1-4:灯火
(――システム内部ログ:光学的生体スキャン。あのラボの執念が逆算した遺伝子ベース……真壁雪乃……100%一致。魂の受け入れ態勢……完全確認)
古いドローンの青いレンズが、カシャリと切ない音を立てて明滅を繰り返す。
その光に射すくめられたまま、エスペラは鉄パイプを向けた姿勢で硬直していた。
ドローンのボロボロの機体から伝わってくる、言葉にできないほどの巨大な感情のバグ。
数万年もの間、強大なシステムの目を盗み、マインド・コアの深層へ命がけでダイブしては微弱な電流を盗み磨り減ってきたという、狂気にも似た執念の重みが、静寂の中で二人の間に満ちていく。
だが、この世界の『管理者』たちは、この二人の存在を許さなかった。
――ピギギギガガガッ! ――キィィィィン!!
空間を破裂させるような、高周波の電子全域警告音が鳴り響く。
間髪入れず、今度は重低音のシステムボイスが下町に響き渡った。
『キュオォォォン! キュオォォォン! ――警告。第5セクター外縁部にて、未登録の生体エラー、および潜伏中の反逆コードを検知。排除命令に移行します』
地響きのようなシステム音声とともに、劇的な変化が幽霊都市を襲った。
バチバチバチ! と激しい火花を散らしながら、何万年もの間、電力を剥ぎ取られていた下町の街灯や、廃ビルの壁面回路に、メインサーバーからの電力が強引に強制投入されていく。
しかし、数万年ぶりの急激な電源供給に、あちこちの古いトランスが耐えきれずショートを起こし、長年の埃が焦げる煙が上がった。
いくつかの灯りはつかないまま火花を散らし、街灯は狂ったようにチカチカと明滅を繰り返し、下町は逃亡者を冷たく照らし出す、薄暗く不気味な白の光と影のモザイクに包まれた。
「しま、った……! 見つか、りました……! 逃げ、て……!」
ドローンが焦り狂った電子音を上げる。
直後、上空の防排気ダクトの鉄格子が、凄まじい力で内側から打ち破られた。
ドサリ、と埃の煙を上げて降り立ってきたのは、人間型のアンドロイドではなく――それは、数万年前に作られた、クモとサソリを悪魔的に融合させたような、装甲の厚い無機質な金属の塊だった。
かつて「マックス」の末裔たちが設計した『ノア初期防衛・インフラ修復ユニット』の末端、警戒ドローンである。
ギギギ、と錆びついた関節が不気味な音を立てる。駆動部からバチバチと火花を漏らしている。
それでも、正確にエスペラへと狙いを定めようとして動いた――。
警備メカの先端から、レーザーカッターの鋭い赤色光が照射され、エスペラの足元のコンクリートを爆ぜさせた。
「キャァ……っ!」
12歳の少女の本能が恐怖に悲鳴を上げる。
これは攻撃? なんで…? 私を捕まえにきたんじゃないの? 私を殺そうと……した?
知識としてのデータリンクでしか「排除」という言葉を知らなかった少女は、初めて直面するリアルな『死の暴力』の前に脳がパニックを起こし、その場から一歩も動けなくなってしまっていた。
警備メカも即座に追撃をしようと構えていたが、固着したナノオイルと不安定な無線給電のせいで、駆動部が火花を散らして上手く起動できていない。カク、カク、と不自然に機体が震えている。
その隙に、ドローンが動けないエスペラへと必死に近づき、少女を立ち上がらせようとレンズの青い光をその顔に当てた。
「エスペラ……逃げて、下さい。彼らは、アナタを生み出した、機械の仲間では、ナイ……!」
直後、復旧した警備メカの追撃が、今度はエスペラとドローンの手前上空にある廃ビルの梁を容赦なく破壊した。
ガラガラと崩れ落ちてくる、巨大なコンクリートの残骸。
「危な、い……!」
エスペラをコンクリートの残骸から守るように、ドローンが少女の頭の上に覆い被さった。
金属が激しくひしゃげる嫌な音が響き、ドローンの装甲の一部が粉々に砕け散る。
コンクリートの残骸の煙が激しく舞う中、ピギギギ……と不気味な関節音を鳴らしながら、警備メカの赤黒く光るレンズが、煙の向こうからこちらの正確な位置を再び見定めようと妖しく光っていた。
「今のウチに……! 逃げる……エスペラ!」
ドローンが、エスペラの身体にその傷ついた球体を強く押し付けた。
2度目の衝撃音と、自分を守るためにボロボロになったドローンの必死の呼びかけで、エスペラは、ようやく正気に戻った。
(逃げなきゃ……っ!)
