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風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Prologue 再起動
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47/96

届いたもの①

 東部第四支局の朝は、誰かの都合で静かになったりはしない。


 中央から第一運航監察官が来ていようと、夜明け前に届いた輸送袋は行き先ごとに分けなければならないし、受付の奥では三台の刻印機が休みなく日付印を打っている。


 発着場の扉が開くたび、冷えた風と箒の音が入り込む。


 その隙間を縫うように、食堂から焼きたての麦パンの匂いが漂っていた。


 仕分け台の端に置かれた籠には、丸いパンが三つ残っている。


 一番近い一つへ手を伸ばす。


 お腹が空いていたわけでは、断じてない。断じて。


 手を動かしていないと、気を紛らわさないとつい、会議室の方を見てしまうから。これは、仕方がないことなのだ。


 ラドナの支線がどうなるのか。


 トーヴァたちの回答書類は、誰かに読まれたのか。


 今日、中央から持ち込まれた封筒の中に、その返事がある。


 そう思うと、刻印機の音までいつもより大きく聞こえた。


「仕事が先」


 横からアデルに、自分の手首を軽く叩かれた。


「分かってる」


 手を引っ込め、我ながら不服そうな声が出たなと思う。


 パンの表面には、まだ少し湯気が残っている。


「分かってるなら、手を伸ばすなよ……」


「これは確認、仕方がないの」


「……何の?」


「温度」


 アデルは呆れた顔をした。大げさすぎるほどだ。


 会議室へ続く廊下を、一度だけ見る。


 扉は半分開いている。


 向こうに、磨かれた黒い靴が見えていた。


「結果、今日だよね」


「うん」


 フィオナの問いかけに、短く返事をした。それから、仕分け台の上の輸送袋へ視線を戻した。


 管理札を持ち上げる。


 内容は問題ない。


 問題ないとわかっているのに、最初の一行をもう一度読んでいた。


「北部第三中継所」


「それ、西部」


 アデルが袋の側面を指す。


 褪せた紫色の縫い糸が走っている。長く使われてきたせいで、青とも灰色とも判断がつかない色になっていた。


「この色、だいぶ北部に寄ってない?」


「寄ってない。西部」


「……新しいのに変えない? ここまできたら」


「まぁ、それは思うけどね」


「文句でも言いに行くか……。」


「リン! 今は西部へ載せろって!」


 アデルが袋を持ち上げようとした。


 そのとき、袋の口を留めた封緘紐が小さく軋んだ。


「ちょっ! 待って! 力、入れすぎだから!」


 包装台にいたフィオナが顔を上げた。


 声は大きくなかったが、アデルの手はそこで止まる。


 フィオナが私たちの間へ入り、袋の口を覗き込んだ。


「その持ち方だと、封蝋が欠けちゃうんだってばぁ……」


「まだ欠けてない……な、大丈夫!」


「もーう! ちょっと貸して」


 封蝋の縁へ指を近づける。


 直接触れず、光の角度を変えながら、細かな亀裂がないか確かめていく。


 フィオナのその手つきを見るのが、私は好きだ。


 封筒や紐や蝋が、フィオナの前では急に生き物のように扱われる。乱暴に触れば壊れるし、正しく扱えばもう少し遠くまで行けるものとして、ひとつずつ見られている。


「うん、大丈夫。割れてない。ほんと、気を付けてよね!保護魔法も万能じゃないんだから!」


 フィオナは緩んでいた箇所へ新しい紐を添え、元の結び目を傷めないよう固定した。


「はい。二人で持って」


「私も?」


「リンも」


「……自分の分は、もう済ませたけど」


「手は、空いてるよね?」


 少し、良くない予兆を感じる。フィオナは怒らせると結構怖い。黙って袋の反対側を持った。


