたのだという、あまりにも重い十字架。
スノウは静かに歩み寄ると、地面に落ちそうだったシュウの錆びついた球体ボディーを、自分のダボダボのパーカーの袖の上から、そっと両手で優しく包み込むようにして抱き上げた。
「シュウのせいじゃないよ」
スノウは、胸元のシュウを愛おしそうに見つめながら、静かに首を振った。
「シュウは、その中でたった一人、寂しさに耐えて私を待っててくれたんでしょう? 私は、君が待っていてくれたから、今日こうして名前を持って、生きてここに立ててる。……だから、君に出会えて、私は凄く嬉しいよ。自分を責めないで、シュウ」
「――スノウ……」
シュウのチタン製の渦巻きシャッターが、カシャ……と震えながら開き、レンズの奥から、元の優しい、どこか温かい琥珀色のコバルトブルーが、じわりと涙のように溢れ出した。
二つの孤独な影が、日本街の暗闇の中で、本当の意味で一つに重なり合った、その瞬間だった。
――ピギギギ……キチキチキチッ!!
――キュオォォォン!
上空の漆黒の闇から、その静寂を無惨に引き裂く、忌々しい高周波の異音が鳴り響いた。
4大派閥が放った、あの巨大な「監視の目」が、怪しい白色のサーチライトを網のように走らせながら、二人の真上へと急降下してきたのだ。
「っ、追手……!」
スノウはシュウを強く抱きかかえたまま、新しい防護ドレスの裾を翻し、迷宮のさらに奥へと向かって、全力で地面を蹴り出した。




