始まりの手
フィオナは、灰白色の保護袋へ直接触れず、外側から薄い保全板を差し入れた。
手は早い。けれど、急いでいるようには見えない。その速さが逆に嘘と思えるほど、正確で丁寧だ。
封蝋のある側だけ空間を少し広く取り、袋の形を潰さないよう、防湿布の端を折る。
布の折り目は、まっすぐではなかった。
封筒の厚みと、管理札の浮き方に合わせて、少しずつ逃がしてある。
同じことをやれと言われたら、私は間違いなく、怒る。その自信がある。
「終わった?」
「うん。これで大丈夫だと思う、けど……」
フィオナは留め具を一つ締めた。
「分かってる、取扱注意には変わらない、でしょ」
「おお、よくわかったね……」
私のことを、なんだと思っているのか。心底意外そうにこちらを見ているのは、おそらく演技ではない。
「もう!」
フィオナは私の抗議には取り合わず、最後の留め具を締める。
「暖かい場所に長く置かないで。第四支局へ戻ったら、包装室。北西郵便局へ行くなら、途中で冷却布を外さないこと!」
「えっと、うん」
「あと、雪枝印の面は上。鞄の中で下にしないで」
「うん……、うん?」
「リーンー」
「あの……、えへ」
言おうとしたことを、飲み込んだ。全く覚えられない。いや、矢継ぎ早に全てを詰め込まれてはだれしも、こうなるというものだ。
フィオナは深いため息を一つ、吐いた。
「書いておくから、きちんと目を通してね」
黙って頷く。申し訳ないなとは思うが、万が一、を考えてしまうと、そっちのほうが確実だと思えるのだ。
フィオナはそれ以上は何も言わず、紙にまとめ始めた。
三号が新しい管理札を発行する。
「仮管理番号、風待ち試験一号。搬出者、リネット・ファルン。保全担当、フィオナ・レイ」
「試験一号……?」
聞きなじみのない言葉に、思わずその文字を見た。
「三号、到着時の状態記録を複写して」
フィオナはあまり気に留めていないらしい。結構こういう所は懐が深いというか、大雑把なところは相変わらずだ。
「複写を実行します」
フィオナが受け取った記録票を、防湿布の外側へ差し込む。
「第四支局で、エルナさんと支局長に見せて。現地へ出す判断は、たぶんそのあとになる……のかな?」
「あー……、たぶん、そう、だよね」
黙って持ち出すわけには、いかないのは少し面倒だ。そう考えながら保全袋を郵便鞄へ収めた。
ハインさんが受入台の横で腕を組んでいる。
「北西郵便所へ行くなら、ネルカ・オルセンを訪ねてみるといい」
「ネルカさん?」
「あそこの郵便官だ。雪枝印の扱いなら俺より、詳しい。というか、俺も彼女に教えてもらった」
「お知り合いですか」
「と、言っても最後に会ったのはしばらく前だがな。」
ハインさんは受付の奥に積まれた古い目録帳へ目を向けた。
「まだいるかは、わかんないんだね」
「リーンー」
「……ゴメン」
少し、迂闊だったろうか。ハインさんは気にする様子もなく灰白色の保護袋を見る。
「居なければ居ないで、かまわない。とにかく、向こうの指示を一度仰いだ方が良い」
郵便鞄の蓋を閉じる。
「わかりました」
ハインさんは少し微笑んでから、頷いてくれた。それから、発着場の方を見た。
箒を取り、そちらへ向かう。
「それでは、また」
建物から外へ出ると、霧はさっきより薄くなっていた。
旧風路はまだ残っている。ただし、入口の形は来たときより細くなっているように感じる。
発着場の端で一度振り返る。フィオナが扉の前に立っているのが見えた。
作業用の前掛けは、もう紙粉で白くなっていた。手を振るわけではない。ただ、リンの郵便鞄と箒の穂先を順番に見ている。
「行ってくる」
「うん」
フィオナは少し笑った。
「リンは帰ったらすぐ報告と記録、だね」
「分かってる……。うーん、何とかならないかな」
「そんなことばっかり言うから……」
フィオナは呆れたように、わざとらしく深いため息をついた。
ハインさんはフィオナの後ろで、窓枠を持ち上げていた。
「戻るなら、次は釘も持ってきてもらえるか」
「なんでもいいの?」
「長いのだ。屋根に使う」
「分かりました」
「それと、茶葉は多めでいい」
フィオナが横から言った。
「もう飲みました?」
「味を見ただけだ」
「それを飲んだって言うのでは?」
ハインさんは答えず、窓枠を抱えて奥へ引っ込んだ。
リンは少しだけ笑ってから、箒へ跨がった。
風待ちに残るのは、フィオナ。
ここから先は、私の仕事である。
箒が風を掴む。霧の中へ入る直前、三号の声が受付から聞こえた。
「出発時刻を記録します」
私は振り返らず、片手だけ上げて、返事をした。




