Episode06_持ち帰りの間
第6話 持ち帰りの間
聖者の業務内容が、だんだんわかってきた。
朝、大聖堂で祈る。正確には、祭壇の前に座っているだけで、祈りの言葉は司祭が唱える。俺は黙ってうなずいていればいい。
昼、謁見。貴族や商人や地方の役人が、聖者の祝福を求めてやってくる。
夕方、領収の秘蹟。ハクシ、ハクシ、ハクシ。
夜、ペトルスによる本日の語録の読み上げ。
要するに、営業と窓口業務と、謝罪会見だ。
前の会社と、そんなに変わらない。
*
謁見の間は、大聖堂の東翼にある細長い広間だった。
奥の一段高いところに椅子があり、俺はそこに座らされる。脇にはアリスタが控え、反対側にはペトルスが帳面を構えて立つ。
最初にやってきたのは、鎧を着た兵士だった。
二十歳くらいだろうか。顔は日焼けして、靴は泥だらけだ。国境の砦から三日かけて歩いてきたのだという。
「聖者様。どうか、砦の仲間たちに祝福を」
俺は椅子から立ち上がり、ほとんど条件反射で、頭を下げた。
「遠いところから、お疲れ様です」
兵士が、びくりと震えた。
ペトルスの羽根ペンが走る。
「聖者様は仰せだ! 『汝、疲労を積み上げたり』!」
兵士の目から、ぼろぼろと涙がこぼれた。
「お、俺の……俺の疲れを、聖者様が、見てくださった……!」
「いや、あの、ただの挨拶で」
「三日歩いてきた甲斐がありました……!」
兵士は床に額をこすりつけ、嗚咽しながら去っていった。
お疲れ様です。日本の会社員が一日に二十回は言う挨拶だ。それが、この世界では「あなたは苦労を積み上げた」という、最大級のねぎらいの言葉になるらしい。
*
次は、恰幅のいい商人だった。
金の指輪を五つもはめた手をもみながら、新しい交易路を開きたいので、聖者様のお墨付きをいただきたい、と言う。
お墨付き。つまり、天秤院の後ろ盾だ。
そんなもの、俺の一存で出していいはずがない。院長に相談しなければならないし、そもそもこの国の交易のことなんて何も知らない。
だから、言った。
十年間、取引先に対して何百回と使ってきた、あの言葉を。
「一度、持ち帰って検討させていただきます」
広間が、ざわっと揺れた。
ペトルスが、羽根ペンを掲げて叫んだ。
「聖者様は仰せだ! 『これを持ち帰り、検め、討つ』と!!」
「討つ?」
「おお……! 聖者様が、自ら案件を検め、討ち果たしてくださる……!」
商人は感激で顔を真っ赤にし、何度も頭を下げて去っていった。
ちがう。
「持ち帰って検討します」は、日本のビジネスでは「たぶんやりません」という意味なんだ。角を立てずに断るための、魔法の言葉なんだ。
それが、この世界では、決意表明になってしまった。
*
三日後。
「聖者様、ご覧ください!」
ペトルスに案内されて大聖堂の西翼に行くと、そこに新しい部屋ができていた。
扉の上には、真新しい木の看板。
『持ち帰りの間』
中に入ると、壁一面の棚に、羊皮紙の巻物がぎっしりと詰まっていた。
「聖者様が持ち帰られた案件を、ここに保管いたします! 聖者様は必ずや、一つ残らず検め、討ってくださいますので!」
「……これ、全部?」
「はい! 噂が広まりまして、聖都じゅうから陳情が届いております! 現在、四百十二件!」
四百十二件。
俺は棚を見上げた。
未処理案件の山だった。
見覚えのある光景だった。年度末の経理部の、俺のデスクの横に積まれていた書類の山と、まったく同じだった。
異世界に来てまで、俺は未処理案件に埋もれるのか。
*
その後も、悲劇は続いた。
「前向きに検討いたします」
と言ったら、謁見の間を警備していた兵士たちが一斉に回れ右をして、前を向いて行進しはじめた。
「恐れ入ります」
と言ったら、目の前の貴族が真っ青になって震えだした。「聖者様の御前に、恐れが入る……!」と。
「では、失礼します」
と言って退出しようとしたら、広間じゅうの人間が悲鳴を上げた。「聖者様が、礼を失われる!?」「我々の無礼にお怒りだ!」
俺は何も言えなくなった。
口を開くたびに、何かが起きる。
*
「……どうして、こうなるんですか」
その夜、聖者館の書斎で、俺は頭を抱えていた。
ペトルスの読み上げは、今夜は特にひどかった。
「ひとつ。『お疲れ様です』——汝、疲労を積み上げたり。ひとつ。『持ち帰って検討します』——持ち帰り、検め、討つ。ひとつ。『前向きに』——前を向け。ひとつ。『恐れ入ります』——恐れよ、入れ。ひとつ。『失礼します』——我、礼を失わん」
「最後のは誤解です」
「深い……!」
だから、聞いてくれ。
そのとき、書斎の扉が開いた。
「ずいぶんと賑やかですね」
エノク院長だった。銀の髪に、灰色の法衣。手には燭台を持っている。
ペトルスがはじかれたように立ち上がり、最敬礼した。
「院長様!」
「楽にしなさい、ペトルス。聖者様、少しお時間をよろしいですか」
「あ、はい。もちろんです」
ペトルスが一礼して出ていくと、エノクは俺の向かいの椅子に腰を下ろした。
近くで見ると、思っていたより疲れた目をしていた。会社の役員会のあとの部長が、こんな目をしていた気がする。
「聖者様のお言葉が、民に少々……独特に伝わっているようですね」
「独特どころじゃないです。言ってないことばかり伝わってます」
エノクは、静かに笑った。
「聖者様のお言葉は、大天秤を通して民に届きます。天秤は、言葉をその奥の意味で量るのです。少々、生真面目に」
「生真面目に」
「ええ。天秤にとって、言葉は飾りではありません。『済まない』と言えば、それは済んでいないということです。『疲れた』と言えば、それは疲れを積んだということです」
直訳、ということか。
敬語も、社交辞令も、建前も、全部はぎとって、言葉そのものの意味で伝えてしまう。
つまり、この世界では、俺のすべての建前が本音として扱われる。
社会人として、これほど恐ろしいことはない。
「ご不便をおかけしますが、民は喜んでおります。どうか、お気になさらず」
エノクは立ち上がり、扉の前で一度だけ振り返った。
「それから、聖者様。持ち帰りの間の案件ですが」
「はい」
「お討ちになる必要は、ございませんよ」
穏やかな声だった。
「聖者様は、一年の間、ただここにいてくださればいいのです。それだけで、この国は満たされます」
扉が閉まった。
ただ、ここにいればいい。
何もしなくていい。
それは、本来なら、ありがたい言葉のはずだった。
なのに、なぜだろう。俺は、出向先の役員に「君は何もしなくていいから」と言われたときの、あの居心地の悪さを思い出していた。




