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風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Letter5 道を閉じる手紙
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37/46

午後四時十二分

 午後三時二十二分。


 四人は管理棟へ戻った。


 机の上には、各集落から集められた封書と、通行記録、風舟の運用帳簿、風車棚の魔力使用記録が積まれている。


「全部で、これだけ?」


 トーヴァが封書を数えた。


「五集落と牧民代表、それから灰角族の交易隊です」


 フィオナが答える。


「灰角族もいるのか」


「昨日から下段の倉庫に滞在していました。石材を運んできたそうです」


「連中の郵便も、ここで受け取ってる」


 中央の利用統計には、彼らも含まれていなかった。


 机の上へ積み上がった書類を見ながら、リンは、出発前に読んだ一行を思い出していた。


 登録人口、六十四人。


 その数字自体は、消えていない。


 ただ、いまはもう、その数字だけを見て小さな土地だとは思えなかった。


 書類の外側にいた者たちの顔を、知ってしまったからだ。


 それでも、道を残せばよいという答えも得られていない。


 採石場では、過去の事故で腕を失った代表者が、廃止に賛成したとアデルが報告した。


 診療所では、危険な支線を今のまま使うことには反対だが、患者を運ぶ別の道が必要だとフィオナが聞いてきた。


 誰も同じ返事をしていなかった。


 現地を見れば正しい答えが一つ見つかるのではなく、数えられていなかった事情が、次々と増えていく。


 リンは郵便鞄の中にある封書の重みを確かめた。


 自分が答えを決める必要はない。


 けれど、これらを届けることで、誰かに簡単な答えを出させることになるかもしれない。


 そのことが、少し怖かった。


 アデルは懐中時計を机へ置いた。


「回答期限まで、二十六時間三十八分」


「今日中に書く」


 トーヴァは封書へ手を伸ばした。


「共同区宛てだから、私が開ける。あんたたちは休んでていい」


「回答が完成したら、正式にお預かりします」


 リンが答えた直後だった。


 管理棟全体が、低く軋んだ。


 窓の外で、風車の音が一斉に変わる。


 それまで一定の速さで回っていた羽根が、大きく速度を落とした。


 壁時計の針は、午後四時を指している。


「始まった」


 トーヴァが窓へ近づく。


 北東第九支線への魔力供給低下。


 通知どおりの措置だった。


 最初の数秒は、ただ風が弱くなっただけに見えた。


 次の瞬間、段丘の下から大きな鐘が鳴った。


 一度。


 二度。


 間を置かず、何度も。


「緊急鐘!」


 フィオナが窓へ駆け寄る。


 中段と下段を結ぶ風舟が、高度を失っていた。


 小さな船体が山壁へ寄せられ、帆が不規則に揺れている。


 乗っているのは三人。


 一人は担架へ横たわり、残る二人が必死に帆と舵を操作していた。


「診療所の搬送舟だ!」


 トーヴァが叫ぶ。


 エルナはすでに扉へ向かっていた。


「アデル、リン、救助! フィオナは下の発着台を空けて! トーヴァさん、共同区中の風舟をすぐ降ろしてください!」


 四人は管理棟を飛び出した。


 発着場へ走りながら、リンは手袋を外した。


 供給が減った。


 だが、それだけではない。


 支線に残っていた魔力が、北へ向かって一気に引かれている。


 細い枝へ流れていた分まで、根元から吸い上げられているようだった。


「アデル!」


「分かってる!」


 二人は同時に箒へ跨がった。


 風路はすでに通常の半分ほどの力しかない。


 箒へ魔力を流し込み、落下する風舟へ向かう。


「舟の下へ回る!」


 リンが声を飛ばす。


「私が帆を切る!」


 アデルが一気に前へ出た。


 風舟の帆は、弱くなった流れを掴もうとして逆方向へ膨らみ、船体を山壁へ引き寄せている。


 アデルは箒を傾け、帆柱すれすれを通過した。


 腰の小刀を抜き、絡んだ補助索を切る。


 帆が一枚外れた。


 船体が大きく沈む。


「リン!」


 リンは風舟の下へ箒を滑り込ませ、両手を船底へ向けた。


 自分の箒を浮かせながら、さらに船体の重量まで支える余裕はない。


 それでも、一瞬だけ落下を遅らせることはできる。


「浮揚、最大!」


 箒の術式へ魔力を叩き込む。


 青白い光が穂先から広がり、風舟の底を包んだ。


 肩と腕へ重さがのしかかる。


「っ……重い!」


 高度計の針が下がる。


 風舟の落下は止まらない。


 ただ、速度は僅かに緩んだ。


「発着台、空きました!」


 下からフィオナの声が響く。


 彼女は地上で人々を退かせ、着陸地点の周囲へ防護膜を張っていた。


 アデルが風舟の側面へ回り、残った帆を山側へ向け直す。


「右へ押す! リン、あと十秒!」


「十秒は長い!」


「じゃあ八秒!」


「変わってない!」


 二人で叫びながら、船体の向きを変える。


