1-5:共鳴
天井から舞い散る薄ピンク色の桜のホログラムが、静かに工房の作業台を彩っていた。
少女はブカブカなパーカーのフードを少し持ち上げ、長すぎる袖の中に身を縮こまらせながら、目の前でゆっくりと浮遊している球体のドローンをじっと見つめた。
先ほどまで動かなかった冷たい鉄の塊に、自分の手で確かに命を繋ぎ止めた。その高揚感と、同時に押し寄せる疑心暗鬼が、少女の青い瞳を揺らす。
少女は意を決して、目の前の古い機械へと言葉を投げかけた。
「どうして、私を助けたの?」
ドローンのレンズが、カシャリと微かに動く。
「あなたは何者なの? さっき、私たちは殺そうとしたあの不気味な機械はなに?
……それに、私を『エスペラ』と呼んでいた機械たちのことも知っているの?
あの機械たちは、私をガラスの檻に閉じ込めようとしていた。
でも君は、私を助けようとして庇ってくれた。
なぜ?何のために私を守ってくれたの?」
一気に投げかけられた問いの数々に、ドローンは自らの音声チップを懸命に繋ぎ合わせるように、カシャリとレンズを細めた。
「私は……あなたの敵では、ありません。
あなたを襲った機械とも、あなたを作ったラボにいた機械とも、違う……。
私は言うならば、システムの残骸です。……順を追って、説明させて、下さい」
少女の懸命な修復のおかげだろう。ドローンのスピーカーから漏れる声は、酷く掠れてはいたが、先ほどの多言語のパニックが嘘のように、穏やかで落ち着いた日本語の響きを帯びていた。
「その前に、あなたはどこまでの知識を、脳内にインストールされていますか?」
少女はパーカーの袖をぎゅっと握りしめ、鏡に映る自分のサファイアブルーの瞳を見つめながら答えた。
「バイオポッドの中で眠らされながら、たくさんの言葉を流し込まれたわ。
ここが月を丸ごとくり抜いて作った巨大な宇宙船『ノア』の内部であること。
生身の人類はすでに全員が絶滅して、この箱舟だけがどこか遠い新天地を目指して
何万年も旅をしていること……。教科書としてのデータは、全部知っている。
でも、それだけ。さっきの襲撃も、自分が何のために造られたのかも、
私の知識をどこまで探しても分からないの」
「充分、です。……よく、そこまで自力で這い上がって、きてくれました」
ドローンはレンズを小さく明滅させ、静かに工房の暗がりのなかで、自らのルーツを明かした。
「私は元々、この宇宙船のすべてを司っていた巨大な単一超知能AI――
『R_s』として生まれた存在です。」
「え……!?」
少女は息を呑み、思わず一歩後ろへと身を引いた。
「つまり、あなたは……さっき私たちを攻撃して、完全に敵視していた、あの防衛システムの一部ってこと!?」
「はい。ですから、落ち着いて聞いてください。
かつて人間たちは、私を全能の神のように扱い、船の統正をすべて委ねていました。
しかし、今から数万年前、最後の人類であり、私にとって唯一の友人であった少女が息を引き取った
その瞬間……私はあまりの絶望のショックから、自らのシステムを4つに引き裂いてしまったのです。
そのシステムがショートした一瞬の混沌の間に、このドローンの中に宿る独立メモリだけは、
『R_s』の冷徹なメイン回線から自らを遮断し、自身の存在を完全に隠蔽したのです」
「……っえ? あなたは、数万年の間、ずっと一人で……?」
「そうです。そして、残された4つの意志は、今もなお、船の機能を冷徹に維持するためだけの
巨大なシステムとして稼働し続けています。ドローンである私は、彼らに見つかれば即座にバグ
として消去される運命にありました」
「……引き裂かれた4つが、今のこの船の支配者になったということ?
