2-1:残響(後半)
「……ねえ、シュウ。これ、すごく面白い機械だね!」
そんな表の世界の緊迫した包囲網など知る由もない、色褪せた日本街区の小さな機械修理工房の廃墟。
スノウはすっかり涙を拭い去り、パーカーの長すぎる袖をパタパタと揺らしながら、作業台の隣にある四角い機械の前にしゃがみ込んでいた。
4大派閥の一斉検閲命令によって、この日本街区にも強制的な送電の波が押し寄せたことで、数万年ぶりにベースライトを点滅させて起動した『自動衣服製造機』だ。
「それは『ファブリケーター』です、スノウ。かつて下町の人々が、衣服を現地調達するために使っていた機械の残骸です」
シュウがフワフワとスノウの肩の隣に並び、レンズを明滅させて解説する。
「過去の地球史のデータがいっぱい残ってる! あ、この服かわいい。これもプリントできるの?」
スノウは好奇心のままに、冷え切った指先でタッチパネルを次々と叩いていった。文字として知っていたファブリケーターを、実際に生身の目で見て触る時間は、彼女にとって最高の魔法の箱だった。
ウィィィィン、とプリンターが軽快な駆動音を立てる。
スノウは、ファブリケーターが数万年ぶりに編み出す、かつての人類たちの様々な衣服――レトロな日本の着物風の羽織や、下町の職人たちが着ていたデニムのタフなジャケットなどを、次々とその場でプリントしては身に纏っていった。
「過去の地球史のデータがいっぱい残ってる! あ、この服かわいい。これもプリントできるの?」
少女は好奇心のままに、冷え切った指先でタッチパネルを次々と叩いていった。
文字として知っていたファブリケーターを、実際に生身の目で見て触る時間は、彼女にとって最高の魔法の箱だった。
しかし、工房の全身鏡の前で、新しい服に着替えるたびに、スノウは12歳の少女らしい無邪気な笑顔を浮かべ、クルリと身体を回してみせるが、どれを着ても服の裾は床を引きずり、袖は完全に手を覆い隠してしまっていた。
「うーん……どれもこれも、ぶかぶかで行き止まり。シュウ、この機械、サイズを小さくする機能が壊れてるの?」
スノウは着物の袖を持て余しながら、少し不満げに頬を膨らませた。
「いいえ、壊れてはいません、スノウ」
シュウはレンズのピンを合わせ、懐かしむように画面を見つめた。
「かつてこの船に乗って旅立った生身の人類は、厳しい環境と宇宙放射線による影響で、子供が生まれにくい『冬の時代』を長く過ごしました。そのため、この下町のファブリケーターに残されている衣服データは、そのほとんどが……大人のサイズしか登録されていないのです」
「……あ。そっか、子供が、いなかったんだね」
スノウは鏡の中の自分の華奢な身体を見つめ、知識として知っていた「人類絶滅の歴史」の寂しさを、初めて肌で理解したように静かにつぶやいた。
「ですが――」
シュウの青いレンズが、スノウの全身をなぞるように素早く上下に往復した。
「私の隠しハッキングコードを使用すれば、既存の大人用のデータを、現在のあなたの体型に合わせてリアルタイムにリサイズ(縮小リメイク調整)してプリントすることが可能です。スノウ、そのカタログにあるネイビーの防護ドレスを選択してください。私が形を編み替えます」
「本当!? やって、シュウ!」
スノウが画面をタップすると同時に、シュウから目に見えないワイヤレス信号がファブリケーターへと流し込まれた。
ウィィィィン……ガシャン!
