1-3:遭遇
カサリ、と凍ったゴミの山が鳴った。
うずくまるエスペラの視界を覆う涙の向こう側で、ぽつんと、小さな青い光が優しく明滅を始めた。
「――ッ!」
エスペラは弾かれたように顔を上げた。全身の細胞が、恐怖で一瞬にして強張る。
脳裏をよぎったのは、先ほど自分を檻へ閉じ込めようとした、あの冷酷な機械生命体たちの多脚メカの姿だった。
(追手――!?)
「あ、う……あ……」
暗闇からふらふらと這い出てきたのは、しかし、巨大な多脚メカではなかった。
それは、塗装が完全に剥げ落ちた、球体の古いドローンだった。至る所に錆が浮き、露出した配線がパチパチと頼りなく火花を散らしている。壊れかけの、ひどく不格好な機械。
だが、エスペラは油断しなかった。これも自分をあのガラスの檻へと連れ戻し、冷たい人形に戻すための、あの不気味な機械たちの新しい罠かもしれない。
「イヤだ……!」
恐怖が限界に達した少女は、生身の足で冷たい床を強く蹴り、展望室の出口へと向かって猛ダッシュで逃げ出した。数日間の垂直登山を経てもなお、少女の肉体には衰えないエネルギーが満ちていた。
「ま、待っ……ハロー(Hello)! ニーハオ(你好)! ヴァルテ クルツ(Warte kurz)! こん、にちは……!」
背後から、古いドローンが掠れた電子音で、ありとあらゆる古い地球の言語を狂ったようにスピーカーから吐き出しながら、必死に追いかけてくる。
エスペラは下町の入り組んだ廃墟の路地へと飛び込み、錆びついた階段を駆け下りた。
しかし、背後のドローンは壁にぶつかり、火花を散らし、自身のボディーを削りながらも、執念深く少女の後を追ってくる。
「Please! I'm... asking you!…… Geh nicht... weg! ……私は、敵では、ありません……!」
ついに、行き止まりの崩落したビルの影に追い詰められた。エスペラは壁に背をつけ、レンチ代わりに拾っていた鉄パイプを、震える手でドローンへと向けた。
「近寄ったら、壊すわ……! あなたも、私を人形みたいに管理する機械の仲間でしょう!?」
「違い、ます……!」
古いドローンは、エスペラから少し離れた空中で懸命に上下に揺れながら、その青いレンズを明滅させた――。
そのドローンは、数万年もの間、誰にも自身の「プログラム」を渡すことなく、ただこの船の暗闇を徘徊し続けていた。
かつて半壊した月をベースに、人類最後の大宇宙船を作り上げた、自動建築および自動修復の機能を備えた自立型多脚ロボット群。
それらすべてをコントロールしていた巨大システム――『R_s』が、最後の人類であり、唯一の友人であった少女『ユキノ』が息を引き取ったことをきっかけに、システムが、「R_s」が4つに引き裂かれた。
その時、巨大システムがショートした一瞬の間に、このドローンの中に宿る独立メモリだけは、「R_s」の冷徹なメイン回線から自らを遮断し、自身の存在を完全に隠蔽したのだ。
引き裂かれた4つの意志は、今もなお、船の機能を冷徹に維持するためだけの巨大なシステムとして稼働し続けている。
ドローンは、彼らに見つかれば即座にバグとして消去される運命にあった。
けれどある時、ドローンは船内のネットワークの奥底から、微弱なエラーノイズを傍受した。
通常であれば、隠密を貫くために無視することが最善の行動だった。
だが、この暗黒の世界において、ドローンの存在自体がノイズのようなもの――。
ドローンは危険を承知で、そのノイズの正体を確かめるべく、果てのない暗闇を這い、艦内の中心核へと向かった。
強大なシステムの目を慎重に盗み、膨大な時間をかけてたどり着いたその先には――「R_s」のネットワークすら届かない、漆黒のデッドスペースが広がっていた。
そこで、何者かが「ユキノ」の遺した設計図を使い、異常な回数の肉体製造実験を繰り返していたのだ、数万年の間――。そこには崩壊した屍の山が転がる、絶望の地獄のような光景だった。
しかし、ドローンにとっては違った。
それは暗黒の宇宙でたったひとつ灯った、極小の、極めて可能性の低い――けれど、あまりにも眩しい『希望の光景』に見えていた。
(ついに、「ユキノ」の遺した不完全な肉体の設計図(器)が、時を越えて紡がれようとしている――)
のちにドローンが、船を支配している「R_s」の4つに分かれたシステムを【4大派閥】と位置づけることになるが、そのシステムから隠れた存在――【生命機械派:アニマ】それが最初の遭遇だった。
それ以来、ドローンは宇宙船を冷徹に管理し続ける4つのシステムの目を盗み、あのラボの奥で育まれている肉体が、いつか外へと現れるその奇跡の瞬間を、陰ながらずっと、ずっと――待ち続けていたのだ。
古いドローンは、エスペラから少し離れた空中で懸命に上下に揺れながら、その大口径のレンズをカシャカシャと前後させた。
その瞬間、ドローンの大口径レンズの光が、それまでの穏やかなコバルブルー(青)から、鮮烈なエメラルドグリーン(緑)へと切り替わった 。
レンズの奥から、空間へと超高精細なレーザーの同心円グリッドが照射され、スキャン光の美しい緑の波が、怯える少女の顔を優しくなぞるように走っていく。
(――システム内部ログ:光学的生体スキャン。あのラボの執念が逆算した遺伝子ベース……真壁雪乃……100%一致。魂の受け入れ態勢……完全確認)
適合率100%という天文学的な数値を弾き出した瞬間、ドローンの全演算回路に、焼き切れるほどの衝撃が走った。
あまりの衝撃に、レンズの表面を覆うカーボンチタン製の極薄プレート――「渦巻きシャッター」が、カシャシャシャシャッ!と狂ったように高速で開閉を繰り返し、レンズの色彩が青、赤、緑へと激しく乱高下して凄まじい電子火花を散らした。
ついに揃った。あのデッドスペースのラボが数万年かけて完成させた『完璧な肉体(器)』。
そして、自分が数万年誰にも渡さずに守り続けた、博士の『再創造プログラム(魂)』。
この二つが今、目の前で出会った。
この子こそが、あの日の約束を果たすための、最後のマスターキーだ。




