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聖者様は領収書をご所望です ~経理主任(33)、異世界の聖者になったら、この国の帳簿が三百年分の粉飾決算でした~  作者: とっとっととっとって


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Episode05_領収書の秘蹟

第5話 領収書の秘蹟


 朝食が、すごかった。


 白いパン。蜂蜜。焼いた腸詰め。果物の山。卵料理が三種類。銀の水差しには、搾りたての葡萄の汁。


 長い食卓の端に一人で座らされて、俺は途方に暮れた。


 どう考えても、一人で食べる量ではない。給仕の修道士が三人、壁際に控えている。俺が卵をひと口食べるたびに、彼らは小さく「おお」と感嘆する。やめてほしい。


 食べ終えて、俺は、ほとんど反射で懐を探った。


 財布がある。日本円で四千二百円と、クレジットカードと、ポイントカードが七枚。


「あの、これ、おいくらでしょうか」


 修道士たちが、凍りついた。


「お、お代、でございますか……?」


「はい。さすがにこんなにいただいて、タダというわけには」


「聖者様から、お代など頂けるはずがございません!」


 三人がいっせいに床にひれ伏した。


 困った。


 十年間、会社の経費で落とせないものは自腹で払ってきた人間だ。払わないで食べるというのが、どうにも落ち着かない。


 だったら、せめて。


「じゃあ、せめて、領収書をいただけますか」


*


「りょう、しゅう、しょ……?」


 食堂の入り口に、昨日の羽根ペンの若者が立っていた。


 痩せていて、背は高い。くすんだ茶色の髪。指先は相変わらずインクで真っ黒だ。小脇には、分厚い革表紙の帳面を抱えている。


「おはようございます、聖者様! 記帳官のペトルスと申します。聖者様のお言葉を、一字一句、記録させていただく務めを仰せつかりました!」


「あ、はい。どうも」


「して、今の『りょうしゅうしょ』とは!」


 ペトルスは目を輝かせて帳面を開いた。


 説明に困った。領収書とは何か。異世界の人間にどう言えばいいのか。


「ええと……何かを受け取ったときに、確かに受け取りました、という証を書いて残すものです」


「受け取ったことの……証……」


 ペトルスの羽根ペンが、恐ろしい速さで動いた。


「聖者様は、恵みを受け取るたびに、その証を書き記せと仰せだ……! 恩寵とは、ただ受けるものにあらず。受けたことを記し、刻み、忘れぬことこそが信仰である、と……!」


「いや、そこまでは言ってないです」


「なんと深い……!」


 聞いていない。


*


 結局、ペトルスが羊皮紙に「領収書」を書いてくれた。


『聖ハクシ様、確かに朝餉を受け取られたり。天秤院食堂』


 そこまではいい。問題は、受領者の署名欄だった。


 羽根ペンを渡され、俺は自分の名前を書こうとした。


 代、の一画目で、インクが消えた。


 ペトルスと修道士たちが息を呑む。


 仕方なく、俺はカタカナで書いた。


 ハクシ。


 消えなかった。


 この世界で俺が書ける名前は、くしゃみだけらしい。


「天上の文字だ……!」


「聖者様の御名が、消えずに残った……!」


 修道士たちが、羊皮紙を拝みはじめた。


*


 その日の昼には、「領収の秘蹟」という言葉が院内に広まっていた。


 夕方には、聖者に何かを捧げると、その場で聖者が手ずから「受け取りの証」を書いてくださるらしい、という噂が聖都じゅうに広まっていた。


 翌朝には、聖者館の門の前に、貢ぎ物を抱えた民の長い列ができていた。


 花束を持った娘。鶏を抱えた農夫。手編みの靴下を差し出す老婆。


 俺は一人ひとりに頭を下げ、羊皮紙に「ハクシ」と書いて渡した。


「聖者様の領収書を持っていると、一年、運が良くなるんですって!」


 そういう噂まで生まれていた。


 俺の書いた「ハクシ」の四文字が、お守りとして民家の戸口に貼られていく。


 ——いや、待ってくれ。


 これは経費精算の書類なんだ。


*


 夕方、ようやく列が途切れた頃、ペトルスが紅茶を持ってきてくれた。


「お疲れでございましょう。少し、この国のお話でもいたしましょうか。天上の方には、退屈かもしれませんが」


「いえ、ぜひ。正直、何もわかっていないので」


 引き継ぎ書がない以上、情報は自分で集めるしかない。出向先の社史を読むのは基本だ。


 ペトルスは嬉しそうに背筋を伸ばし、語りはじめた。


「三百年前、この国は『灰の時代』の中にありました」


 疫病が絶えず、戦が絶えず、飢饉が絶えず、人は三十まで生きられれば長生きだった時代。


「そこに、七人の賢者が現れました。『夜明けの七人』です。七人は女神ディケの啓示を受け、大天秤を作り、この国のあらゆる澱——病、老い、不運、罪の報い——を、天の彼方へと封じたのです」


「澱」


 思わず、繰り返していた。


「はい。澱です。それ以来この国は『黄金期』に入りました。病はほとんどなく、人は百まで生き、飢饉は一度も起きていません」


 澱。


 妙に聞き覚えのある言葉だ。俺の国でも、疲れることを「澱がたまる」と言う。


 ……まあ、偶然だろう。言葉なんて、そういうものだ。


 疲れているんだ。澱がたまっているんだ。


「ただ、一度だけ、黄金期が揺らいだことがあります」


 ペトルスの声が、少し低くなった。


「百五十年前のことです。天の彼方——澱が封じられた場所を、私たちは『澱の国』と呼びます。その澱の国から、魔物の王が這い出てきたのです」


「魔王、ってことですか」


「はい。『澱の魔王』と呼ばれています。魔王は王都の半分を焼き払い、最後は天秤院によって討たれました。名前は、記録に残っていません。あまりにも穢れた名であったので、天秤が記すことを拒んだのだと」


「……そうなんですか」


「私の生まれた麦殻通りは、そのとき焼けた区画にあります。今も、焼け跡のままです」


 ペトルスは、ほんの少しだけ笑った。


「恩寵は、信心深い者に降るものです。麦殻通りには、あまり降りません。私も、まだまだ信心が足りないようで」


 何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。


 ペトルスはすぐにいつもの調子に戻り、帳面を開いた。


「さて! 本日の聖者様のお言葉を、読み上げて確認させていただきます!」


「……お願いします」


「ひとつ。『領収書をいただけますか』——受けた恵みを記し、忘れるなかれ。ひとつ。『おいくらでしょうか』——恩寵の値を問え、それは無償にあらず」


 俺は紅茶を噴きそうになった。


「ひとつ。『すみません』——これは本日、三十八回仰せになりました。すべて『未だ済まず』と記帳しております!」


「……三十八回も言いました?」


「はい! お言葉の多い聖者様は、民の誇りでございます!」


 三十八回。


 異世界に来ても、俺の謝罪回数は順調に積み上がっているらしい。


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