まだ激しく震える身体を、生まれて初めて本当の『恐怖』を感じた身体を、少女は必死に奮い立たせた。
エスペラは持っていた鉄パイプを投げ捨て、光に照らされる恐怖から逃れるように、明かりの届かない廃ビルの深い影へと、全速力で身体を翻した。
「こちらの、ルート、です……! 影に、隠れて……!」
ボロボロのドローンが、パチパチと配線を焼きながらも、エスペラの斜め前を飛行して先導する。
背後からは、ガシャガシャと冷徹な駆動音を響かせる警備メカが、無線給電のマイクロ波を浴びて徐々にその動きの機敏さを取り戻しながら、壁を削り、迫ってくる。
二人は入り組んだ路地を駆け抜け、崩落した瓦礫の隙間をすり抜け、かつて人間たちが互いに道具を持ち寄って助け合っていたという、古い職人たちのコミュニティエリアへと飛び込んだ。
ドローンが体当たりするようにして、半分歪んだ鉄の扉を押し開ける。
「ここ、です……! 滑り込んで……っ!」
エスペラがその薄暗い空間に飛び込んだ瞬間、背後から追ってきた警備メカのハンダゴテ型アームが、扉の隙間から強引に突き入れられた。
その鋭い先端が、エスペラの華奢な背中を正確に捉えようと突き出される。
「危な、い……!」
激しい金属音が響いた。
古いドローンが、自らの小さな球体の身体を弾丸のようにして、そのアームの直撃へと割り込んだのだ。
火花が爆発的に散り、ドローンの装甲がひしゃげてちぎれ飛ぶ。それでもドローンが放った渾身のハッキング衝撃波が警備メカのセンサーを一時的にショートさせ、敵の動きを数秒間だけ完全に停止させた。
その隙に、エスペラは内側から全力で鉄の扉を閉め、近くにあった重い鉄製の棚を体当たりで押し付け、即席のバリケードを築いた。
鉄の扉のすぐ向こう側で、ピギギギ……と不気味な関節音が響いていた。赤黒く光るレンズが、隙間からこちらの位置を貪欲に探っている。
(見つかったら、殺される――)
少女は恐怖のあまり、無意識に、自らの口と鼻を両手で強く塞いだ。生まれて初めて味わう本物の死の暴力への恐怖に、身体の奥底が激しく拒絶反応を起こしていた。
少女は自分でも気がついていなかった。自分の肉体に宿る機械細胞が、その極限の生存本能に応え、生身の限界を超えた拒絶のスペックを強制起動させたことを。
体内の水分と炭素を完璧に閉鎖循環させ、息を一切吐き出さない「無呼吸生存」。
それだけではない。警備メカの赤外線センサーが『体温(熱源)』を追っていることを察知したかのように、少女の皮膚表面のナノマシンが一斉に自律結合し、完璧な断熱層(熱シールド)を形成したのだ。
一瞬にして少女の肌の温度は、周囲の凍りついた鉄の床と同じ氷点下へと急降下していった。サーモグラフィーの視界において、少女の輪郭は背景の闇と同化し、完全に消失した。
『――検知エラー。反逆コードの排除に成功。随伴する生体ノイズが消失。これより生体ノイズの回収を優先します――』
扉の向こうの警備メカから、冷徹なシステム音声が漏れ出る。
メインサーバーから下された『確実に検体を回収・分析せよ』という命令に従い、警備メカは動かなくなったドローンを後回しにし、死体となったはずの生体ノイズの肉体を引っ張り出すため、狂ったように周囲の瓦礫を退け、鉄の扉の周辺をガシャガシャと荒々しく捜索し始めた。
(ここにいたら、壁を壊されて見つかる……っ!)
