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風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Letter5 道を閉じる手紙
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41/46

あなたにしか、できない

 午後四時三十九分。


 中央まで、残り一時間余り。


 回答期限には間に合う。


 前方に、第十七観測塔が見えた。


 塔の青い灯が、一度大きく明滅する。


 リンの指先へ触れていた流れが、唐突に途切れた。


「アデル、落として!」


 叫ぶのと、主幹線全体が横へ跳ねるのは、ほとんど同時だった。


 空そのものを、巨大な手で引かれたような衝撃だった。


 先を飛んでいたアデルの箒が、流れの外側へ弾き飛ばされる。


「っ……!」


 安全索が強く張り、リンの身体も前へ引かれた。


 アデルは箒を立て直そうとしている。


 だが、主幹線の外では、箒を浮かせるだけでも魔力を激しく奪われる。穂先から漏れる光が、不安定に明滅していた。


 このままでは落ちる。


 考えるより先に、リンは箒を加速させていた。


「何してるの!」


「戻す!」


「リン、来るな!」


 アデルの声を無視し、その横へ身体をぶつけるように並ぶ。


 主幹線の中心は、すぐ目の前で揺れていた。


 アデルを押し戻せば、彼女の箒は風路の補助を取り戻す。


 その反動を受ければ、自分の方が外へ出る。


 そこまで分かっていた。


 それでも、迷う余地はなかった。


「柄を離さないで!」


 リンは肩から、アデルの箒へぶつかった。


 骨まで響くような衝撃が、腕と背中を走る。


 アデルの箒が、青い流れの中へ押し戻された。


 同時に、リンの身体は中心から弾き出される。


「リン!」


 箒が大きく沈んだ。


 安全索が張り詰め、今度は風路へ戻ったアデルを外側へ引きずり始める。


 リンは片手で柄へしがみつきながら、もう一方の手をアデルへ伸ばした。


 届かない。


 アデルも腕を伸ばしている。


「索を巻く! そのまま持ってて!」


 アデルが固定環へ手を掛けた。


 巻き取ろうとするたび、彼女の箒が風路の縁へ寄せられる。


「駄目!」


「黙って! 戻すから!」


「二人とも落ちる!」


「落とさない!」


 アデルの声は、怒っているように聞こえた。


 けれど、その顔は泣きそうに歪んでいた。


 リンの胸へ、強い恐怖が込み上げた。


 自分が落ちることではない。


 アデルまで、こちらへ来ようとしている。


 このまま索をつないでいれば、彼女は絶対に手を離さない。


 助けられると思っているあいだは、中央へ行かない。


 リンは肩へ掛かる郵便鞄へ手を置いた。


 トーヴァから預かった回答書類が入っている。


 各集落の意見書。


 利用記録。


 六十四人という数字の外側で暮らしていた人々の返事。


 ここまで自分が運んできた。


 旧風路を見つけ、何度も往復し、自分の手で受け取った。


 最後まで、自分で届けるつもりだった。


 肩帯へ指を掛けても、すぐには外せなかった。


 これを手放せば、自分の配達ではなくなる。


 そんな考えが、今になって胸へしがみついていた。


 愚かだと分かっている。


 鞄を抱えたまま落ちれば、手紙も一緒に届かなくなる。


 それでも、指が動かなかった。


「リン! 手を伸ばして!」


 アデルが叫ぶ。


 その声を聞いた瞬間、王立風路技術学院の窓口が脳裏へ浮かんだ。


 息を切らしながら、ネラの返書を自分の手で差し出した。


 あのときも、アデルが最後まで隣を飛んでくれた。


 自分一人で届けたのではなかった。


 それでも、最後に渡したのは自分だった。


 今回は、それさえできない。


 悔しかった。


 身体の奥を引き裂かれるほど、悔しかった。


 だが、悔しいからといって、手紙まで道連れにすることはできない。


 リンは肩帯を外した。


 郵便鞄の重みが消えた瞬間、肩が恐ろしく軽くなった。


 郵便魔女としての自分まで、身体から離れてしまったような気がした。


「アデル!」


 リンは郵便鞄の留め具を、安全索へ掛けた。


「何してるの!」


「受け取って!」


「嫌!」


 アデルは即座に叫んだ。


「そんなのいらない! 先にリンを戻す!」


 鞄を索へ押し出す。


 黒い革鞄が風に煽られながら、ゆっくりとアデルの方へ滑っていく。


「戻して!」


 アデルが索を掴み、鞄をこちらへ押し返そうとした。


「持っていって!」


「嫌だって言ってるでしょ!」


「アデルなら間に合う!」


