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風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Lettr11 霧の向こうの手紙
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光の螺旋階段

 アデルの箒が、すぐ横で止まる。


 穂先が大きく跳ねて、細い穂が風にばらばらと散る。あの箒は、制御するのがそれだけ難しい。それでも、ちゃんと私の真横に並んでみせた。


 アデルの肩が、大きく上下していた。前髪が呼びに来た時と変わらず額に貼りついている。


「よく、来れたね」


「……先生の指示に従っただけ」


「先生が?」


 アデルの後ろで、連れてきた張本人である先生は、私を見ていない。


 海峡中を走る光を、ずっと目で追っている。探し物でもしているみたい。


 光が一本、先生の目の前を斜めに横切っていく。先生の手が、ほんの少しだけ持ち上がった。掴もうとしたのか、触れようとしたのか。指先が光に届く前に、光はほどけて消えた。それでも、手はそのまま宙で止まっている。


 ……こんな先生、見たことが無い。


 養成学校の壇上で、新入生に向かって話していた時。私に小言を言う時。頼みごとをされた時。知らない表情に、少し、戸惑う。


「えっと~、先生……?」


 呼ぶと、先生はようやく、こちらを向いた。


 それから、私の胸元に目を落とした。吊り具に留めた、観測針の筒。さっきから、その継ぎ目のところだけが、ぼんやりと光っている。


 先生の唇が、動いた。


「……そちら、でしたか」


 それきり、続かなかった。


 何が何やら、訳が分からない。今は、こんなことを話している場合じゃないっていうのに!


 ヘルダ号のほうで、木が軋む大きな音がした。ほら、言わんこっちゃない。


「リン! この光が何か、わかるわね?」


 何も言わずに、小さく頷く。


「信じて、飛んで!」


 光の筋に乗って、ヘルダ号の傾いた腹の下まで光の道を辿っていく。私が出てすぐ、後ろから誰かが着いてくる音が聞こえる。真っ先に飛び出したのはたぶんペトラさんだろうなと思う。


 近くで見ると、船は思っていたより大きかった。


 ずんぐりした船体の、こちら側の舷が、ほとんど海面に触れそうなところまで下がっている。反対側は、空のほうへ突き上げられて、船底の板がむき出しになっていた。板の継ぎ目に、海藻がこびりついている。帆柱は斜めに傾いたまま、索が何本も、風に煽られて鞭みたいにしなっていた。


 帆柱に胴を縛りつけている人。手すりに腕を絡めている人。転がり出した樽を、身体ごと押さえ込んでいる人。若いのもいれば、髭の白いのもいる。みんな、顔が真っ白で。


 一人が、私たちに気づいて、手すりから身を乗り出した。


「助けてくれ! 助けて! 頼むから!」


 髭の白い男。冷静さなど、とうに失っている。こんな状況じゃ当たり前だ。


「救護班、現着! 即刻対応に当たれ!」


 年かさの魔女が、私より先に叫んだ。


「何人乗ってる!」


「十一! 全員いる! まだ、全員!」


 十一人。


 こっちは、四本。アデルの箒には、もう先生が乗っている。


 年かさの魔女が、一瞬だけ、舌打ちしたのが聞こえた。


「時間も人手も……」


 ペトラが、もう牽引帯の金具を外しかけていた。手すりの男のほうへ、箒を寄せようとしている。


「でも、一人でも――!」


「……体力が落ちているものから! 直ぐに行け!」


 私は、船の腹の下へ、右手を伸ばした。


 冷たい。


 さっき、ここまで辿ってきた細い光の流れが、船の下で、ふいに幅を広げていた。手を左へずらしても、右へずらしても、まだ冷たい。押し返してくる。箒一本どころじゃない。もっと、ずっと広い。


 少しだけ、船尾のほうにずれている。船は今、その流れの縁に、片側の腹だけを引っかけていた。引っかかった側が持ち上げられて、反対側が落ちる。だから、こんなに傾いているんだ。