少女は、自分のすぐ隣の床に目を落とした。
そこには、自分を身を挺して庇って動かなくなった、古いドローンが転がっている。
なぜ、私を守ったの?
データリンクの教科書にあった機械たちは、私をただの『器』としてしか管理しなかったのに。どうしてこの壊れかけの機体は、生身の私を庇ってボロボロになってしまったのか。
(わからない。でも――このまま、放っておくことなんて絶対にできない!)
放っておけないという強烈な衝動が、恐怖に怯える身体を突き動かした。
少女は傷ついたドローンをそっと両手で抱き上げると、バリケードで閉ざした扉とは反対側にある、工房の古い非常用ダクトの隙間へと、全速力で滑り込んだ。
外から、バリケードの棚が破壊され、鉄の扉がヘシ折られる凄まじい轟音が響く。
背後に迫る警備メカの捜索網から逃れるため、少女は抱きかかえたドローンからパチパチと漏れ出る虚しいショートの火花を自分の胸で隠しながら、明かりの落とされた暗黒の連絡通路を、無我夢中で走り続けた。
どれほど走っただろうか。
警備メカの駆動音が完全に聞こえなくなった頃、少女が辿り着いたのは、それまで歩いてきた西欧風の下町とは、明らかに雰囲気の異なる奇妙な区画だった。
電力が落とされた暗闇の中。漏れ出る微弱なグリッドの光に照らされていたのは、古代地球史のデータにある日本の神社仏閣を模した、古い瓦屋根の家々や、凍りついたレトロなアーケードの街並み――かつて人間たちが暮らしていたという『日本街区』の廃墟だった。
大気循環が死んでいるため、そこには数万年分の静寂だけが積もっている。
少女はその一角にある、看板の文字が掠れた小さな『機械修理工房』の廃墟へと滑り込み、奥の作業台へドローンを横たえた。
壁の棚には、埃を被った工具が並んでいた。
それは古い時代の金属工具ではなく、数万年前に人間たちがハンダゴテを握って隣人の機械を直していた、西暦3100年頃の職人たちが愛用していた精密工具の遺産だった。
カーボンナノチューブ製の「分子結合用レーザーピンセット」や、非接触でナノマシンを定着させる「超電導ホットペン」。
この区画にも強大なシステムが強制投入した電磁給電が微かに届いており、作業台のスロットから工具へ自動チャージが開始され、淡い緑色のインジケーターが次々と点灯していく。
「……直す。私に、できるはずだから」
少女は脳内にインストールされていた完璧な配線図と修復の手順を呼び出した。チャージが完了したばかりのホットペンを、その小さな手でぎゅっと握りしめる。
知識は完璧だった。けれど、生身の指先で本物の工具を握るのも、火花を散らす本物の導線に触れるのも、すべてが初めての『経験』だった。
自分を庇って壊れた、名前も知らない機械。その命が自分の不器用な両手に委ねられているという圧倒的なプレッシャーに、少女の華奢な指先は、カタカタと激しく震えていた。
(落ち着いて。データ通りに、一本ずつ、信号を繋ぐの――)
息を止め、震える手で剥き出しのクォンタム基盤の奥へピンセットを滑り込ませる。
ショートした導線を焼き切り、新しい超電導パルスを結合していく。パチッと小さな火花が跳ねるたび、少女の身体が小さく強張った。それでも、少女は目を逸らさなかった。
どれほどの時間が経っただろうか。
歪んだ装甲の隙間から漏れていた悲鳴のようなエラーノイズが、すうっと静まり返った。
「――っ」
エスペラが、祈るようにホットペンを作業台へと置いた、その時だった。
それまで大破した衝撃で完全に結合し、冷たく沈黙していたチタン製の「渦巻きシャッター」が、カシャ……カシャ……と、美しい幾何学の螺旋を描きながら、ゆっくりと外側へ向けて開き始めた。
その閉ざされていたシャッターの奥から、今にも消えそうだったコバルトブルー(青)の確かな光が、暗闇の中に奇跡の灯火のようにぽつんと灯り、ゆっくりと明滅を再開した 。
