緊急出動
その日の東部第四支局は、昼前から仕分け台が片づかなかった。
北回りの便が二つ遅れて、その分の郵便袋が台の端に積み上がっている。私は宛先札を一枚ずつ起こしながら、袋の口紐を結び直していた。誰かが急いで結んだらしく、紐が袋の首に食い込んでいる。
「ねぇ~、それ、さっきもやってなかった!?」
向かいの台から、フィオナが顔を上げた。
「さっきのは別の袋だよぉ、見たらわかるじゃない」
「いや、普通に無理」
「結び目が違うじゃん!」
私が何か言い返そうとした時、発着場の扉が外から叩かれた。
叩いたというより、何かが勢いよくぶつかったような音。
扉が開いて、アデルが入ってくる。
黒い髪が霧で額に貼りついて、防風布が首からほどけかけている。箒を壁に立てかけようとして、立てかけ損ね、柄が床を打った。アデルは拾わなかった。
アデルは着地が雑なほうだけれど、箒を床に転がしたまま放っておくのは、見たことがない。
「何事!?」
「説明してる時間がない! リン! 支度しろ!」
息が上がってる。いつもなら、どれだけ急いで帰ってきても、扉の前で一度息を整えてから入ってくる。そういうところだけは、つまらない見栄を張るのに。
「急に何事? 支度って言われても」
「東岸海峡郵便局に向かうよ、ごめん、本当に時間がない。五分で戻るから、それまでに飛べる準備だけ!」
言いたいことだけを並べて、そのまま走り去っていく。
「だってさ」
他人事のように、フィオナが、手にしていた袋を台に置きながら答える。
「絶対、面倒ごと」
そう言いながらも、準備を進める。普段からいつでも動ける準備を怠たらないのが、私の長所だ。うむ、《《たいへん、よろしい。》》
「準備は……できてるね、移動しながら話すから、行くよ!」
おいおい、五分とあなたは言ったじゃない?もう忘れちゃったのかな?
「あー、もう! わかったよぉ~」
頭をガシガシと掻いてから、アデルの後に続く。いってらっしゃい、とフィオナが声をかけてくれたのが聞こえた。返事はやはり、振り返らずにハンドサインだけ。見ていたのかはわからないが。
アデルは息を乱したまま、話しはじめた。順番がばらばらで、とってもわかりづらい。第四風標が消えたこと。貨物船が一隻、海峡の真ん中で舵をなくして流されていること。救援班の子が一人、助けに出ようとして、第三風標の手前で箒ごと沈みかけたこと。
「船には、人が乗ってる。マジでヤバい」
「……」
よっぽど余裕がないようだ。
「救護班は出せない、だそうにも、道が無いんじゃあ、ね」
アデルは一度、唇を噛んだ。
「あっちの局長が、古い風路を使うって。東と西で鐘を鳴らして、海の上に風を作るやつ。東の鐘はもう待ってる。西の鐘守に、鳴らしてくれって手紙を届けないといけない。手紙はもう、向こうの局長が書いて封までしてある」
「通信は」
「通ってるなら、私は今、こんなになってない! 船も出てないし、海峡の魔女は、第三から先に出られないし、もー、踏んだり蹴ったり!」
届けなければいけない手紙。それなのに、届けられる人がいない。それを聞いた途端、何か、心の中に大きな穴が開いたような感覚がする。
……また、コレか。いつもいつも、この焦燥感が私を突き動かすんだ。
「……どうして」
「リンにしか、できないでしょ」
「覚えててくれてたんだ?」
「忘れる方がどうにかしてる」
アデルが自分が持つ箒を見た。床に転がったままの、穂の細い、速く飛ぶためだけに特化させたもの。
「ここまでしたのにな」
それは、アデルが一番言いたくない言葉のはずだ。学生時代を振り返れば。
支局長室の扉が開いて、オスカー支局長が出てきた。いつから聞いていたのかは分からない。アデルを見て、それから私を見た。
「……行けるのか」
「さぁ、行ってみないとわかりませんけど」
「……すまない」
支局長はそれだけ言って、エルナさんのほうへ顎を向けた。エルナさんはもう、出発記録の用紙を引き寄せていた。
「必ず、戻りなさい」
エルナさんが、筆を走らせながら言ってくれる。
《《ええ、必ず。少し、困難なだけです。》》
「はい」
飛行用の手袋を取りに棚へ行くと、フィオナが先に回り込んで、薄いほうの手袋を差し出した。冬用の厚いものではなく、指先の革が擦れて柔らかくなった、私がいつも使っているほうだ。
「こっちの気分、どうだい、私の名推理は」
「……うん」
「アデルの分の水、入れといたから。必ず飲ませてね!」
「あー……」
「絶対休憩取ってないんだから!」
アデルは聞こえないふりをして、床の箒を拾っていた。フィオナは起こらせると少し面倒くさい。
発着場に出る。
支局の空は、まだ晴れていた。けれど南東の端だけが、白く溶けている。海峡の方角だった。
アデルが先に浮いた。
「着いてきて」
「うん、お願い」
「よし」
なんか、久しぶりにアデルの笑顔を見た気がする。




