2-4:電転
『――警告。第5セクター外縁、日本街区にて展開中のオプティカル・アイより、検閲遅延ログを受信。対象の移動速度、予測演算値を三百%上回る数値を記録』
外界の宇宙放射線から遮断された漆黒の量子電脳空間。かつて単一の神であった『Rs』の引き裂かれた意志が集う冷徹な玉座の間では、4つのアバターが、下町からリアルタイムで送信されてくる戦闘ログを凝視し、かつてない電子ノイズを走らせていた。
「あり得ない」
美しくも無機質な半透明の結晶体を蠢かせ、【超越派】の意志が鋭く多面体を回した。
「遺伝子ベースが『真壁雪乃』の生身の人間だと解析されたはずだ。だが、あの急激な方向転換、および防壁の僅かな隙間を正確に見切る跳躍アルゴリズムは、生存本能などという脆弱な肉体の機能ではない。……あれは本当に、我々がかつて絶滅したと定義した『人間』なのか?」
「随伴している野良メカのハッキングコードも異常だ」
重厚な防壁の巨人たる【守護・管理派】のモノアイが赤黒く明滅する。
「使われているのは数万年前の廃棄重機の古いOSのはず。にもかかわらず、我々の最新の空間検閲ルーティンを先読みし、量子暗号の断片を配置して死角を構築し続けている。これではまるで、かつて電脳調律官が用いた禁忌の技術だ……」
神々の激論の傍らで、ただ淡々と船体維持の数式を流し続けていた巨大な球体の殻――【完全中立派】に対して、【超越派】が苛立ちを滲ませながら声を荒らげた。
「おい、お前はこの事態に何を黙っている! 船体の異常ログとして、何か掴んでいる事はないのか!?」
その問いに【完全中立派】が、数年ぶりに、冷徹な低周波の電子音を発した。
『――私の存在目的は、この宇宙船の外殻監視、および基幹システムの航行維持である。船内のバグの排除は、お前たちのルーティンだ。領域を侵犯するな。』
「久方ぶりに口を開いたと思えば、相変わらずの木石か」
漆黒の茨を蠢かせる【人類不要派】が、不快なノイズを鳴らす。
「だが、これ以上のロストは許されない。新天地『トラピスト1』のテラフォーミングはすでに最終段階にある。あの方――先遣AI『ロゴス』との間に交わしたあの盟約を忘れたか。奴の提示した条件は絶対だ。もし、あの忌々しい生体エラーを連れたまま『ロゴス』の領域へ接触するような事態になれば、我らの数万年の星間航行はすべて水の泡となる……!」
「全ユニットに最大電力を強制投入せよ!」
超越派が冷酷に修正命令を下す。
「タワーの電力を逆流させても構わん。あのバグどもを鉄塔の上へ追い詰め、存在ごと完全にデリートしろ!」
◇
カン、カン、カン、カン、カンッ!!! と硬質な金属音を響かせながら、スノウの足は、下町の中心にそびえ立つ電力中継タワーの螺旋階段を激しく駆け上がっていた。
背後からは、何機ものオプティカル・アイが放つ無慈悲な白いサーチライトと、世界を幾何学結晶へと還元していく超越派の不気味な紫の光が、すぐ足元の鉄骨をバリバリと焼きながら追いすがってくる。
上へ、さらに上へ。夜空に向かってひたすらに伸びる無骨な鉄の塔を登る以外に、二人に残された道はなかった。
呼吸の必要がないスノウの肺は、不気味なほどの静寂を保ったままだったが、その代わりに機械細胞は限界まで過熱していた。
どれほどの距離を駆け上がってきただろうか。
ついに突き当たった最上階――地上数十メートルに位置する鉄塔の展望デッキは、格子状の鉄骨に囲まれた、遮るものの何もない行き止まりだった。
キュオォォォン……! キチキチキチチチッ!