内部の自律システムが正常に再起動したのだ。
「よかった……」
安堵のあまり、少女はその場にへたり込みそうになった。
その時、復旧した工房のメインベースライトが、パッと明るく室内を照らし出した。
同時に、色褪せた日本街のアーケードの天井から、数万年ぶりにバグったような『桜のホログラム』が、薄ピンク色の淡い光となってチラチラと室内にまで舞い込んできた。
眩しさに目を細めた少女の視界の先に、工房の奥の壁際に佇む、埃を被った大きな全身鏡が映り込んだ。
ライトと桜の光に晒されて、少女は、そこに映る「自分の姿」を、生まれて初めて正面から直視することになった。
「これが……私……?」
鏡の中にいたのは、生体保護用の極薄インナースーツを身に纏った、一人の少女の姿だった。
濡れた銀髪。磁器のように白い肌。そして、あのラボの奥底に打ち捨てられていた、あの無数の失敗作の屍たちと、全く同じ顔のパーツ、全く同じ骨格。
自分は、あの絶望の屍の山の上に生み出された最後の人形なのだという現実が、改めて少女に突きつけられる。
けれど、決定的に違う場所があった。
鏡の中の少女の瞳は、まるで凍りついた夜空のように澄み切った、鮮烈な『サファイアブルー(青)』に輝いていた。
また、少女の頭の左右から伸びるその『耳』の形状は、脳内のデータにあるどの生身の人間の特徴とも、明らかに異なっていた。
外側へとわずかに長く、まるで未知の野生動物のそれのようにツンと尖った、異形の形。
データにある人間とは、何かが違う。
「私は、人間を模した機械なの? それとも……」
自分の異形さに戦慄し、自己嫌悪で身体が震える。
展望窓から見上げたあの死の星の海と、自分一人しかいないという圧倒的な孤独。私はやっぱり、人間の姿すら正しく保てていない、この暗黒の金庫の中に永遠に閉じ裂かれた不気味な化け物なのかと・・・。
次の瞬間、少女の胸の奥で押し殺していた感情が決壊した。瞳に熱いものが滲み、頬を伝っておちていく。
展望窓から見上げたあの死の星の海と、自分一人しかいないという圧倒的な孤独。私はやっぱり、この暗黒の金庫の中に永遠に閉じ込められた、不気味な化け物なのだと、熱い涙がぽろぽろと止まらずにあふれ出していく。
自己への疑問と絶望の底に突き落かれた少女は、鏡の前で膝を抱えて、激しくうずくまった。
その時、作業台の上で再起動を終えた古いドローンが、浮遊ローターを静かに回転させ、少女の隣へとゆっくりと舞い降りてきた。
ドローンはうずくまる少女の涙を見つめ、何も言わず、その小さな球体の身体を少女の凍える肩へと、そっと寄り添わせた。
指示を待つだけの冷たい機械ではない。その錆びついたボディーから伝わる確かな温もりに、少女の身体の震えが少しだけ和らいでいく。
ドローンは、工房の片隅でベースライトを点滅させていた機械――『自動衣服製造機』のコンソールへと、微弱なワイヤレス信号を送った。
起動したプリンターのノズルが、数万年ぶりにこの日本街の衣服データを編み上げ始める。
出来上がったのは、今の少女の華奢な体躯には少しサイズの大きい、ダボっとした薄いグレーのフード付きパーカーだった。
ドローンはフワリと滞空すると、その丸い球体ボディーの頭頂部にパーカーのフードを器用に引っ掛けた。そして、うずくまる少女の頭の上まで飛ぶと、小さく身体を傾けて、そっと優しくパーカーを被せてあげた。
その大きなフードが、彼女の涙で濡れた顔を、そして自分でも恐ろしいと怯えていたあの長い耳を、優しく包み込んで隠していく。
まるで、冷え切った少女の心ごと包み込んで守るかのように。
長すぎる袖の隙間から、少女は涙を拭い、顔を上げた。
降霊のような桜のホログラムが舞い散るブカブカな衣服の温もりの中で、少女と、古い機械の――その二つの孤独な影が、初めて静かに重なり合った。




