↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Lettr11 霧の向こうの手紙
PR
88/96

ええ、聞こえていますとも。

 霧の向こうに、石の影が浮かんだ。


 灯ではない。おそらく、塔の輪郭。岬の突端に、背の低い、四角い塔が建っている。崖の灰色に溶けかけていて、霧が流れた一瞬だけ、おぼろげな輪郭が見えては消えてを繰り返す。


 西岸鐘楼。


 古い流れは、塔へ向かって細くなりながら、最後まで途切れなかった。塔の手前で、手袋の縫い目から糸が抜ける。抜けたのと同じ時に、箒の下に、西岸の今の風路が触れた。


 岬の根元に、小さな局舎があった。発着場の床に降りた途端、膝が一度だけ笑った。


 局舎の扉が開いて、灯を提げた若い局員が飛び出してきた。


「おいおいおい! マジかよ……、どうやって」


「時間がありません!」


 若い局員は何か言いたそうだが、それを飲み込んで頷く。


「こっちだ」


 中では、救援班の魔女が三人、装備をつけたまま長椅子に座っていた。第五風標から先へ入るなと止められて、待っているのだという。風路が沈んだことは分かっている。けれど、東岸で何が起きているのかは、ここまで届いていなかった。


「貨物船が一隻、第四の手前から高度を下げながら南へ。乗員の安否は……不明です」


 長椅子の三人が、一斉に立ち上がる。


「すぐに行かなきゃ……!」


 そういった一人が、ほかの二人に止められる。


「……違いない。でも、無理だ。今出れば助ける前にこっちがお陀仏だ」


「でも、だからって、このまま……!」


 止める二人も、それでもと伝える彼女も、どちらも正しい。耳を塞ぎたい、こういうのは、好きじゃない。


「……鐘守のニルスさんは」


 少し、露骨だったかな。


「あ、ああ。鐘楼に。今朝からずっと上にいる。少し様子がおかしいって。それから一度も下りてこない」


 局員が、岬の上を指した。


 石段を、駆け上がっていく。息はすぐに上がって、胸の筒は何度も私を打った。


 鐘楼の戸は、開いていた。


 入ってすぐの部屋に、炉と、寝台と、細く割った薪が積んである。壁の釘に、油の匂いのする布が掛けてあった。長年使われてこなかったと聞いていたけど、とても、そんな風には、見えない。


 上から、金具の触れ合う音がした。


 狭い階段を上がる。一人がやっと通れる幅だ。壁の隙間から入る風が、上へ行くほど冷たくなる。


 鐘の下に、老人が一人。


 縄の根元にしゃがみ込んで、金具に油を差していた。白髪の混じった癖っ毛で、片側だけはねている。外套の袖をまくった腕はたくましく、手も大きい。掌の、縄の当たるところが、硬く盛り上がっている。