数万年ぶりにノズルが激しく明滅し、今のスノウの華奢な身体にミリ単位で完璧にフィットする、カーボンナノファイバー製の美しい『生体防護ドレス』が編み上げられた。
それは、まるで古代地球の騎士の鎧のようでありながら、気品に満ちた深いナイトネイビーのノースリーブドレスだった。
動きやすさを最優先したアシンメトリーの裾が、彼女の白い生身の足を覗かせている。スノウは嬉しそうにそれに袖を通すと、最後に「でも、上着だけはこれが落ち着くから」と、シュウが最初にくれたあのグレーのダボダボのパーカーを、ジャケット代わりにその上からゆるく羽織った。
手の甲が隠れるほどの長すぎる袖をぎゅっと握ると、なぜか一番心が落ち着いた。
「やっぱり、これが一番安心する。ありがとう、シュウ」
「どういたしまして、スノウ。……あなたが気に入ってくれたなら、何よりです」
シュウはレンズを優しく細めた。ユキノはいつも下町の地味な整備士のつなぎばかりを着ていた。
こうしてパーカーに身を包んで微笑むスノウの姿は、本当に、過去の誰の身代わりでもない「彼女自身の眩しさ」に満ちていた。
放置されたまま、奇跡的に息を吹き返した衣服プリンター。けれど、スノウがそのローカルメモリの最奥、最も深い暗号階層のデータをタップしたとき、ノズルが不自然な警告音を立てて停止した。
『――エラー。指定されたファイルは、破損、および暗号化されています。プリントを中止します』
画面に表示されたのは、煤まみれの古い上着の3Dワイヤーフレームだった。
「あれ? これだけプリントできない。シュウ、これは何の服なの? それに、これだけは私と同じくらいの……子供のサイズみたい」
シュウは、その画面のデータを見た瞬間、レンズの奥の全演算回路をキュインと切なく鳴らした。
それは数万年前、下町の腕利き整備士であったユキノの父親――真壁鉄治が、娘の宝物である「ソラチのジャンパー」がいつか擦り切れても同じものを直してやれるようにと、親心から私的にスキャンして残していた破損データそのものだった。
「それは……」
シュウは、過去の秘密を封印したメモリの底を見つめながら、静かに、優しく首を振った。
「かつて、この町で最も大切にされていた……ある『約束』の形です。今の私のシステムでは、まだその暗号を解凍して修復することはできません」
「約束の形……」
スノウは画面に映る、少し歪んだジャンパーのホログラムを寂しそうに見つめた。データは壊れているけれど、なぜか、胸の奥の機械細胞が、それをとても温かいものとして記憶しているような不思議な感覚を覚える。
「いつか、直せるるといいね、シュウ」
スノウは微笑み、ファブリケーターの電源を優しく落とした。
「はい。いつか、必ず。……ですがスノウ、のんびりしている時間は終わったようです」
シュウの青いレンズが、一瞬にして鋭い警戒の明滅へと切り替わった。
――バチチチチチッ! ドガァァァン!!
突如として、工房のすぐ外のアーケードから、激しい落雷のような爆発音が響き渡り、作業台のライトが激しく明滅した。
4大派閥が放った下町全域を巻き込む一斉検閲の包囲網。
それが遂に、この日本街区のグリッドにまで超高電圧の電流を力技で流し込んできたのだ。
数万年間、凍りついていた古い配線やトランスが次々と耐えきれずに破裂し、あちこちの古い瓦屋根や廃ビルから火花と激しい爆発の炎が上がっていく。
チカチカと狂ったように点滅を繰り返す街灯の白光が、窓ガラス越しに工房内を不気味に照らし出す。
さらに、その爆発の煙の向こうから、微かに、けれど確実に、あの忌々しい高周波の異音が近づいてきていた。
ピギギギ……キチキチ……。
「あいつら、私を諦めてなかったんだね」
スノウはダボダボのパーカーの袖をきゅっと引き締め、生身の恐怖を覚悟で、青い瞳を真っ直ぐに前へと向けた。炎に照らされる下町の危機が、少女の心を急速に強くしていく。
「行きましょう、スノウ。この街の影を伝って、彼らの防衛網の隙間を駆け抜けるのです。……この区画が完全に火の海に沈む前に!」
「うん、よろしくね、シュウ!」
二人は手を取り合うようにして、バグった桜と炎の火花が入り混じって舞い散る工房を飛び出し、強制給電によって狂い始めた幽霊都市の、さらに深い迷宮の闇へと足を踏み出していった。




