2-3:網録
――キュオォォォン!!
――ピギギギ、ギギギギギギギギッ!!!
日本街区の細い路地裏、二人の孤独な影が静かに重なり合ったその温かな余韻は、鼓膜を鋭く刺すような悍ましい金属の絶叫によって無惨に引き裂かれた。
先ほど聞こえてきた異音の比ではない、何十倍にも増幅されたその高周波の異音は、古い長屋の瓦や格子戸をビリビリと細かく震わせ、幽霊都市の闇を暴力的に震源地へと変えていく。
上空の漆黒から降下してきたのは、4大派閥の一角『守護・管理派』が放った大型の広域検閲巡回ドローン――「監視の目」だった。
シュウの何倍も巨大な、鋼鉄でできた不気味な巨眼の飛行メカ。そのレンズが怪しい白色のサーチライトを網のように走らせ、二人の真上へと急降下してくる。
「っ、追手……!」
スノウは胸元にシュウを強く抱きかかえたまま、パーカーの裾を翻し、迷宮のさらに奥へと向かって全力で地面を蹴り出した。
バチバチバチッ! と、逃走ルートを阻むように街の電源が強制的に投入されていく。
行く先の路地の防壁や自動ハッチが、火花を散らしながら重々しい音を立てて次々と閉鎖され、二人を袋小路へと追い詰めようと迫る。
さらに最悪なことに、上空のオプティカル・アイのレンズから、もう一筋の悍ましい『紫光』が放射された。
バリバリバリ、と空間そのものがガラスの割れるような不穏な音を立てる。
紫の光条が当たった格子戸や色褪せた赤提灯が、突如としてその色彩を失い、冷酷な『幾何学結晶体』のデータへと強制的に書き換えられていったのだ。
下町をそのまま電子の神の庭へと変えようとする、もう一つの意志――『超越派』の強制データ化の波だった。
「――っ、街が消えていく……!?」
「超越派がグリッドの量子構造を直接上書きしています! 結晶に触れてはいけません、スノウ! 存在そのものをデータへ還元されてしまいます!」
前方の路地が、またたく間に無機質な多面体の結晶群へと変貌し、美しい日本街の風景を押し潰していく。
物理的な閉鎖と、世界そのものがデータへ還る恐怖。絶体絶命の包囲網のなか、シュウが叫んだ。
「スノウ、真っ直ぐ走っては網に捕まります! この路地の『空間経路データ』を私のハッキングで直接書き換えます! 敵の防衛アルゴリズムを騙し、死角を暴きます!」
シュウの大きな単眼レンズが烈火の赤へと染まり、チタン製の渦巻きシャッターが火花を散らすほどの速度でカシャシャシャッと開閉した。
直後、シュウのレンズから強烈なコバルトブルーの光線が放たれ、格子戸や漆黒の路地裏の空間全体に、まるで青い網の目のような美しいグリッド線(空間経路データ)が一瞬にして映し出された。
かつて『電脳調律官』が、巨大な単一AIをハッキングする際に用いた禁忌のテクニック――『デジタル・パンくずリスト』――シュウが防衛網の盲点を突いて演算した、量子暗号の断片による「光の道標」だ。
「この青い光の糸だけを信じて、足を進めてください!」
「うん……っ!」
スノウはダボダボのパーカーの長すぎる袖をぎゅっと握り締め、シュウの描く光の糸の上へと飛び込んだ。
ドォォォン! と真後ろのアスファルトがオプティカル・アイのサーチライトに灼かれ、白煙を上げる。迫り来るハッチの閉鎖音と、背後から無慈悲に迫る結晶化の波。だが、スノウの身体にその光が触れることはない。シュウがミリ秒単位で更新し続ける完璧な最適ルートの計算。
そして何より、スノウの肉体に秘められた、驚異的な機械細胞のポテンシャルがそれを可能にしていた。
12歳の華奢な少女のそれとは明らかに一線を画す、人間離れした俊敏性。
スノウは重力を無視するかのような足取りで、直角の曲がり角をスピードを落とさずに駆け抜け、行く手を阻むように閉鎖されかけた鉄のハッチの僅かな隙間へと、滑り込むようにして平然と跳び越えてみせた。
さらに、足元から突き出してきた鋭利な幾何学結晶の角を、まるで軽やかなステップを踏むようにして間一髪で踏み台にし、前方へと鋭く躍進する。
「素晴らしい身のこなしです、スノウ!」
「シュウの道が、ちゃんと見えてるから……!」
天才AIの計算と、最高傑作の器の身体能力。二つの孤独が噛み合った瞬間、それは圧倒的なバディ感となって、迫り来る4大派閥の網をことごとく翻弄していく。
しかし、敵の包囲網はあまりにも容赦がなかった。
バグった桜のホログラムが狂ったように舞い散る大通りへと飛び出した瞬間、スノウの足がぴたりと止まる。
キュオォォォン……! キチキチキチッ……!
周囲の建物の影から、さらに二機、三機と、同じ巨眼を持つオプティカル・アイが虚空から這い出て、またたく間に上空を埋め尽くしていったのだ。完全に逃げ道を塞がれた二人の前に、逃げ場所として残されたのは、下町の中心にそびえ立つ、巨大な電力中継タワー(鉄塔)へと続く一本の螺旋階段だけだった。
「ルートが遮断されました……! スノウ、タワーの上へ!」
「うんっ!」
背後から迫る無数の白いサーチライトに追われながら、スノウは鉄塔の階段へと足をかけ、漆黒の空へと向かって、ただひたすらに駆け上がっていくしかなかった。