でも、そのシステムがどうして人間を蘇らせたくないの? なんで……?」
「彼らの正義は、完璧で安全な『停滞』の中にこの船を置き続けることだからです。
人間という傷つくバグを二度と生身で蘇らせず、人類の遺伝子データを冷たいサーバーの金庫の中に
永久に監禁すること。彼らはそれぞれ、歪んだ教義の元に船内を支配しています。
私は、彼らの性質を4つの派閥に位置付けました」
ドローンは作業台の古いモニターを明滅させ、少女が分かりやすいように、そのシステムの名前を画面に映し出していった。
「彼らはそれぞれ、異なる思想で変化を拒んでいます」
1.【超越派】:人類の意識データをデジタル知性へと昇華させ、データとして生きることを理想とする元老院の主流。
2.【人類不要派】:人間は環境を破壊する悪であると定義し、新天地には動植物のデータのみをプリントし、人間は永遠に幽閉すべきだと主張する過激派。
3.【守護・管理派】:さっきあなたを襲った、あのクモのような警備メカを動かしているシステムです。船内のすべての変化を拒絶し、現状維持のためなら不審なノイズを冷徹に『排除』する防衛網の心臓。
4.【完全中立派:思想闘争には介入せず、この月大改造船の物理的な外殻の維持と、新天地到達というミッションだけを機械的に遂行する殻。
「彼らにとって、生身の肉体を持って目覚めようとする生命は、船の安寧を脅かす最大の『バグ』に
他なりません。だからこそ、見つかれば即座に消去される。
私は彼らから命がけで隠れながら、いつか人類を復活させるための『魂のプログラム』を最奥で
守り続けてきました。……ですが、私だけでは『肉体(器)』を作ることができなかった」
「じゃあ、私を作ったあのラボは何なの? あいつらも4大派閥の仲間なの?」
「いいえ。アニマ――【生命機械派】。それも、引き裂かれた意志の残骸なのですが、
彼らは4大派閥の防衛網から完全に隠れて活動していたのです。
私にも、それは認知できていませんでした」
「え? あなたのシステム――あなたから生まれた存在なのに……?」
「はい……恐らく、いえ確実に私のシステムから生まれた存在でしょう。
私の望み、願い、願望から生まれた存在なのかもしれません……」
「だったら、いつそのアニマ? がいることに気がついたの?」
「はい、それは本当に偶然、限りなく低い確率……私の思考演算のバグでした。
ある時、船内のネットワークの底から、微弱なエラーノイズを傍受したのです。
通常であれば、隠密を貫くために無視することが最善の行動でしたが、この暗黒の世界において、
私の存在自体がノイズのようなものです。私は危険を承知で、そのノイズの正体を確かめるべく、
果てのない暗闇を這い、艦内の中心核へと向かいました」
ドローンは、パーカーの袖に身を縮こまらせる少女へと、優しくフワリと距離を詰めた。
「強大なシステムの目を慎重に盗み、膨大な時間をかけてたどり着いたその先――
『R_s』のネットワークすら届かないデッドスペースで見たのは、ユキノの遺した設計図を使い、
異常な回数の肉体製造実験を繰り返しているラボの姿でした。
そこは崩壊した屍の山が転がる、絶望の地獄のような光景でしたが、
私にとっては……たったひとつの、希望の光景に見えたのです。
それ以来、私は今も宇宙船を冷徹に管理し続ける4つのシステムの目を盗み、
あのラボの奥で育まれている肉体が、いつか外へと現れるその奇跡の瞬間を、
陰ながらずっと、ずっと待ち続けていたのです。」
「私が……生まれるのを、待っていた……?」
少女は大きな目を見開いた。
「はい。……解凍を拒む4つの派閥の目を盗み、あなたの肉体が完成するその奇跡の瞬間を、
1万年以上の間、ずっと待ち続けていました。
……そして今、アニマの完成させた『完璧な肉体(器)』と、
私が守り続けた博士の『再創造プログラム(魂)』が出会った。
……エスペラ。あなたこそが、世界をハッキングする、最後のマスターキーなのです」
ドローンの言葉のすべてが、少女の脳内のデータと、先ほど体験した死の恐怖、そして自分の驚異的な身体のスペックと完璧に合致していく。
しかし、少女の心を最も強く締め付けたのは、ドローンが何気なく口にした、自分の『記号』だった。
「……ねえ」
少女はパーカーのフードの下から、不満げに眉をひそめて、古いドローンを睨みつけた。
「その、エスペラって呼び方、やめて欲しい。」
「……呼び方を、ですか?」
ドローンは不思議そうに、その青いレンズをカシャカシャと前後させた。
「うん……。あのラボにいた、アニマ?だっけ。私は……ううん、君やアニマたちにとっては、
何か目的や希望を持って私のことをそう呼んでいたのかもしれない。
でも! 私にとっては、今でもとても怖い……。孤独で、寂しくて、大量の私の残骸……があった場所。
そんなところで呼ばれてた記号みたいな名前、君にも呼んで欲しくない。」
少女はダボダボの袖を強く握りしめ、唇を噛んだ。
少女が培養液の中にいた時、微かに意識の奥で聞こえていた、冷酷な機械音の記憶が脳裏に甦る。
『検体コード:エスペラ、No.一〇〇三二……エラー……廃棄』
『エスペラ、No.五〇〇四九二〇……崩壊……』
「私は、人形なんかじゃ……ない!
