↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Letter6 春を待たない手紙
PR
55/96

父として

 北西郵便局の中は、薪の匂いがした。


 受付の奥には小さな暖炉があり、その前に濡れた手袋がいくつも吊るされている。壁には、冬道用の地図と、春まで閉じる支線の札が並んでいた。


 それとは別に、少し離れた場所にもう一つ、棚があった。


 暖炉から一番遠い、窓際の棚。


 そこには、白い枝の紋が押された封筒が、いくつも立てて保管されている。


 どの封筒にも、開封を防ぐための細い紐がかけられていた。


「ああ、気になりますか? 春待ちの棚、我々はそう呼びます」


 私の視線に気づいたらしい。その名前を聞いただけで、その棚にある手紙がどんな意味を持つのか理解できた。


「冬の間に亡くなった人が残した言葉は、春の最初の鐘まで、ここで預かります」


「……差出人へ届くのは」


 わかっている。理解している。知っている。それでも、聞かずにはいられなかった。


「雪が溶けたころに」


 ネルカさんは、静かに、穏やかに答えた。それだけなのに。なんだか、私と彼女の間に薄く壁が有るように感じた。


「冷たい決まりに、聞こえるのでしょうか」


 ……少し、態度に出ていただろうか。


「わかりません」


 正直に言う。


「雪の有無で、何が変わるのか。それがどんな意味を持つのか。」


 そうですね、と短く言って、ネルカさんは頭を悩ませているようだった。


「この村では、冬が長いんです」


 ネルカは手袋を外し、受付帳を開いた。


「亡くなった人の最後の言葉を、すぐに届けてしまうと、残された人が冬を越せなくなることがあります。何度も読み返して……。暖炉の前から動けなくなる。畑も、家畜も、子供たちすら残っているのに、春まで生きている人の手が止まってしまう」


 暖炉の薪が、小さく爆ぜた。


「だから、春まで預かります。雪が緩んで、最初の鐘が鳴って、白枝を燃やす日に渡す。忘れるためでも、無かったことにするためでも、ありません」


 ネルカさんは春待ちの棚を見た。


「生きている人が、この厳しい季節を乗り越えられるように」


 何も、答えられない。 正しいかどうかが、問題ではない。


 その決まりで、実際に越えてきた冬が、ある。実際に守られた人たちが、いる。


 暖炉から一番遠い机に郵便鞄を置いた。急な温度の変化を嫌ってのことだ。


 ネルカさんもそれに気づいたらしく、近くの窓を少しだけ開けてくれる。


 冷たい空気が入ってくる。やはり、寒いのは好きになれない。


「随分、丁寧に」


「万が一があっては、困るかと」


 アデルが答えた。


「助かります」


 ネルカさんは恭しく深く一礼する。


 それから、管理票を机に置き、受付帳を開いた。


 受付印と同じ日付の欄に、ヨルン・カルヴァの名がある。


「受付のときに確認したんですよ?」


 いったい、何のことだろうか。


「冬の間に亡くなった者の言葉は、春まで預かるのがこの土地の決まりです。病状を考えれば、成人登録日指定にしても、その日を迎える前に扱いが変わるかもしれない、と」


 奇麗な言葉に包んであるが、その言葉の指す意味は……。


「ヨルンさんは、何と?」


 ネルカさんは受付帳の端へ指を置いた。


 そこに書かれた日付を、少しだけなぞる。


「結構、短気な人なんですけどね。珍しく、怒りませんでした。困ったように俯いて」


 橇から降りるのもやっとで、受付台に手をついて、しばらく息を整えていたのだという。


 こちらで代筆もできます、とネルカさんは言ったのだと言う。


 それでもヨルンさんは拒んだ。


「『これで、最後になるかもしれんから』って」


 ……最後の言葉くらい、自分の言葉で。文字で。


 郵便鞄を見た。灰白色の保護袋は、まだ鞄の中で静かにしている。


「ヨルンは少し笑っていました。笑うのも苦しそうでしたけど」


 ネルカの声が、ほんの少し低くなる。


「『春まで待ったら、あいつはもうここにいない』とも」


 窓の外で、橇の鈴が鳴った。


「『だから、成人の日にしてくれ。俺の名前じゃなく、代理人の名前でもなく、エイノ自身の名前で受け取れる日に』」


「それから?」


「少し黙っていましたかね」


 ネルカさんは受付帳を閉じた。


「最後に、『そこまで生きられるかは分からない。でも、そこまでは父親でいたい』なんて。そんな殊勝なことがいえる人だとは思いませんでしたよ」


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 北西郵便局の外では、雪を踏む音が増えている。


 リンドホルム村の昼は、そのまま続いていく。


 煙突からは煙が上がり、広場の向こうでは誰かが橇へ荷物を積んでいる。


「ヨルンは、一昨日の明け方に亡くなりました」


 その言葉だけは、受付帳を見ずに言った。


 聞きたかったことの答えは、もう出ている。


 けれど、それを受け止めるのに、少し、時間が欲しい。


「エイノさんは、この手紙のことを知っているんですか」

 

