乾かない包み
二日後、フィオナを連れて風待ち郵便局へ戻った。
十五日間の試験運用を終えたフィオナは、第四支局で一日だけ休んだ。昼まで眠り、遅い朝食の片づけが済むころに、ようやく食堂へ姿を見せた。
それから新しい防湿布と細い針を買いに出て、買い物は仕事ではないから休養に入るのだと、戻ってきて言った。
発着場に箒が降りる。括りつけられた道具箱が、前より一回り大きい。
「増えてる、よね?」
「えへへ……、張り切り過ぎちゃったかも」
フィオナが道具箱を両手で下ろす。
「まぁ、でも必要になってから取りに戻れないでしょ? だからいいかなー、なんて」
局舎からハインさんが出てくる。道具箱に目をとめて、眉が寄った。
「住み着く気か……?」
「帰る日は決めてきましたよー! 十二日後です」
ふぅ、とあきれたようにハインさんは息を吐く。
それでも、確かにここは、まだまだ、色んなものが足りていないと自分も思う。
「それで、新しく届いたっていうのは」
「こっちだ」
ハインさんが顎で示した。
「三号がずっと様子を見てくれてる」
濃い緑色の木箱が、二日前と同じ受入台に載っている。三号が透明な隔離覆いを下ろし、箱の周りだけ湿り気を抱えていた。包み布はまだ乾ききっていない。淡い緑を帯びた細い糸が表に織り込まれ、光の角度が変わると、濡れた水草のように鈍く光る。
フィオナが手袋をつける前に、三号の記録を最初から読んでいく。
「うん、大丈夫そう」
「規定どおりです」
三号が答える。
「ハインさんも?」
「四六時中見張られてはな……。近づくことすらできていない」
少し不満そうに尖っている。まぁ、気持ちはわかる。そこまで信用がないのか、と思うだろう。私にはよくわかる。何度も深く頷く。
フィオナが薄い手袋をつけ、隔離覆いを持ち上げた。
湿った空気が、ほんの少しだけ外へ漏れる。濁った水の匂いではない、と思う。なんというか、藻と、木箱と、古い船底に似ているような。説明が、難しい。
「うーん?」
フィオナが包み布の端へ測定具を当てる。フィオナでもよく理解できていないのであれば、仕方がないよねえ?
「布の中に、最初から湿り気を持たせてあるんだけど……。すごい技術だよ、これ」
フィオナが指で押しても、水は染み出してこない。空気が乾くたびに織り込まれた水草糸が布へ湿りを戻すのだと、フィオナが布の目を指でなぞって見せた。
「なんでそんな事?」
紙を痛めてしまうだけなのでは、と思う。確かに保全魔法をかければある程度は何とかなる。とは言え、わざわざそんな手の込んだことをするのは……?
「うーん、内容物が感想に弱いのかなあ」
フィオナが箱を少し横から見る。
「でも、それだけなら」
「別の方法でもいい、よね?」
「そうなんだよねぇ……」
フィオナが小さな鏡を取り出し、箱の下へ差し込む。鏡の中に、箱の底が映った。
四方から回された水草糸が、底の中央でひとつの輪に集まっている。輪は締め切られていない。指一本分ほどの隙間を残して、そこからまた糸の端が布の中へ戻っていた。
箱を置いたままでは、この輪は見えない。持ち上げた者だけが気づく場所に、わざわざ結び目が作ってある。
「わざわざ底で戻してる」
フィオナが言った。
「湿度のためだけなら、こんな結び方にはしないと思うんだけど」
フィオナは、鏡の角度を変え、輪の幅と糸の戻り方を記録票へ写していく。針でほどく前に、結び目の形を紙へ残しておくように。
三号が管理履歴を表示する。
「発送地、ヴェルナ運河共和国南水路区。最初の受取地、リューデン王国河港都市ラッセ」
「最初の?」
「ラッセで受領済み。翌日、同一の木箱がヴェルナ宛て郵便物として再登録されています」
箱の上に、封をされた手紙が一通、固定されている。差出人はノア・ベルグ。宛先は、ヴェルナ運河共和国の水路案内人セレナ・イール。
「一度ノアさんへ届いて、そのまま送り返される途中だったんだ」
「登録手続きは未完了です」
三号が答える。
「差出人署名の前に、受付台から転送経路へ引き込まれたものと推定します」
木箱は一度、ノアの手に渡った。その翌日には、封をした手紙を載せて、元の差出人へ返されようとしている。ただ、箱の底には、受け取った者にしか気づけない結び目が残ったままだ。
フィオナが包み布の端を見る。
「第四へ運べる? 私も一緒に」
「うーん、構わないけど。でもノアさんに直接持ってけば良くない?」
少し、感覚を周囲に向ける。風路の状態は良好。しばらくは問題ないと思う。
「先に、この結び方の意味を調べてほしいんだ」
フィオナが箱の四隅を支え、傾けないまま保全板へ移す。
「布も糸も、まだ生きてる」
フィオナが、封筒へ目を落とす。私もその目線を追うように。フィオナの言っていることは、すごくわかる。まだ、生きている。
「ただ、届ければ良いっていうわけじゃないんです」
「うわ、懐かしっ」
校長先生のモノマネが本当に上手で、思わず口から漏れた。えへへ、と照れたように笑うフィオナがすこし、眩しく見えた。
第四支局へ戻ると、支局長が木箱と封筒を別々の保全板へ置いた。
「封筒は受付前だな。組合の郵便物に登録はない」
「……ノアさんへ返します?」
「本人に確認を取るしかあるまい。箱も手紙も、現時点では彼の所有物だ」
エルナさんはヴェルナ側の申告記録を確認していた。
「木箱は返送品ではなく、返礼品として登録されています」
「贈ったものが戻ってきたのに?」
「申告上は、返礼ですね」
エルナさんが記録の列を指でたどっていく。内容物は、銀製の首飾り。九日前にノアがセレナへ送ったものだと、そこに残っている。セレナは受領したあと、同じ木箱で首飾りをラッセへ送り返していた。返却ではなく、返礼として。
アデルが運航表を持って入ってくる。
「今日の夕方、ヴェルナから河川郵便便が来ます。交換官なら、この結び方を知ってるかもしれない」
「照会するのは、外装と返礼区分の一般的な意味だけ」
エルナが言う。
「差出人、受取人、内容物は伏せてください」
「分かりました」
フィオナが保全箱から、練習用の水草糸を取り出す。現物の糸には、指も触れない。湿度を合わせた布片の上で、記録票と見くらべながら、同じ結び目を作っていく。四方から糸を回し、底でひとつの輪へ集める。輪は締め切らず、指一本分の隙間を残した。
「どうして空けるんだろう」
「そこを聞きたい」
フィオナが糸の端を布へ戻し、結び目を裏返した。
表から見れば、ただの防湿梱包。
底から見れば、戻ってくる糸。
箱は濡れていなかった。
けれど、まだ乾いてもいなかった。