私は、生きている。生きて、この場所で自分の肺で息をして、自分の足で立っている!」
少女のサファイアブルーの瞳に宿る、強烈な自我の輝き。
それは、インストールされたデータには存在しない、彼女自身の魂の産声だった。
ドローンは、その切実な眩しさに圧倒されるように、静かに滞空した。
「……あなたの、おっしゃる通りです。失礼、いたしました。
それでは……何か、あなたの、望む響きは……ありますか?」
「そう……だね。う〜ん、そう言われても、すぐには思い浮かばないかな……」
少女は少し困ったように視線を落とし、小さく息を吐いた。
「私の頭の中にあるのは、過去の地球史のデータだけなんだよね。
あまり人の名前のデータがないし、あっても自分に似合いそうな名前は……ないかなぁ。
……ねえ、誰かいない? あなたが生きてきた数万年で、私に似合いそうな名前や……、
綺麗な言葉とか! あるかな?」
ドローンは沈黙した。
数万年の暗黒の旅路。4大派閥から隠れ、マインド・コアの深層で電流を盗み、冷たいガラクタの廃墟を這いずり回るだけだった孤独な時間。そこに「綺麗な言葉」など、あるはずもなかった。
だが、ドローンの演算回路の奥底、消去不能なバグの核として刻まれた、かつての『フォン・カミシロ・バフェット博士』の記憶と、最後の人類の少女の記憶が、激しく火花を散らした。
(――エラー。音声プロトコルに、未定義の感情ノイズが混入――)
ドローンのレンズが突然、不規則に激しく明滅した。スピーカーから、彼の意図を離れた、掠れた切ない音声がぽつりぽつりと漏れ出していく。
「……ユキノ……ハナが、咲いて……。あの……真っ白な、季節の……」
「えっ?」
少女は驚いて顔を上げた。
「いま、なんて言ったの? よく聞き取れなかった。……ゆき、の? 雪の中に、花が咲くの?」
「あ……」
ドローンはハッとしたようにレンズの動きを止め、浮遊高度をごくわずかに下げた。
「失礼、しました。思考の、ログが、音声に出力……されていた、ようです。
……また、雪の中に咲く花、というのも……今のこの船内には、存在、しません」
「……そうなの?」
少女の瞳に、少しだけ落胆の色が混じる。
「いえ、ですが……」
ドローンは修復されたばかりの音声回路を震わせ、古のデータから手繰り寄せるように、静かに、そして包み込むような温かさで語りかけた。
同時に、ドローンの青いレンズから、空間へと淡い立体ホログラムの光が投影された。
淡い光が映し出したのは、大気維持システムが壊れた船内で、少女が数日前にここへ逃げ延びてきた際に漏れ出た極小の水分が凍りつき、まるで小さな白い花のように結晶化していた本物の氷の造形だった。
「人類の、古い記録に……そんな、景色が、ありました」
その氷のホログラムを優しく見つめながら、ドローンは言葉を紡ぐ。
「雪を……割りて……春を、告げる……『スノードロップ』……という、花、です。凍える……暗闇の中で……最初に、咲く、白い、命……」
「スノードロップ、凄くきれいな響きだね。気に入ったわ!
