届いたもの②
数分後、フィオナは作業用の前掛けをつけたまま会議室へ入ってきた。
片手には、切りかけの封緘紐を持っている。
「途中だった?」
「うん。だから、短い話だと助かるんですが」
フィオナはユリウスへ頭を下げ、空いている席へ座った。
「フィオナ・レイです」
「風待ち郵便局へ十五日間滞在する計画について、説明は受けていますか」
「数日前に」
「帰路が失われた場合、予定どおり戻れない可能性も」
「はい、確かに」
「怖くは、ないのですか」
フィオナは、すぐには答えなかった。
指に巻いていた封緘紐をほどき、机の上へ置く。
「怖いですよ」
柔らかい声だった。
「家に帰れないかもしれないのも、知らない場所で寝るのも。ハインさんが、どんなものを食べてるのかも分からないし」
「最後のは準備でどうにかなるだろ」
支局長が言う。
「だから二十日分持っていきます」
フィオナは少し笑ってから、答える。
「でも、怖いから行かないでいたら、あそこに残っている手紙はもっと傷みます。十一年、一人で守ってきた人に、もう少し待ってくださいとは、言いにくいです」
まだ会ったことのないハインについて、フィオナはそう言った。
「ファルンさんだけを行かせたくない、という理由もありますか」
ユリウスが尋ねる。
「あります!」
そこは元気よく答えるところなのだろうか?
「リンは無事かどうか気になったら、ベタベタ触りますから」
「触る前に考えるよ」
「一回はね」
「一回?」
「考えたあと、必要だと思ったら触るでしょう?」
「それは、必要なら」
「だから私が行くんだよ~」
フィオナは私へ悪戯っぽく笑いかけ、それからユリウスへ向き直った。
「古い郵便は、正しい方法で触っても壊れることがあります。外から見ただけでは、紙が生きているか分からない。せっかく残ったものを、外へ出す私たちの手で駄目にしたくは、ありません」
「第四支局の通常業務は?」
「私が抜ける日は、包装班の担当を組み直します。急な便が増えたら、風待ちの作業を遅らせます」
「風待ちを優先しない?」
「どちらも、郵便ですから」
フィオナは、少し困ったように笑った。
「遠くにある方だけを大事にしたら、ここで待ってる手紙に、悪いでしょう?」
ユリウスはしばらく答えなかった。
申請書を最初からもう一度読み直し、やがて赤い封印具を取り出す。
「正式な再稼働は認めません」
支局長の眉間に皺が寄る。
「ただし、事故郵便の状態確認、保全、配達可否の照会を目的とした、十五日間の試験運用を認めます」
認める。その言葉だけなら、跳ね上がっていたと思う。
けれど、ユリウスの声は、許可を出す、というより、なんというか。こちらを試しているようにも聞こえた。
「届けられるかどうかだけで判断しないように」
はて、どういう意味だろうか。少し、考えても、よくわからない。
「受取人が存在する。期限が残っている。経路が見つかる。それだけでは、配達してよい理由にはなりません」
フィオナの指先に巻かれた封緘紐が、机の上で小さく揺れた。
「その人が、今、受け取れる状態にあるか。差出人が、その形で届くことを望んでいるか。そこまで確認してください」
ユリウスは赤い封印具を取り出した。
「それが、条件です」
会議室の空気が、少しだけ止まった。
リンは、その言葉をすぐには飲み込めなかった。
届けられるなら、届ける。
その方が分かりやすくて、その方がずっと気分がいい。
けれど、目の前の袋や封筒は、リンの気持ちよさのために残っていたわけではない。
ユリウスは、申請書の下に挟まれていた写しを一枚抜いた。
「保全担当についても確認しています」
フィオナが、ぴくりと肩を動かした。
「え」
「フィオナ・レイさん。郵便魔女養成学校、保全課程。古封緘、脆化紙、長期保管郵便物の一次保全。大変優秀な評価をいただいているようですね」
「やめてください」
フィオナが小さく言った。
「良かったじゃん?」
「そこは、流して」
フィオナは封緘紐を指に巻き直した。いつもの癖だった。困った時や、言いにくいことを飲み込む時、フィオナは細い紐を指へ巻く。
ユリウスは、二人のやり取りには構わず、書面へ視線を落とした。
「講評があります」
「本当に読まなくていいです」
「必要です」
ユリウスは淡々と言った。
「保全とは、早く開ける技術ではない。壊さず、受け取れる時まで持たせる技術である。飛行担当者が到達を急ぐ場合、保全担当者はそれを止めることをためらってはならない」
リンは、フィオナを見た。
「……止めるの?」
「必要なら」
フィオナは、少し困った顔をした。
「校長先生、そういうところは厳しかったから」
校長先生。
講堂の壇上で、いつも穏やかに話す人だった。声を荒げたところは見たことがない。けれど、実技訓練で無理に高度を上げた生徒がいた時だけは、次の授業まで箒を預けさせた。
飛ぶな、と言われたのではない。
飛ぶ前に止まれ、と言われた。
リンは、その時のことを思い出して、少しだけ口を閉じた。
エルナが短く頷いた。
「なら、ちょうどいいわね」
「ちょうどいい?」
「あなた、急ぎすぎるから」
否定できなかった。
「急ぐのが悪いわけじゃないよ」
フィオナは、机の上の封緘紐をそっと押さえた。
「急がなきゃ届かないものもある。でも、急いだら壊れるものもあるから」
「その判断を、フィオナに任せる」
支局長が言った。
フィオナは封緘紐を巻いた指を見下ろす。
それから、ゆっくり頷いた。
「……はい」
その声は、小さかった。
フィオナの横顔を見た。風待ちへ行くのは、自分だけではない。
手紙を運ぶために行く者と、手紙を壊さないために行く者がいる。
同じ場所へ行くのに、背負うものは同じではない、それが少し、不思議に思えた。