 アデルもそれを感じ取ったようで、二人で西部行きの荷車へ載せる。


 フィオナは封緘紐を念のためもう一度確かめ、管理札の端へ小さな検印を押した。


「西部行き。今度こそ」


「アデルが雑に扱うから」


「まだ言う!?」


 アデルの声が少しだけ大きくなった。


 受付にいた職員が二人、こちらを振り返る。


 アデルは気まずそうに口を閉じた。


「中央の人、もう来てるみたいだから、静かに!」


 フィオナが会議室へ続く廊下へ視線を向ける。


 国際郵便組合中央運航局、第一運航監察官。


 ユリウス・ヴァーレンと名乗った男は、予定より二十分も早く第四支局へ到着していた。


 それでも、オスカー支局長は朝の集配を続けるよう指示した。


 ユリウスも急かさず、会議室で渡された茶を飲みながら、時折、開いた扉の向こうを眺めている。


 最後の輸送袋が発着場へ運ばれたあと、もう一度パンの籠を見た。


 三つあったはずの丸パンは、二つになっていた。


「一つ減ってるかぁ……。」


「さっき荷車の人が持っていったのかもね」


 フィオナが言った。


「逃げられたか~」


「……フッ」


 アデルのツボに入ったようだ。やってやったぜ。それでも、彼女は自分の分だけを取り、私から少し離して持つ。


「私のはあげないから」


「まだ何も言ってない!」


「目でわかるもん」


「う~~」


 フィオナが自分のパンを半分に割った。


 片方を私へ差し出す。


「はい」


「いいの?」


「みんなで食べたほうが、おいしいから」


 なんていい子だろうか。


 「大好き」


 一度フィオナへ抱き着いてから、パンを受け取った。


 まだ温かい。


 指先に熱が移る。


「ありがと」


 そう言って一口かじったところで、会議室から呼出鐘が鳴った。


「リン」


 続いて、エルナの声が廊下へ届く。急いで飲み込んだ。


 喉に少し詰まり、胸のあたりが熱くなる。


「行ってくる」


「待って」


 フィオナが布巾を持って近づいた。


 リンの口元を軽く拭う。


「粉」


「自分でできる」


「いいから!」


 フィオナはそれだけ言って、布巾を畳んだ。


 アデルはリンの背中を押さず、会議室の方を見る。


「行ってらっしゃい」


「うん」


 パンの残りをフィオナへ預け、会議室へ向かう。


 中に入ると、長机の上には、二つの封筒が置かれていた。


 一つには中央審査局の銀色の封印。


 もう一つには、命令書を示す黒い線が引かれている。


 支局長は椅子へ深く腰を下ろし、ユリウスは背筋を伸ばしたまま座っていた。


 中央局からのお客様だというのに、我が支局長はいつもの様子を変えない。さすがの私でも不安になる佇まいだ。


 エルナさんは二人の間から少し離れた席で、すでに文書へ目を通している。彼女が何も言わない、と言うのであれば、もう仕方がないのだろう。


「失礼します」


「座れ」


 支局長に言われ、私はエルナさんの隣へ腰を下ろす。


 ユリウスが顔を上げる。


「リネット・ファルンさんですね」


「はい」


 名前を確かめるだけの問いだろうか。


 けれど、彼の視線は返事を返しても、すぐには離れなかった。


 私の顔を見て、肩にかかった髪へ移り、胸元の組合章で止まる。


 何かと見比べている、そんなように思えた。


 リンが口を開く前に、彼は銀色の封筒へ視線を戻した。


「まず、ラドナ高棚共同区に関する再審査の結果をお伝えします」


 膝の上で、指が自然に重なった。意識して握ったつもりは、ない。


「支線廃止の実施は、当面保留されることになりました」


 最初に出たのは、言葉ではなく息だった。


 胸の中に残っていたものが、少しずつほどけていく。


「提出された利用記録と現地意見書により、当初の審査で用いられた数字が、実態を反映していない可能性が認められました。中央審査局は、現地調査のやり直しを決定しています」