「あんたも一緒に行くの!」


「無理だよ!」


「やってみなきゃ分からない!」


「分かるの!」


 リンの声が裏返った。


 アデルの箒は、すでに流れの縁まで引かれている。


 猶予はなかった。


 それでも、索を切ることができなかった。


 切れば、アデルは助かる。


 手紙も届く。


 その代わり、アデルへ自分を置いていかせることになる。


 救助へ戻るのか。


 期限へ向かうのか。


 本来なら、自分が負うべき選択を、アデルへ押しつける。


 あまりにも残酷だった。


 けれど、ほかに頼める相手はいなかった。


 速さだけではない。


 ここまでリンへ合わせて飛び、無茶をすれば怒り、それでも最後まで離れなかった。


 鞄の重さも、その中にあるものの意味も、アデルなら分かっている。


 この手を離しても、彼女なら届かせる。


 そう信じることだけが、いまのリンに残された仕事だった。


「お願い!」


 声が震えた。


 アデルの顔が、苦しそうに歪む。


「あんたにしか頼めない!」


 それは命令ではなかった。


 郵便魔女として正しい判断を告げる声でもなかった。


 自分ではもう届けられないことを認め、アデルへ縋るための言葉だった。


 郵便鞄が、アデルの胸元へ届く。


 アデルは拒もうとした。


 けれど、風に煽られた鞄が索から外れるように錯覚し、反射的に両腕で抱え込んだ。


 その瞬間を、リンは見逃さなかった。


 安全索の留め具へ手を掛ける。


 アデルが顔を上げた。


「待って」


 声から、怒りが消えていた。


「リン、待て。行かないからな!」


 その言葉を聞けば、手を止めたくなった。


 助けてほしいと言えば、アデルは戻ってくるだろう。


 届かなくてもいいと言えば、自分を選んでくれるんだろう。


 ほんの一瞬、それを望んだ。


 手紙より自分を選んでほしいと、思ってしまった。


 だからこそ、口にしてはいけない言葉がある。


「行って!」


 リンは留め具を外した。


「リン!」


 バチン、と音がして、二人をつないでいた索が、空中で大きく跳ねた。


 引く力を失ったアデルの箒が、主幹線の中心へ戻っていく。


 リンの身体は、箒ごと下層の流れへ引き込まれた。


 急速に距離が開く。


 アデルは郵便鞄を抱えたまま、こちらへ手を伸ばしていた。


「戻れ! リン!」


 声が遠ざかっていく。


 リンは、空になった肩へ手を伸ばした。


 そこにはもう、何もなかった。


 上空で、アデルの箒が大きく向きを変えた。


 主幹線の縁まで戻ってくる。


「駄目……!」


 リンの声は、風に呑まれた。


 アデルは郵便鞄を胸へ抱いたまま、何かを叫んでいる。


 聞こえない。


 それでも、戻るつもりなのだと分かった。


 リンが索を外した意味も、託した言葉も、いまのアデルには関係がない。


 助けられるのなら、助けに来る。


 そういう顔をしていた。


 だが、アデルの箒は主幹線の縁で止まった。


 後方の空へ顔を向ける。


 そこには、少し遅れて飛んでくるエルナとフィオナがいるはずだった。


 アデルは腰の信号筒を引き抜いた。


 青い光が、空を裂いて高く上がる。


 一発。


 短い間を置いて、もう一発。


 救助要請と、落下位置を知らせる二連信号だった。


 後続の二人なら、必ず見える。


 信号を撃ち終えても、アデルはすぐには動かなかった。


 主幹線の縁で、郵便鞄を抱えたまま、リンを見ている。


 戻りたいのだと、その姿だけで分かった。


 リンも、戻ってきてほしかった。


 いまなら、まだ間に合うかもしれない。


 自分を引き上げ、四人で中央へ向かえるかもしれない。


 そんな都合のよい考えが、胸へ浮かんだ。


 けれど、救助信号はすでに上がっている。


 アデルが自分で戻らなくても、エルナたちが来る。


 助かる保証はない。


 それでも、救助は後ろへつながった。


 あとは、郵便を前へ運ぶだけだった。


「行って……!」


 リンはもう一度叫んだ。


 声が届いたのかは分からない。


 アデルは唇を強く噛み、郵便鞄の肩帯を自分の身体へ掛けた。


 最後に一度、リンへ手を伸ばす。


 それから箒を中央へ向け直した。


 青い流れが、アデルの身体を前へ押し出す。


 その姿が、主幹線の中を急速に遠ざかっていった。


 リンは空になった肩へ、もう一度触れた。


 寂しいと思った。


 悔しいとも思った。


 けれど、アデルは自分を見捨てたのではない。


 自分の命を後ろへ託し、郵便を前へ運んでくれる。


 手紙は、まだ落ちていない。

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