 アデルがついに口を開いた。

 

「知りません」


「ヨルンが、成人登録が済むまで伏せておいてほしいと言いました。子供として受け取るのではなく、大人として受け取らせたいから、と」


 アデルが時計を見る。


「成人登録は」


「三日後です」


「登録が済んだその日の夕方に、エイノは南部の造船所へ発つ予定です」


 頷きかけて、止めた。間に合っている。


 だからこそ、急いで渡せば済む話ではなかった。


 この村では、冬に亡くなった人の言葉を春まで家に入れない。


 けれど、ヨルンは生きている間にこの手紙を出した。


 エイノが成人した日に、自分の名前で受け取るよう、わざわざ指定した。


 どちらも、この土地にある本当のことだった。


「手紙が戻ってきたことを、エイノに知らせるべきかどうか」


 窓の外で、橇の鈴がまた鳴る。


「知らせなければ、春まで預かれます」


 ネルカさんは続けた。


「この村の決まりどおりに」


「知らせれば、エイノさんに選ばせることになる、ということですね」


 アデルはため息をつきながらも、確認をとる。


「ええ、選ばせること自体が、冬の決まりを破るのかもしれない」


 ネルカさんの声は静かだった。


 規則だけを守る人の声ではなかった。


 この村で、人が冬を越すのを見てきた人の声だった。


 自分は答えを持っていない。ここでの暮らしを、知らないから


「郵便官としては、あなた方がどう思うのか、なんとなく分かります。本人限定で、成人登録後。差出人の指定も、受取人の期限も明確です」


 ネルカさんは受付帳の上に置いた手を、少しだけ握った。


「でも、この村の者としては、まだ分かりません」


 リンは黙って聞いた。


「伝えることも怖いんですし」


 一度そこで言葉を切る。ネルカさんは項垂れているようにも、見える。


「伝えないことも、怖い」


 暖炉の火が、小さく揺れた。


 アデルは何も言わずに、窓の外を見ていた。


 広場では、村人が白い枝の根元の雪を払っている。


 何年も、何度も、同じ冬を越してきたのだろう。


「知らないまま春まで待たせることを、私たちだけで決めていいとは思えません」


 正しさではなく、願いが混ざっている。


 エイノさんに、知ってほしい。ヨルンさんが手紙を出したことだけでも。


 そう思っている自分がいる。


 一度、息を吸った。


「でも、受け取るようには言いません。春まで待つこともできます。受け取らないこともできます」


 ネルカさんが私を見る。


「ただ、手紙があることを知らないまま待つかどうかを、こちらで決めることはできません」


 ネルカさんは返事をしなかった。長い沈黙だった。


 風が窓の隙間を鳴らす。


 それから、ネルカは受付帳を閉じた。


「私たちがここで伏せると決めることでもないのでしょうね」


 困ったようにな笑顔で続ける。


「成人登録の日に、私から時間を取ります。あなたたちも同席してください」


「はい」


「滞在先を用意します。三日後まで、北西郵便局で手紙を保管します」


「私たちもここに?」


 アデルが尋ねた。


「できれば。冬道は毎日開くわけではありません。登録当日に国境灯台から来ようとすると、間に合わない可能性があります」


 アデルは窓の外を見た。


 雪雲は低い。


 風は安定しているが、明日もそうとは限らない。


「分かりました」


 アデルは頷いた。


「三日間、こちらで待機します」


 届けたいという気持ちは、まだそこにある。


 待つために、ここにいる。その方が、少し難しいと思える。


「エイノが、自分の名を書き終えてから話しましょう」


 ネルカさんが言って、私たちは頷いた。


 郵便鞄は、暖炉から遠い机の上で静かに置かれている。


 その中で、一通の手紙が、まだ誰にも読まれずに待っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。