「調査が終わるまでは、道は残る、ということでしょうか」


「はい。支線維持に必要な魔力供給も、廃止決定以前の水準へ戻されます」


「トーヴァさんたちには?」


「現地管理所への通知は、昨日の中央便へ載せました」


 まだ、ラドナには届いていない。


 けれど、リンが中央へ運んだ回答書類から生まれた返事が、今度はラドナへ向かって飛んでいる。


 あの高棚の上で、トーヴァが封を切るところを想像した。


 どんな顔を、するだろうか。


 トーヴァさんならきっと、すぐには喜ばない。悪態をつきながら口元をにやりと吊り上げる、そんな風に思った。


 それでも、あの場所から道が消える日は、少なくとも今日ではなくなった。


「よかっ、た~」


 つい、声が零れた。


「まだ、残ると決まったわけじゃないがな」


 支局長が補足してくれる。


「分かってます!」


「そうか? 全部片付いた、そんな風に見えたがな」


「そこまでは思ってません!」


 たぶん。


「……思ってた、わねぇ」


 エルナさんが文書から目を上げず、ため息交じりに呟いた。


 どうやら、何を言っても無駄らしい。


「とりあえず、一安心くらいしてもいいじゃないですか」


 支局長が僅かに口元を緩める。


「まあな」


 ユリウスは、そのやり取りを遮らず、ただ、黙って聞いていた。


 文書を閉じ、銀色の封筒を机の端へ移す。


「ラドナについては以上です」


 今度は、黒い線の入った命令書が中央へ置かれた。


「続いて、東部第四支局による独自調査の停止と、関係資料の引き渡しについて確認します」


「原本は揃えてある」


 支局長が机の脇を指した。


 封のされた木箱が二つ置かれている。


 風待ち郵便局で回収した記録。


 旧風路を通った際の運航記録。


 自然魔力流の観測値。


 四十二年前の風路網再編に関する資料。


「運航記録と、事故郵便の取扱記録の写しは、こちらにも残す」


「命令書では、関係資料をすべて引き渡すよう求めています」


「自分たちが飛んだ経路くらい、中央へ照会しなくても確認させろ。事故が起きてから返事を待っていたんじゃ遅い」


「独自調査へ使用しないと保証できますか」


「封をする。見るのは俺と一等郵便官のエルナ・ヴァイスの二名に絞る」


 彼はすぐには答えず、少し思案をしているように見える。


 木箱の上から目録を取り、一頁ずつ確認していく。


 外では誰かが荷車を押しているのだろう。ゴロゴロと車輪が転がる音が響く。


 車輪が床板の継ぎ目を越えるたび、規則正しい音が聞こえる。


「現行の運航記録と、事故郵便の取扱記録に限り、複製保存を認めます」


「最初からそう言え」


「条件を聞く前に認めることはできません」


「中央は何でも遅いじゃないか」


「急いだ判断の後始末を、現場の人間にさせないためです」


 支局長の指が机を叩きかけて止まった。


 ユリウスの声は穏やかだった。


 それでも、その言葉だけは、規定を読み上げているようには聞こえなかった。


「独自調査は停止していただきます」


 彼は持っていた目録を閉じる。


「風路消失の原因、旧設備の構造、四十二年前の再編との関連について、第四支局が独自に調査を進めることは認めません」


「分かっている」


 手元に置いていた別の書類を差し出した。


 表紙には、中央の書式に沿った長い題名が印刷されている。


 旧風待ち郵便局における事故郵便保全及び再送試験運用申請書。


「調査はしない。だが、郵便は扱う」


「同じ場所で、同じ設備を使用するのでしょう」


「目的が違う。風待ちには四十二年前の郵便だけじゃなく、今の管理番号がついた袋まで流れ着いている。手紙が届き続けてるのに、中央の話し合いが終わるまで積んでおけと言うのか」