「博打は、打つべき時に打つ」


 口から出ていた。


 年かさの魔女が、こちらを見た。


「博打?」


「この下に、丈夫な流れが。船が丸ごと乗るくらいの。ただ、今は端っこに引っかかってるだけで……。うまくいけば、持ち直せます」


「うまくいけば」


「……うまくいけば」


 年かさの魔女は、私の顔を、値踏みするように見る。


 それから、腰の牽引帯を、思い切り引き出した。


「ペトラ! ルッツ! 行くよ! 体力のなさそうな奴から柵へ縛り付けろ!」


「わっかりました!」


「は、はーい!」


 年かさの魔女の号令で、全員がはじけるように飛び出した。


「頼んだよ!」


そう言い残して、彼女も二人の後へ続いていく。


「引くよ! ゆっくり! ペトラ、勝手に強く引かない!」


「分かってます!」


 ペトラの声は、さっきより落ち着いていた。頬が、まだ少し赤い。


 甲板の上でも、男たちが動きはじめていた。


「荷を上に! 高いほうに寄せろ! 樽からだ!」


 髭の白い男が、帆柱にしがみついたまま怒鳴っている。あの人が、頼みの綱か。とても、冷静でいられる状況じゃないだろうに。若い船員が二人がかりで、転がっていた樽を、傾いた甲板の上へ押し上げていく。足が滑る。一人が膝をついて、もう一人がその襟首を掴んで引き戻した。


 船の周りを飛んだ。


 まず、船を起こさなきゃいけない。向かうは、操舵室。船の舳先に回ると下に窓がある。中をのぞくと、船長らしき人と、若い男が一人。コンコンとノックをする。


 このまま流れの真ん中へ引き込んでも、傾いたまま入れば、高いほうだけが先に浮いて、低いほうがもっと落ちる。そうなったら、船はひっくり返る。


 若い乗組員がバランスを崩しながら、窓を開けてくれた。


「救援です! 着いて来てください!」


「着いて来いったって、おいおい、こんな訳が分からん中を飛……」


 ……気持ちは、わかるけどね。たしかに、まともじゃない。でも、それでも。


「死にたくないなら! 着いて来て!!!」


 こんなに大声を張り上げたことなんて、生まれてこの方初めてだった。そしてたぶん、これからも。


「切れるだけ、右に!!! 思いっきり切れ!!!」


 汚い言葉使いだ。緊急時と言うことで。


「カカカ」


 船長さんが小気味よく笑って、思い切り、舵を切った。


「浮揚、最大!!!」


 ヘルダ号が、ゆっくりと、動いた。喉が、痛くて、仕方がない。それでも船は先ほど見た光へ向かって動き出している。この光の螺旋階段を、私と船が一緒に登っていく。


 軋む。船体じゅうの板が、一斉に悲鳴を上げる。甲板の上で、男たちが何か叫んでいる。


 低いほうの舷が、少しずつ、持ち上がっていく。


 少しずつ。


「うぎゃあああああ」


「キッツイことやるねえ」


 甲板の上で、縛り付けられた男たちが、悲鳴を上げている。それを見て、年かさの魔女は愉快そうに笑う。まぁ、それでも、振り落とされるよりはマシだと思うから。


 艫が、流れの真ん中へ入った。


 それから、船体の腹が、艫のほうから順番に、流れの中へ沈み込んでいく。沈み込んで、受け止められる。受け止められたところから、ゆっくり持ち上がる。


 最後に、舳先が入った。


 ヘルダ号が、大きく、持ち上がった。


 足の下から、いっぺんに押し上げられたみたいに。傾いていた甲板が、軋みながら、平らに戻っていく。帆柱が、空を斜めに切るのをやめて、まっすぐに近いところまで起き上がった。


 完全に、じゃない。まだ、少し揺れている。少し傾いている。


 でも、浮いている。


 甲板の上で、誰かが叫んだ。帆柱に縛りつけていた綱を、若い船員が、震える指でほどいている。ほどききれずに、そのまま座り込んでいた。


 ペトラが、連結策の帯を握ったまま、息を吐いていた。


「……浮いた」


「まだ」


 年かさの魔女が、すぐに言った。


「浮いただけ。こっからだよ……!」

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