二連の青信号
二連の青い信号弾が上がったとき、エルナは、その発射者がアデルだとすぐに分かった。リンなら信号弾を打つより先に絶対に自分が飛び出すからだ。
二十分あった先行組との差は、主幹線へ入ってから少しずつ縮まっていた。
それでも、異変が起きた瞬間にはまだ遠かった。
前方で第十七観測塔の灯が大きく揺らぎ、主幹線そのものが横へ歪む。二騎の箒が青い流れから弾き出され、そのうち一騎だけが戻った。
もう一騎は、下層の森へ向かって落ちていった。
「リン!」
フィオナの声が裏返る。
「前を見て! 私から離れないで!」
エルナは叫びながら、落下位置を目で追った。
リンの姿は、木々の色へ紛れ始めている。
その上空で、主幹線へ戻ったアデルが箒を反転させた。
リンを追おうとしている。
だが、途中で止まった。
腰から信号筒を引き抜き、青い光を一発。短い間を置いて、もう一発。
救助要請。
発射地点の下方に墜落者あり。
アデルから、後続の二人へ向けた合図だった。
エルナは携行記録板を引き出し、信号が上がった方角と、第十七観測塔からの距離を刻み込んだ。
「落下地点、記録しました!」
フィオナが叫ぶ。
その声にも、信号の意味を理解した動揺が混じっていた。
アデルはまだ主幹線の縁にいる。
郵便鞄を胸へ抱き、森へ向かって手を伸ばしていた。
「アデル……」
フィオナが、その名を呼ぶ。
届く距離ではない。
それでもアデルは、二人が信号を見たことを確かめるように、ほんの数秒こちらへ顔を向けた。
やがて箒を中央方向へ戻す。
青い流れに乗り、その姿が遠ざかっていった。
「あの子、行くんですか」
フィオナの声が震える。
「ええ」
「でも、リンが――」
「だから、私たちが助けるんだ!」
強く言い切らなければ、自分までアデルを呼び戻してしまいそうだった。
アデルが何を置いていったのか、エルナにも分かっていた。
自分でリンを助けたい気持ちを、こちらへ託した。
だから今は、その選択を無駄にしてはならない。
「高度を落とす! 風路を外れたら、支えがなくなる、気をつけて!」
「はい!」
エルナは主幹線から外れ、森へ向かって箒を降下させた。
流れの補助を失った瞬間、身体と箒へ何倍もの重さがかかる。
速度を落とせば、リンとの距離が開く。
急ぎすぎれば、自分たちまで制御を失う。
エルナは魔力計と地上を交互に見ながら、ぎりぎりまで降下角度を深くした。
少し遅れて、フィオナもついてくる。
「見失いました!」
「落ち着いて! 真下だけを見ないで、折れた枝を探して!」
森へ近づくにつれ、高い針葉樹が視界を塞いだ。
地面は見えない。
代わりに、一本の梢が不自然に揺れていた。
その先では、何本もの枝が同じ方向へ折れ、葉と樹皮の欠片がまだ空中を舞っている。
「あそこ!」
エルナが指すより先に、フィオナが声を上げた。
枝の間に、淡い光が残っている。
壊れた防護膜から剥がれた魔力の欠片だった。
「リンが防護魔法を使ってる」
「なら、生きてますよね?」
「わかりません」
否定したくて言ったのではない。
希望を確信へ変えた直後に覆されることが、怖かった。
二人は折れた梢を追い、森の上へ箒を下ろした。
枝が密集しており、箒ではそれ以上進めない。
エルナは地面へ降りると、箒を幹へ立てかける時間も惜しみ、落下痕へ駆けた。
フィオナも後ろから続く。
折れた枝。
深く削れた樹皮。
地面に突き刺さった箒の穂。
その先へ、防護膜の淡い破片が、消えかけの蛍のように点々と残っていた。
「リン!」
フィオナが走る速度を上げる。
「待って! 見つけても、すぐ動かさないで!」
エルナが追いかける。
太い木の根元に、リンは倒れていた。
制服の肩と背中が裂け、額から流れた血が頬へ細い線を作っている。左脚は不自然な角度へ曲がり、左手が、何もない右肩の辺りを掴むように止まっていた。
フィオナが膝をついた。
「リン、聞こえる?」
返事はない。
顔色が悪い。
呼吸しているのかさえ、離れた場所からは分からなかった。
「触らないで。そのまま」
エルナも膝をつき、首筋へ慎重に指を当てた。
一度では分からなかった。
自分の指が震えているせいだと気づき、奥歯を噛んで動きを止める。
もう一度。
弱い。
それでも、確かに脈があった。
「生きてる」
口にした途端、胸の奥へ詰まっていた息が一気に抜けた。
フィオナが両手で口元を覆う。
「よかった……」
目に浮かんだ涙が、すぐ頬を伝った。
「まだ安心しないで。呼吸を確認」
「はい」
フィオナは涙を袖で拭い、リンの口元へ顔を近づけた。
「呼吸、あります。浅いですけど、止まってません」
「救援標を出して。観測塔から艇が来られるように」
フィオナが信号筒を取り出した。
手が震え、留め具を一度取り落とす。
「貸して」
「できます」
フィオナは自分へ言い聞かせるように答え、もう一度握り直した。
青い光が木々の上へ高く上がる。
エルナはリンの頭部が動かないよう両側を固定し、出血と呼吸を確かめ続けた。
「リン。聞こえるなら、動かなくていいから、目だけ開けて」
瞼が僅かに震えた。
けれど、目は開かない。
唇が何かを言おうとするように動き、声にならない息だけが漏れた。
「喋らないで。アデルなら行ったわ」
聞こえているかは分からなかった。
それでもエルナは続けた。
「鞄も持っていった。だから、いまは自分のことだけ考えなさい」
リンの指が、ごく僅かに動いた。
肩へ触れようとしていた手から、ゆっくりと力が抜けていく。
フィオナが、その手へ触れかけた。
怪我の状態を思い出し、途中で止める。
「本当に、馬鹿」
声が震えていた。
「手紙が届いても、リンが死んだら、誰が喜ぶのよ」
リンに聞こえていたかは分からない。
遠くから、救援艇の角笛が響いた。
エルナはその音を聞いても、リンの首筋から指を離さなかった。