「管理方法は検討されています」


「郵便は、検討が済むまで待ってくれない」


 オスカーの声が少し低くなる。


 リンは、机の上に置かれた申請書を見た。


 旧風待ち郵便局における事故郵便保全及び再送試験運用申請書。


 長い名前だった。


 けれど、その長さの中には、あの仕分け棚の匂いも、ハインが一通ずつ拾い上げていた手つきも、三号の胸元に浮かんだ古い管理番号も入っていない。


 あそこにあるものは、書類の中では事故郵便と呼ばれる。


 でも、リンにはそう見えなかった。


 誰かが待っていたもの。


 誰かが待たせてしまったもの。


 それを、もう一度外へ出してよいのかどうか。


 そのために、フィオナが行く。


 そのために、自分は風待ちへ戻る。


「……積んでおくだけなら、風待ちじゃなくてもできます」


 気づいたときには、リンはそう言っていた。


 ユリウスがこちらを見る。


「でも、あそこにある手紙は、ただ積まれていたわけじゃありません。ハインさんが、ずっと見てくれてたんです!」


 リンは膝の上で手を握った。


「だから私も、それを見なかったことにして、終わらせたくありません!」


 少し、語調が強すぎただろうか。


 ユリウスは黙って申請書を開いた。


 数頁を読み進め、役割分担の欄で手を止める。


「風待ち郵便局へ自由に出入りできるのは、ファルンさんだけですか」


「今のところは」


 支局長が答える。


「彼女が先導すれば、同行者は連れていける」


「ファルンさんが飛べなければ?」


「運用を止める」


「現地に人が残っていても?」


 支局長は想定外の質問に口をつぐんだように見えた。


 エルナさんが、開いていた飛行計画書を机へ置く。


「フィオナを試験期間中、風待ちへ配置します」


「……常駐、ですか」


「十五日間。初回に二十日分の食料と医薬品を運びます。リンは第四支局と風待ちの間で、記録と郵便物を往復させる」


「帰路が失われた場合は?」


「リンも戻しません」


 エルナは即座に答えた。


「消えかけた流れへ無理に入らせるくらいなら、二人とも風待ちへ残します。次の経路が確認できるまで、こちらから迎えには行けません」


「救援手段がないことを、運用計画へ含めると?」


「ないものを、あるようには書けません」


 エルナさんはユリウスを真っ直ぐ見た。


「怖いからこそ、最初から決めておきます。期限が迫っているとか、郵便が増えたとか、そういう理由でリンを帰らせません」


 最後の言葉だけ、少し硬かった。


 エルナさんの横顔を見る。視線は計画書へ向けられたまま動かない。


 けれど、紙の端を押さえる指には力が入っていた。


 エルナさんが何を考えているのか、自分にも何となく理解できた。


 分かるのに、胸の奥が少しだけむずがゆかった。


 自分が行けば届くものがある。


 自分が行かなければ止まるものがある。


 それを理由にしてはいけないと、何度も言われている。


 けれど、そう言われるたびに、「私」の中には小さな不服が残る。


 行けるのに。


 飛べるのに。


 そこまで思ってから、リンは膝の上で手を握った。


 あの不服こそ、エルナさんが怖がっているものなのだろう。


「ファルンさんが動けなければ、施設そのものが孤立しyてしまうのを、見逃せ、そう仰るのですか」


 ユリウスが言った。


「だから、郵便局としての再稼働ではない」


 支局長が答える。


「事故郵便を保全して、外へ出せるものを一通ずつ戻す。それだけだ」


「一人の能力へ依存していることに変わりはありません」


 ユリウスの視線が、申請書に書かれたリンの名前へ落ちた。


「その人にしかできない。本人も望んでいる。これまで成功している。そうして始まった臨時措置は、成功するほどやめにくくなります」


 外で出発鐘が鳴った。


 会議室の窓を、二騎の箒が横切っていく。


 ユリウスは、それを見送るように僅かに顔を向けた。


「いつの間にか、その人が動けること自体が、設備の一部として扱われる」


 リンはユリウスを見た。


 話しかけられているのは支局長、なのだろうか。


 その言葉の向こうに、ここにはいない誰かがいるように聞こえた。


「私は、全部を一人でやるつもりはありません」


 ユリウスがこちらを見る。


「ハインさんと三号がいて、フィオナが郵便を守る。第四支局で行き先を調べて、届ける先の郵便官にも頼る。私ができるのは、風待ちと外をつなぐところまでです」


「その出入口が、あなた一人なのが問題だと……」


「はい」


「なら、あなたが無理をすれば、全員が動ける」


「させません」


 エルナさんの声が重なった。


「リンが行けない日は、仕事を止めます」


「郵便の期限が迫っても?」


「止めます」


「現地から救援を求められても?」


 エルナさんは一度、息を吸った。


「止めます。それで失われる郵便があったとしても、リンを設備の代わりにはしません」


 すぐに納得できる言葉ではなかった。


 けれど、エルナさんがそれを口にするために、どれだけ力を込めたかは分かった。


「フィオナさん本人にも確認したい」


 ユリウスが言った。


 支局長が呼出鐘を鳴らす。

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