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風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Letter7 声の手紙
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結び直した紐

 翌朝、黄角羊の隊は日の出より早く動き始めた。


 砂海の朝は冷える。


 夜の間に岩へ溜まった冷気が足元へ残り、吐く息が白くなるほどではないのに、指先だけが妙にかじかんだ。羊たちは低く鳴きながら身を寄せ合い、子どもたちは眠そうな顔で毛布を畳んでいる。


 火を消す者。


 灰を砂へならす者。


 水袋を荷車へ積む者。


 病人の寝床を揺れにくい位置へ移す者。


 隊長はその中心を歩いていた。


 声を荒げることはない。けれど、誰が何をすればいいかは、彼女が一番早く見ているんだと思う。ここまでできるようになるのに、どれだけの時間がかかったんだろう。


「その車は後ろへ。砂が深くなったら羊を二頭足して」


「北の尾根は越えません。日影の多い谷を回る予定に」


「水袋を三つ、先頭へ。子どもたちには今のうちに飲ませてください」


 指示を出すたび、腰の青い紐が揺れる。


 マリヤさんは何も答えてはくれなかった。


 いったい何を聞いて、何を思ったのか、それはわからない。それでも。


「リン」


 アデルが小声で呼んだ。


「羊、そっち行った」


「ん、うえっ」


 私が振り返ると、黄角羊が一頭、のんびりした顔で荷車の脇を抜けようとしていた。


「待って、そっちはだめ、ちょっ……」


 リンは慌てて前へ回った。


 だが羊は止まらない。むしろ、自分を面倒くさそうに避けて進む。


 昨日の子どもが、遠くからため息をついた。


「前に立たないでって言ったのに~!」


 仰る通りでして。


 私が素直に下がると、子どもは縄を手に駆け寄り、羊の首を軽く叩いた。


 羊はようやく進路を変える。アデルが横で笑いをこらえている。


「陸上だと本当に頼りないよね」


「……うっさい!」


 ニヤニヤしながら纏わりつくアデルを振り払う。もう、誰しも得手不得手はあるだろうに。


 周囲を見渡すと、マリヤさんがこちらを見ている。少しだけ、口元が動いた気がした。


 隊が出発する前、マリヤさんは私たちを岩陰の端にくるように、と呼びだした。


 そこからは、今日向かう谷筋が見える。砂丘の稜線が朝日に照らされ、薄い金色の道のように伸びている。綺麗だな、と思った。


「ここからなら、迷いづらいかと」


 マリヤさんは細い杖で砂の上に線を引いた。


「恐らく、この様に戻られれば、よろしいかと」


 アデルがその線を覗き込む。


「西へ回る?」


「はい。岩の影を三つ越えてから南へ」


「……分かりました。」


 アデルは木板の空いたところに書き込んだ。ハサンさんに貰った板に、マリヤさんの道が足されていく。配達のために作られた一枚の薄い地図が、少しずつこの土地の生活を含んでいく。


