午後三時十二分①
午後二時四十分。
北方第六風路は、予定どおり閉鎖された。
最後の貨物船が該当区間を抜けると、北と南の管理塔から赤い信号弾が打ち上げられ、空中に進入禁止を示す光の幕が広がった。
つい先ほどまで絶え間なく船影の行き交っていた空が、急に広くなる。
遠ざかる貨物船の後部には、色鮮やかな信号旗が揺れていた。あの船が予定より数分遅れていれば、午後三時十二分にも、この区間を飛んでいた可能性がある。
リンは考えないようにした。
まだ、何も起きると決まったわけではない。
リンとエルナは、北方第六風路から東へ離れた空中で、箒を停止させていた。
風路の外では、箒を前へ進める力も、空中へ浮かせておく力も、すべて乗り手自身の魔力で賄わなければならない。飛ばずに留まっているだけでも魔力は削られるため、二人は自然風に押し流されるたびに位置を修正し、ゆっくりと円を描きながら観測地点を維持していた。
「北側の塔は?」
リンが尋ねる。
「異常なし。南側も同じ」
エルナは掌ほどの携帯観測器から顔を上げずに答えた。
風路管理塔にも同じ仕組みの大型計器が設置されており、風路を流れる魔力の濃さと速さを常時測定している。二人は管理塔から送られる光信号と、手元の計器の数値を照らし合わせていた。
「リンのほうは?」
右手の手袋を外し、風路へ指先を向ける。
自然の風が肌の表面を撫で、そのさらに奥を、整えられた魔力の帯が流れていた。太く、均質で、流れの中に引っかかりも淀みも感じられない。
「何もありません。北東第三風路が消える前と同じです」
「それ、安心していいのか迷う報告ね」
「私も迷ってます」
「正直でよろしい」
午後三時を過ぎても、変化はなかった。
雲は高く、自然風も穏やかだった。山の稜線を越えてきた鳥の群れが、閉鎖された風路を横切って南へ消えていく。
鳥たちにも、異常を感じている様子はない。
午後三時十分。
北側の管理塔から、正常を示す白い信号が二度点滅した。数秒遅れて、南からも同じ光が上がる。
エルナが返信の信号を送った。
「残存魔力は?」
「九十一です」
「私は八十八。思ったより減ったわね」
「風路の外で三十分以上待ってますから」
「分かってる。数字に文句を言ってみただけ」
「減らなくなるなら、私も言います」
「そこは一緒に祈ってくれてもいいでしょう」
リンは少しだけ笑った。
緊張が解けたわけではない。
けれど、エルナがいつもどおりに話してくれていることが、ありがたかった。
午後三時十一分。
エルナが懐中時計を開いた。
リンは風路へ手を伸ばしたまま、その流れを確かめ続ける。
これほど確かに存在しているものが、あと一分も経たないうちに消えるとは、やはり思えなかった。
けれど三日前も、同じだった。
地図の上にも、計器の上にも、空の中にも道はあった。
次の瞬間には、何もなくなった。
「十一分五十秒」
エルナの声が、静かな空へ落ちる。
リンは箒の柄を握り直した。
「五十五秒」
流れはある。
「五十八」
何も変わらない。
「五十九」
午後三時十二分。
音が消えた。
自然の風は止まっていない。
リンの髪も、箒の穂先も、変わらず東から西へ揺れている。
それなのに、風路の中で絶えず響いていた低い唸りだけが、空から切り取られたように途絶えた。
指先に触れていた魔力の帯が消える。
「――消えた」
言葉にした直後、エルナの観測器から三本の針が一斉に落ちた。