「ニルスさん……ですか」


 老人が顔を上げた。私を見て、それから私の胸の筒を見た。


「……なんだよ」


「国際郵便組合、東部第四支局、リネット・ファルンです。至急、確認を」


 ニルスさんは、すぐには手を出さずに、自分の手を見ていた。油で黒く光っている指を。


 それから、腰に挟んでいた布を抜いて、指を一本ずつ拭いた。一本拭くたびに、裏返して、別の面でもう一度拭く。


 急いでいた。第五鐘は、もう鳴っている。けれど、この人は、汚れた手で宛名に触りたくないのだと、手つきで分かった。そこへ、急いでくださいとは、なんか、いいづらい。


「いい」


 ニルスさんが、手を出した。


 筒を渡す。ニルスさんは、封緘の局長印を親指でなぞって、グレイグか、と漏らしたのが聞こえた。知っている名前らしい。友達……ではないよね。たぶん。


 その場で、封を切った。


 立ったまま読んでいる。紙を持つ手が、途中で一度止まって、また動いた。最後の行まで読んで、ニルスさんは、窓のほうを見た。外は白い。東岸も、海も、何も見えない。


「船か」


「はい。第四の手前から、南へ」


「人は」


「乗ってますけど、人数までは」


 ニルスさんは、紙を畳んで、懐に入れた。


「わかった、少しどいてろ」


 それだけ。


「えっと……」


「要らん」


 ニルスさんは、鐘を見上げた。


「これが鳴れば、向こうに聞こえる。それが返事だ」


 縄を、手に取りかけて、止まった。


 振り返って、私を見た。上から下まで。濡れた外套の裾。手袋の、擦れた指先。


「……君は、どうやって来た」


「東岸から、海峡を」


「第四から先は、使い物にならないらしいが」


「まぁ、その、なんというか、わかるんです」


 ニルスさんの眉が、少し動いた気がする。


「わかる? どういう意味だ?」


「使われなくなったからと言って、風路は無くなったわけじゃないんです。えーっと、その、少しだけ、消えずに残るものがあって……。それを辿ってきました」


「……見えるのか」


「うーん、見えるはちょっと違うんですよね、わかる、というか」


 ニルスさんは、何も言わず、黙々と手を動かし続けている。ひと段落したのか、縄から手を離して、階段の脇の、低い棚のほうへ歩いていった。


 棚には、鐘の手入れの道具が並んでいた。油布が二枚。予備の紐が一巻き。工具がいくつか。どれも、使い込まれていた。


 その一番奥、壁と油布のあいだから、ニルスさんは細長い筒を取り出した。


 掌に収まるくらいの、金属の筒だった。片側に、小さな留め具がついている。


 観測針……?


 養成学校で、一度だけ触らせてもらったことがある。風路に残った魔力の向きや、反応の強さを確かめる道具だ。留め具を外せば、中の針が自由になって、風の筋があればそちらを向く。けれど、学校の資料室にあったものより、ずっと古い型だ。どうして、こんなのが。


 もっとすごいのは、古いのに、錆や傷みというものが全くないことだ。使っていないのであれば、尚更だ。


 海の鐘楼で、塩の風が壁の隙間から入ってくる部屋で、留め具の金具が光っていた。筒の継ぎ目に、乾いた布で拭いた跡がある。最近のものではない。何年も、何十年も、同じように拭かれてきた跡。


「……どこで、これを」


「昔、もらってな」


 ニルスさんは、筒を掌に乗せたまま言った。


「変な女だった。あの時は訳が分からないまま、受け取ったがな」


「……いつ頃」


「さて、な。もう、四十年は経つか。」


 四十年。


 この人は、四十年以上、これを棚に置いて、手入れを続けてきたのか。使わない道具を、ずっと、ずっと。


「それでも、今、わかった。こいつは、今日、この日のためにあったんだと」


 ニルスさんは、観測針を、私のほうへ差し出した。


「持っていけ」


「でも、これは」


「まだまだ現役だ。動作の確認と手入れを欠かした日など、ない。信じろ」


 ニルスさんは、窓の外の白いところを見た。


「そうか、これでよかったのか」


「ありがとう、ございます」


「俺は渡しただけだ。預けた奴に言うんだな」


 ニルスさんは、少しだけ口の端を上げて、呟く。


「困っている郵便魔女、か。まったく、とんでもないことを任されてたんだな」


 指先で、留め具を確かめた。外しはしない。金具の向きと、掛かりの深さだけを、指の腹でなぞる。


 ニルスさんが、それを見ていた。


「……そこが留め具だって、分かるのか」


「えっと、はい。学校で、習いましたから」


「俺は、間違えたぞ」


 ニルスさんは、そう言って、縄のほうへ戻った。


 階段の下から、足音が上がってきた。さっきの若い局員と、救援班の魔女が一人。局員が、息を切らしながら言った。


「鐘守。下の灯、全部つけました。救援班、発着場で待機します」


「おう」


 ニルスさんは、手袋を外して、棚に置いた。


「素手で、ですか」


「郵便魔女ってのは、みんな同じことを聞く決まりでもあるのか?」


 ニルスさんの掌が、霧の冷えで、すぐに赤くなった。


 縄を握る。握る位置を、目で探さなかった。手が、勝手にそこへ行く。


 私は、観測針を胸の吊り具に留めた。筒を外した場所に、今度は針が収まる。


 窓の外は、白いまま。あの白の、左の肩の後ろのほうで、船が流れている。


 ニルスさんが、海を見た。


 耳を澄ませているのだろうか。東岸の鐘は、まだ鳴っていない。西が先に鳴らなければ、東は応えない。


 ニルスさんが、息を吸って、思い切り縄を、引いた。耳より先に、身体全身に来た。


 石の床が震えて、ニルスさんの肩が沈み、その反動が腕を伝って返っていくのが見えた。頭の上で、鐘が重く傾く。天井の梁から、細かな埃と、塩の粒が降ってきた。


 それから、音が来た。


 耳の奥まで、まっすぐ入ってくる。近すぎて、思わず顔をしかめた。


 縄が戻る。肩が上がる。もう一度、引く。


 長いあいだ、点検されるだけで、鳴らされることのなかった鐘の音が、開いた窓から、霧の海峡へ出ていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。