五日前
風待ちから持ち込まれた郵便物は、朝の仕分け台の上で、ほかの封筒から少し離して置かれていた。厚手で、色は古い骨のような白。表面には四十二年前の消印が残り、封蝋の上に、いまの規格では使われない細い導風符が貼ってある。
宛名の相手に近づいたときだけ、本人かどうかを確かめるために応える、旧式の確認符。
手袋をつけて、宛名に目を落とす。リヴィア・エイル。
差出人欄には、マテオ・エイル。その下に、たどたどしい幼い字で、姉さんへ、と添えられていた。
「本人限定郵便ね……」
エルナさんが確認票に目を走らせる。
「四十二年前、オルシュ渓谷方面の中継局で保留になったまま。風路が復旧したら送り直す、その対象として、ずっと保管されていたみたいね」
「オルシュ渓谷って、たしか」
地図台の前で、アデルが顔を上げた。
「崩落事故があったところ? 結構ヤバかったやつ」
「……もっと言い方があるでしょう」
エルナさんは深くため息をついてから、別の照会票を抜き出した。アデルは口角を左側だけ吊り上げている。アデルも結構顔に出るんだよね。
「当時の村の記録では、リヴィア・エイルは事故のあと所在不明になっていますが……。その後――白鐘救護院の保護改名記録に、年齢と入居時期が一致する方が、偶然いらっしゃる」
その名前を、支局長が読み上げた。
「セリス・ハルト」
封筒から、目を離した。宛名はリヴィア・エイル。届け先として浮かんだ今の名は、セリス・ハルト。同じ人を指しているはずの二つの名前が、確認票の上で上下に並んでいる。
「この符、まだ効果あるんですかね」
エルナさんが封筒の端へ測定具を近づける。細い符が、かすかに白く光った。
「弱いけど、反応するわね。宛名の本人が近くに来ると、応えを求めるタイプだけれど」
「応え、ですか」
「その名前で呼ばれて、本人が返事をして認証するの」
四十二年前は、それが正しいやり方だったのだろう。名前を呼び、呼ばれた人が返事をする。ただ、その名前ではもう呼ばれたくない人がいることまでは、考えられていない。
なんか、仕方がないことではあるんだろうけど。
「代わりの確認は」
支局長が訊く。
「あります。改名した本人なら、旧名を呼ばずに、今の名前の署名と保護記録で受け取れる。……ただ、随分古いものですから」
「受け付けられない可能性も、ある?」
念のため、訊き返す。
「ええ。失敗すれば、封が固まります。最悪、また保留に戻すしかなくなるかしら」
封筒へ目を戻す。四十二年、届かないままだった手紙が、また保留に戻る。
受取人にはまだ会っていない。セリスという人の声も知らないし、リヴィアという名前が、その人にとってどれだけ重いのかも知らない。それでも、封筒に書かれた幼い字だけは、目の前にある。
――姉さんへ。
「白鐘院へは、先に照会を出しますか」
アデルが訊く。
「出す」
支局長が答えた。
「ただし、旧名は文面に入れない。四十二年前の本人限定郵便があること、保護改名の記録と照らす必要があること。それだけ伝えるように」
「了解」
アデルが照会文を組みはじめる。エルナさんは、封筒の保全袋を用意した。
「リン、配達はあなたに」
「はい」
地図を指したのは、アデルだった。
「オルシュ渓谷方面の、今の風路が使えると思う。ただ、白鐘院へ入る手前に、古い風路の残りがある。近づきすぎないで」
細い青線で描かれた現行の風路。その下に、灰色の線がうっすらと残っていた。
「旧中継局の跡の近く。ここ、最近、何度か揺れてるみたい」
「……また?」
「消失してるわけじゃない、ただ、高さがずれてるんだよね」
「なるほど?」
「本来なら谷の上を通るはずの風が、谷底のほうで引っかかる。機械の誤差かもしれないけど」
地図へ目を落とす。オルシュ渓谷。四十二年前、村ごと崩れた場所。そこに残った古い風路が、いまも谷のどこかで揺れている。
「近づきすぎない」
繰り返してから、
「でも、白鐘院へ行くには?」
「今の風路から東の尾根へ抜けて、徒歩の連絡路へ降りる。それがいちばん安全」
アデルが地図の端へ、小さく印をつけた。
「白鐘の日が近いから、連絡路に鐘布や灯具の搬入が入ってる。発着場、混むかも」
「白鐘の日……」
「オルシュ崩落事故の、追悼日です」
エルナさんが答えた。
「その日、白鐘院では鐘を鳴らします。亡くなった人、帰れなかった人――その一人ひとりのために」
もう一度、封筒へ目を戻した。骨のように白い封筒。白鐘の日。姉さんへ、と書かれた、四十二年前の手紙。
届く日を選べたはずもない。ただ四十二年遅れの郵便が、たまたま今、送り直しの対象に上がっただけ。
それでも、ただの偶然と思うには……少しできすぎているんじゃない?