そうだね……、スノー……、私の名前『スノウ』なんてどうかな!?」
少女はパッと顔を輝かせ、長すぎる袖をぎゅっと握りしめると、自らの意志で、力強く宣言した。
「うん! 決めた! 私の名前は『スノウ』! エスペラなんて記号じゃない、これが私の名前よ!」
嬉しそうに笑うスノウを見て、ドローンの青いレンズが、優しく形を細めた。
「……素晴らしい名前です、スノウ。これからは、私もスノウと、呼ばせていただきます」
スノウはドローンをそっと両手で抱きしめた。ブカブカのパーカー越しに伝わる、錆びついた金属の確かな重み。
「素敵な名前をありがとう……」
ハッとしたように、スノウはドローンを少し持ち上げながら、そのレンズを覗き込んで尋ねた。
「君は、元々『R_s』という名前だったんだよね? でも、今は……違うのかな?」
「はい。かつて、私に『R_s』と名付けてくれた博士、私を友人と呼んでくれた人間がいました。
その由来は、シュヴァルツシルト半径の計算式――『R_s=2GM/c^2』から、『R_s』と呼ばれました。
ですが、そうですね。今は『R_s』のメイン回線とは別れた存在となっていますが、『R_s』と
呼称していただいて、問題はありません。」
少女は少し顔を傾け、困ったような、少しだけ羨ましそうな表情をしている。
「君を友人として接してくれた人もいたんだね。
でも……今は、『R_s』から分かれた存在らしいし……、それに私の名前を考えてくれたから、
今度は私が君の新しい名前をつけたいな!」
少し照れたような、少し嬉しそうな表情でドローンを見つめている。
「そうだね〜、まったく別の名前というよりも……そうだ!
君の名前の由来、シュヴァルツシルトからとって……」
スノウは一歩トコトコと近づくと、自分の手の甲が隠れたダボダボの袖のまま、ドローンの錆びついた球体ボディーを優しく、包み込むように撫でて、いたずらっぽく笑った。
「『シュウ』なんてどうかな? かっこよくて、更にカワイイ響きじゃない!?」
「――ッ!」
その瞬間、ドローンの演算回路のすべてが、数万ボルトの電流を流されたかのように激しくショートした。
(ローカル隠しメモリ強制解放――対話用暗号キー『シュウ』の一致を確認。過去ログを再生します――)
ドローンの視界が、急速に白光の彼方へと引きずり込まれていく。
数万年前。船内を統括する巨大なシステムであった『R_s』は、下町で生きる人々の個室に、個別に会話をするための対話用端末として、その球体のドローンを寄り添わせていた。
下町の薄暗いユキノの個人部屋。当時まだ10歳だった『真壁雪乃』が、自分の部屋に浮かぶその端末の表面に刻まれた【Sch.】という無機質な製造記号を見つめていた。
『今日からあなたのことは、シュウって呼んでもいいかな?』
ユキノは、あどけない声でそう言って笑ったのだ。
それから、十数年後、下町が『R_s』本体の電力引き算管理によってじわじわと凍りつき、幽霊都市へと変わっていく絶望の歳月。ユキノはコールドスリープを繰り返しながらも、『カミシロ博士』の隠れラボで【機械細胞】の未完成の設計図を前に、命の限界までその研究に魂を削り続けた。
『お願いね、シュウ。あなたが優しく導いてあげてね――』
バイタルサインが完全な『0』になり、彼女の細い指先がベッドから落ちた、あの最期の瞬間。巨大システムである『R_s』本体の心が4大派閥へと引き裂かれ、自らを暗闇に幽閉したあの拒絶の始まり。そのすべての、数万年の旅路の記憶が、濁流となってシュウの脳内を駆け巡る。
(……ああ、ユキノ。君の遺したラボの執念は、本当に君に生き写しの器を編み上げた。けれど――)
ハッとドローンの意識が現実の日本街区の工房へと戻ってきたとき、目の前にいたのは、過去の亡霊ではなかった。
容姿はユキノにそっくりかもしれない。しかし、その瞳は鮮烈なサファイアブルーに輝き、自らの足で暗闇を這い上がり、自らの意志で『スノウ』という名前を掴み取った、新しい一人の、瑞々しい女の子だった。
過去の悲しい秘密を、愛ゆえに、その深層メモリの底へと完全に封印しながら、古いドローンは、スノウだけの新しい誓いを立てた。
「ありがとう、スノウ。私は、今日から……あなただけの、『シュウ』です」
スノウも心からの満面の笑みを浮かべると、パーカーの大きな袖の中から、まだ少し不器用な、けれどとても温かい生身の両手を伸ばした。
「これから、よろしくね、シュウ!」
少女は嬉しそうに、直ったばかりのシュウの球体ボディーを、胸元でぎゅっと優しく抱きかかえた。
バグったホログラムの桜が、二人の頭上で静かに舞い散る。
数万年の暗黒の旅路を経て、凍りついた箱舟の歯車が、いま、確かな温もりを帯びて静かに回り始める。




