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風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Lettr11 霧の向こうの手紙
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連なる思いの影

 海の上へ出て、すぐに分かったよね。来た時とは、まるで違ったから。


 あちらから渡ってきた時は、手袋の縫い目に引っかかる糸を、途切れないように辿るだけで精いっぱい。今は、箒の腹の下に、はっきりとした支えがある。押し返してくる。


 鐘が、ニルスさんが。ちゃんと道を起こしてくれた。けれど、その支えが、落ち着かなかった。


 急に太くなる。箒が持ち上げられて、身体が後ろへ取り残されそうになる。次の瞬間には、底が抜けたように薄くなる。そこへ、横から別の冷たさが割り込んできて、穂先ごと押し流される。


 柄を引き戻す。押し流された分だけ、元の筋を探し直す。


 探している間に、また別の流れが来る。


 後ろで、箒の穂が風を切る音がした。


 振り返ると、救援班の三人が、すぐ後ろについてきていた。若い魔女が先頭で、年かさの魔女がその少し上、もう一人が連結索の端を握って一番後ろにいる。正直、ギョッとした。


「ちょちょちょっ! 危ない、ですよ!」


「そんなの、あなたも同じでしょう!」


 若い魔女がこちらへ叫び返す。思いの丈は、私の想像よりはるかに長い。見れば、彼女たちは全員、肩を強張らせ、少し震えているように見えた。


 年かさの魔女と、一瞬、目が合った。


「前を向け! 我々が続く!」


 強い風の中でも、はっきりと聞こえる芯の強さがある。


 ……それでも。怖い、よね? あなたたちは、私と違うから。


「今行かなかったら、私たち、何のためにいるんですか!!!」


 若い魔女がまた、声を張り上げる。その声に、表情に、載せられた思いを無碍になんて、できるわけがない。


 ……だって。私も、同じだから。


「必ず、私の後に! 絶対、届けます!」


 霧が、また私たちの視界を塞ぐように立ちはだかる。


 ヘルダ号のほうへ、穂先を向ける。


 今いる流れは、確かに南へ向かっている。けれど、どこまで南へ続いているのかは分からない。途中で、隣の流れと重なっている気がする。重なった先で、どちらがどちらなのか、今すぐに判断はできない。


 でも、止まれない。後ろには、届けなきゃいけない思いが連なっている。私にできること。しなければいけない仕事。それらが、一斉に脳内を駆け回る。


 やって、やろうじゃない。


 乾いた唇を、思わず舌で舐め回す。


 海峡中で、何本もの古い流れが、鐘の音に揺すられて目を覚ましている。どれもすごく冷たい。どれも、少しずつ南へ寄っている。どれが船の下まで続いていて、どれが途中で海へ落ちているのか。


 絶対に、間違えられない。


 霧を抜けて。後ろを振り返ると、影が三つ、確かに続いている。


 ヘルダ号は、さっきよりずっと近くに。


 傾きが、増していた。片側の舷が、ほとんど海面を舐めそうなところまで下がっている。帆柱の先が、こちらへ突き出すように斜めになっていた。


 甲板でしがみつく人たちの顔が見えた。


 手すりに腕を絡めて、身体を支えている男がいる。その男の外套の裾を、もう一人が両手で掴んでいる。帆柱の根元に、太い綱で自分の胴を縛りつけている人もいた。綱の結び目を、何度も確かめるように叩いている。


 一人が、こちらを見て、口を大きく開けていた。何を叫んでいるのかは、風に消されて聞こえなかった。


 穂先を、まっすぐ船へ向けた。


 箒が、沈んだ。


 急いで引き起こす。さっきまで支えてくれていた流れが、船の手前で、すとんと途切れていた。前へ手を伸ばしても、何もない。


 後ろで、救援班の箒が止まる気配がした。


 横へ回った。左へ、船の舳先のほうへ。流れがある。太い。これなら、と思って穂先を寄せた。三つ数えないうちに、痩せていく。痩せた先で、また海の上に放り出されそうになる。


 戻った。


 今度は、少し上へ。


 上には、別の流れがあった。さっきのより冷たい。けれど向きが違う。船の上を、ずっと高いところで通り過ぎて、西のほうへ逃げていく。あれに乗っても、船の真上を素通りするだけだった。


 救援班の三人も、それぞれ別の方へ散っていた。


 一人は船の艫のほうへ回り込もうとして、途中で箒が大きく揺れ、慌てて戻ってきた。年かさの魔女は、低いところを探っていた。海面すれすれに、何かないかと。穂先が一度、波頭を掠めて、白い飛沫が上がった。


 誰も、船まで届かない。届かない場所で、四本の箒が、宙に浮いたまま止まっていた。


 止まっているあいだにも、魔力は抜けていく。


 ヘルダ号が、また更に傾いた。


 甲板の上を、大きな樽が転がった。手すりに当たって、一度跳ねて、手すりを越えた。霧の下へ、落ちていく。


 しばらくして、下のほうで、重い水音がした。


 若い魔女が、飛び出した。


 穂先を船へ向けて、まっすぐに。


「ペトラ!」


 年かさの魔女の手が、若い魔女の箒の柄を掴んだ。二本の箒が、空中でぶつかって、大きく揺れる。若い魔女の身体が、柄の上で前へつんのめった。


 年かさの魔女は、掴んだ手を離さなかった。


「離してください!!!」


「……だめ、離せない」


「人がいるんですよ! 今、行けないなら……!」


「落ち着きなさい!」


 乾いた音が響く。本気の平手打ちに真っ赤に染まる頬。年かさの魔女の声も、震えている。先ほどまでの芯の強さを残したまま。


「今、ここに居れるだけで奇跡なんだ!」


 若い魔女は、柄を握ったまま、肩で息をしていた。ボロボロと真っ赤に染まった頬を雫が駆け抜けていく。


 私は、その二人の合間から、船を見ていた。


 私も、ペトラと呼ばれた彼女と同じ。行きたかった。


 行けば、たぶん、船の手前で箒が沈む。沈んだ先で、引き起こす魔力は、もう帰りの分しか残っていない。そこから先は、どちらかしか選べない。


 分かっていた。分かっていたから、ここに居る。


 東岸からここまで、私は、一人で渡ってきた。あの時の古い流れは、今よりずっと細かった。途切れて、ずれて、何度も見失いかけた。それでも、渡れた。


 今は、鐘が鳴っている。流れは、あの時よりずっと太い。後ろには救援班がいる。船も、すぐそこに見えている。


 あの時より、何もかも揃っているはずなのに。


 なのに、人のいるところまでの、彼らを救えるだけの風路だけが、分からない。


 手袋の中で、指を握り込んだ。


 触れれば分かる。冷たさも、重さも、流れの向きも。でも、触れられるのは、手の届くところだけだ。手の届かない先で、どの流れがどの流れと重なって、どこで切れているのか。何本もの流れが一度に起き上がった海の上で、それを一本ずつ手で確かめていく時間は、もうなかった。


 一目でも、見えたら。


 一度でいいから、見えたら。


 そんなことを思ったのは、初めてだった。今まで、見えないことを、困ったと思ったことはなかった。触れて分かれば、それで十分だったから。結局、こういう時はいつも一人だったから。


 唇を、噛んでいた。鉄の味がした。


 ヘルダ号の帆柱の先が、また少し、下がった。

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