「……その板、ハサンが?」


「はい。昨日、私たちに渡してくれました」


「なら、持って帰ってください」


「あ、そうじゃん、渡すように言われてたんだった」


 アデルも私とさほど変わらないじゃないか。どうやら、視線で伝わったようだ。


「リンよりはまし」


 マリヤさんはアデルの持つ木板を見ながら、


「私たちは空を飛びませんから」


 とだけ言った。空を飛ばないのに、風路に詳しいのは、何故だろうか。聞いてみたいとも思ったが、今ではない。なんか、そう思う。


 アデルは少し迷ったようにもみえてけど、それらを飲み込んだのか、うなずいた。


「分かりました。ハサンさんに返します」


「お願いします」


 マリヤさんは私へ向き直る。その瞳に宿る揺れ。うまく、言葉にならない。


「昨日の言葉も」


「次に送るなら、窓の話をして」


「はい」


 短いやり取りだった。けれど、マリヤさんはそれ以上を求めていなかったんだと思う。何か、追加があったのだとしたら、申し訳ないけれど。


 私は背筋を伸ばした。


「必ず、届けます」


 マリヤさんはうなずき、腰の青い紐に手を置いた。


 結び目を確かめるように、指で一度だけ触れる。


「ハサンには、もう一つ」


「はい」


「腕を治してから、砂海へ戻れと。申し訳ないと思うなら、尚更、ね」


「伝えます」


 マリヤさんはそれで背を向けたまま、手を振った。 羊の群れへ戻り、若い男へ何かを言い、荷車の横を歩く老人へ手を貸す。


その背中を見届けてから、箒へ跨った。


「行こう」


「うん」


 高くは飛ばない。


 マリヤさんが教えてくれた岩の影を辿り、風に砂を取られない高さで進む。


 振り返ると、黄角羊の隊が動き出していた。


 砂色の天幕が畳まれ、荷車が軋み、羊たちがゆっくり谷へ入っていく。


 空から見れば、小さな列に過ぎない。けれど、私にはもう、それがただの点には見えなかった。


 水を選び、影を選び、羊を休ませ、病人を運び、子どもを叱りながら進む人々の道だ。


 マリヤさんは、その先頭と後方を行き来しながら、隊を連れて歩いているのだろう。少し、鼻の奥がツンとした。



 カルファ交換所へ戻る頃には、昼を少し過ぎていた。


 砂海の熱はすでに強く、外壁の内側へ降りても、石床から熱が立ち上ってくる。


 私たちが発着場へ入ると、受付の職員がすぐに奥へ声をかけた。


 ハサンさんは昨日と同じ長椅子に座っていた。


 吊った腕は布で固定され、額の包帯もまだ外れていない。だが、顔色は昨日より少し戻っている。


 私たちを見るなり、彼は立ち上がろうとした。


「座ったままで」


 アデルが先に言った。


 ハサンさんは一瞬止まり、それから素直に座り直した。


「……どうだった」


「会えました」


 リンは保全箱を受付台へ置いた。


 もう中に黒い筒はない。


 再生を終えた筒は、マリヤの隊に残された。再生済みの口述筒は、受取人が保管するか、土地の習わしに従って割る。マリヤは、しばらく自分で持つと言った。


「筒は、本人が受領しました。再生も完了しています。声の大きな欠落はありません」


 彼は目を閉じて、昨日と同じように息を吐く。


「そう、か」


「ああ、それで。マリヤさんから、言葉を預かっています」


 ハサンさんは少し、姿勢を正したように見える。覚悟を決めた男性の顔が、そこにはあった。


「次に送るなら、窓の話をして」


 ハサンさんはしばらく黙っていた。


 受付台の向こうで、交換所の職員も手を止めている。


 その沈黙を、急かすことなど、誰にもできないと思う。だってこれは……。


 彼はやがて、吊っていない方の手で胸元の組合証に触れた。


「確かに」


 短い返事だった。だが、その声は少し掠れていた。


「サリマへ?」


 アデルが尋ねる。


「ああ。通常便ではなく、口述郵便官の口頭報告にとして。彼女に、必ず」


「ええ、お願いします」


 ナディアさんへ、返事を強いることはできない。マリヤさんが次の声を拒まなかったとしても、それを送るかどうかはナディアさんのものだ。


 けれど、道はつながった。声は、思いは、片道切符にはならない。


「それともう一つ」


 私はハサンさんの顔を良く見つめる。


「腕を治してから、砂海へ戻れ。申し訳ないと思うなら、尚更、ね」


 彼は一瞬だけ目を丸くして、それから、初めて少し笑った。


「マリヤらしいな」


 彼は深くうなずいて、


「そうさせてもらおう」


 誰に応えるわけでもなく、そう、呟いた。


 アデルは木板を取り出し、受付台へ置いた。


「これ、マリヤさんから返すようにって」


 黙って彼は受け取った。自分が刻んだ七つの井戸の印。


 そこへ、アデルの書き込みと、マリヤが砂に引いた道が足されている。


 水の浅い井戸。


 風で崩れた尾根。


 岩の影を三つ越える迂回路。


 小さな地図は、昨日より少し汚れていた。砂が噛み、角が欠け、アデルの字も揺れている。


「……感謝する」


 ハサンさんは木板を両手で持てないことに気づき、少し悔しそうに片手で押さえた。


「風路が一つ、ダメになっちまったからな」


「いえ、そんな、私はただ」


「何度でも言おう。感謝する。」


 その声に、アデルは顔を少し赤らめて俯いた。どうやら、もう、言い返す気はなさそうだ。

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