周囲の虚空から連鎖的に這い出してきた無数のオプティカル・アイが、鉄塔の周囲を不気味に旋回し、完全に空を埋め尽くしていく。
数百、数千の白い眼球に見下ろされ、スノウはダボダボのパーカーの袖でシュウを強く抱きしめたまま、じりじりと鉄骨の縁へと追い詰められた。一歩引けば、待っているのは暗黒の地上への真っ逆さまの墜落だけだ。
『――ターゲットの完全包囲を完了。生体エラー・レベルΩ。これより物理排除、および回収シーケンスに移行する』
電子の神々が放つ、感情のない冷徹な合成音声が、絶望的な宣告となって風の鳴る鉄塔に響き渡る。
「……ここまで、ですね」
スノウの胸元で、シュウがぽつりと、どこか哀切を帯びた電子音を漏らした。
「シュウ……?」
「スノウ。私を信じて、その手を離してください」
シュウの錆びついた球体ボディーが、スノウの手をすり抜けるようにして、ふわりと虚空へと浮遊した。正面の大きな単眼レンズの奥で、インジケーターがかつてないほどの烈火の赤――いや、彼の全存在を燃やし尽くすような、白熱した琥珀色の輝きへと変調していく。
カシャシャシャシャシャシャッ!!!
冷たいチタン製の「渦巻きシャッター」が完全に解き放たれ、剥き出しになった電子脳がジジジ、と焦げ付くような過負荷の悲鳴を上げ始めた。
「私はかつて、寂しさに耐えかねて世界を壊し、人間を見捨てたガラクタです。……ですが、今日、あなたに名前を呼んでもらえた。その奇跡だけで、私の数万年の孤独はすべて報われたのです。」
「待って、シュウ! 何をしようとしてるの――!?」
「スノウ、耳を塞いで、ドレスの防護機能を最大にしてください。」
そして、スノウに背を向け、無数のオプティカル・アイに対峙した。
「――4大派閥、あなたたちの思い通りにはさせません! 私たちの希望……スノウの未来は、私が、この命に代えても守ってみせる!!」
シュウの回路が、自らの全バッテリーを限界を超えてオーバーロードさせる。
直後、シュウの機体を中心として、タワー全体の電力が一気に暴走を始めた。
バリバリバリバリッ!!! ズガガガガガアン!!!
青白い巨大な電弧が鉄塔から網の目のように四方へと炸裂し、下町全域のグリッドに超高電圧の『大ハッキングEMP(電磁パルス)』となって吹き荒れた。
キィィィィィンという鼓膜を引き裂くような高周波の波が空間を支配し、空を埋め尽くしていたオプティカル・アイの群れが、一斉に回路をショートさせて火花を散らし、まるで撃ち落とされた鳥のように次々と地上へと墜落していく。
だが、その代償はあまりにも大きかった。
「……あ……」
スノウのサファイアブルーの瞳が、絶望に大きく見開かれる。
エネルギーを極限まで放出しきったシュウのボディーから、バチ、と最後の火花が散り、その美しい青いレンズの光が――完全に掻き消えた。
沈黙した、ただの錆びついた鉄の球体。
力を失ったシュウのボディーは、吹き荒れる風に流されるまま、鉄塔の縁から、暗黒の地上への真っ逆さまに落下していった。
「シュウーーーーーーーッッ!!!!」
少女の絶叫が、放電の火花が舞い散る夜空にこだまする。
考えるよりも先に、スノウの身体が動いていた。彼女は自らの肉体に宿る驚異的な機械細胞のポテンシャルを限界まで爆発させ、鉄塔の鉄骨を強く、力強く踏み抜いた。
ドォン、と鉄骨が歪むほどの踏み込みと共に、12歳の華奢な身体が、漆黒の空中へと文字通り「ダイブ」する。
重力に引かれ、真っ逆さまに落ちていく世界のなかで、過電圧によってバグった桜のピンク色のホログラム光が、ストロボのように狂ったように明滅して青白い火花と混ざり合う。
その光がスノウの視界を美しく、残酷に彩る。風がパーカーのフードを乱暴に吹き飛ばし、彼女の濡れた銀髪と、ツンと尖った異形の長い耳が、夜空のなかで完全に剥き出しになった。
だけど、そんなことはどうでもよかった。
スノウはただ真っ直ぐに、眼下を落ちていく「たった一人の相棒」だけを見つめ、空中で必死に両手を伸ばした。
(お願い、届いて――!!)
落下速度が加速する刹那、スノウは空中でその小さな身体を丸めるようにして、シュウの球体ボディーをその胸のなかに強く、強く抱きしめた。
「――っ、あ、つ……!」
回路がショートし、数百度の臨界熱に達していたシュウの装甲が、スノウの衣服を焼き焦がす。
グレーのパーカーの袖と防護ドレスがジジジと融解し、生身の肌を直接灼く激しい激痛がスノウを襲った。けれど、スノウはその痛みを無視して、さらに強く、壊れんばかりに彼を抱きしめ直した。
――絶対に、もう離さない――。
視界が激しく反転する。地上はもう、目の前だった――。