 風舟は山壁を擦り、木片を散らした。


 リンの防護光が一度大きく揺らぐ。


 それでも、発着台の上まで運ぶことはできた。


「離れて!」


 フィオナが両手を前へ出す。


 地上に張られた防護膜へ、風舟が落ちた。


 膜が大きく沈み、硝子が割れるような音を立てて砕ける。


 船体は石床を滑り、積まれていた荷箱へぶつかって止まった。


 リンは箒を立て直し、発着台へ降りる。


 腕が痺れていた。


「全員、生きてる!」


 フィオナが舟の中を確認する。


 担架の患者は意識があり、付き添っていた二人も大きな怪我はない。


 安堵する暇はなかった。


 上空で、北東第九支線の観測標が一つずつ消えていく。


 終端から順に、青い灯が黒くなる。


「供給を七十二まで落としただけじゃないの?」


 アデルが息を切らしながら見上げた。


「引かれてる」


 リンは北側へ手を伸ばした。


「残ってる魔力が全部、幹線へ持っていかれてる」


 最後の観測標が消えた。


 空に道はある。


 地図の上にも線は残っている。


 しかし、箒を支える流れはなくなっていた。


 北東第九支線は、午後四時十二分、完全に消失した。


 事故の直後から、共同区全体が慌ただしく動き始めた。


 上空に残っていた風舟を着陸させるため、鐘が鳴り続けた。


 フィオナは診療所の職員とともに、負傷者を一人ずつ確認して回った。風舟が急に沈んだ際に転倒した者や、荷箱へ腕を挟まれた者が何人かいたものの、命に関わる怪我はなかった。


 アデルは下段の発着台へ残り、着陸した風舟を索で地面へ固定していった。


 風路を失った船体は、山から吹き上げる自然風を受けるだけでも大きく揺れる。帆を畳み、固定索を二重に掛け、荷物をすべて降ろさなければならなかった。


「そっち、もっと張って!」


 アデルが職人へ声を掛ける。


「これ以上張ると、船体が割れる!」


「じゃあ荷物を全部下ろして! 空なら持つ!」


「石材だぞ、何人いると思ってる!」


「落ちるよりましでしょ!」


 普段の郵便配達なら、荷物を受け渡せば終わる。


 けれど今日は、運ぶ道そのものが消えていた。


 エルナは管理棟と各段丘を走り回り、水と薬の残量を確認した。


 揚水設備が止まったため、上段の貯水槽へ新しい水は入らない。備蓄だけなら三日分。ただし、診療所と共同炊事場での使用を優先すれば、一般家庭へ配れる量は少なくなる。


「上段の浴場を止めてください」


 エルナがトーヴァへ告げる。


「洗濯場も共同区画だけ残して閉鎖。飲み水は一人一日二瓶まで。採石場にある雨水槽も確認を」


「うちの住民に指示を出すのが上手いな」


「事故現場では、所属より先に必要なことをします」


 トーヴァは苦笑し、すぐに伝令を走らせた。


 リンも水運びを手伝おうとした。


 だが、木箱を抱えたところで、エルナに取り上げられた。


「あなたは休んで」


「これくらい持てます」


「腕が震えてる」


「さっきの浮揚術式のせいです。少し休めば――」


「その少しを、今休んで」


「でも、みんな動いてるのに」


「明日、道を見つけるのは誰?」


 リンは黙った。


「今のあなたが水瓶を二つ運んでも、共同区全体は助からない。明日飛べなくなったら、誰も外へ出られないの」


 言われていることは分かる。


 分かるからこそ、腹立たしかった。


「そんな顔をしないで」


「どんな顔ですか」


「自分だけ何もしてないみたいな顔」


「してません」


「してるわよ」


 エルナはリンを管理棟の壁際へ座らせ、水と干し肉を渡した。


「食べて。一時間は飛ばないこと」


「一時間も?」


「二時間にする?」


「一時間で大丈夫です」


 リンが干し肉を噛んでいると、固定作業を終えたアデルが戻ってきた。


 額に汗を浮かべ、袖には帆布の汚れがついている。


「何してるの」


「休憩」


「リンが?」


「どういう意味?」


「自分で休むって言ったの?」


「エルナさんに座らされた」


「だよね」


 アデルはリンの隣へ腰を下ろした。


 しばらく二人とも、夕暮れの段丘を見ていた。


 動かなくなった風車の羽根が、山の影の中で黒く止まっている。


「明日、戻れるのかな」


 アデルが言った。


「残っていれば」


「……見つけても、全部自分で運ぼうとしないでよ」


「そんなことしない」


「する顔してる」


「アデルも言うの?」


「リン、分かりやすいから」


 アデルは靴先で小石を転がした。


「飛べるのが自分だけなら、自分が何回でも飛べばいいって思ってるでしょ」


「ほかに方法がなければ、そうするしかないよ」


「入口と出口が分かれば、運ぶのはほかの人でもできるかもしれない」


「それができるのは私だけじゃん」


「だから、見えるところまであんたが連れていけばいい。そこから先は、私たちが運ぶ」


 リンは何も答えなかった。


 アデルは横目でリンを見る。


「郵便って、一人で最初から最後まで持ってないと駄目なの?」


「そんな決まりはないけど」


「じゃあ、明日は私にも持たせて」


「重いよ」


「誰に言ってるの」


 いつか自分が言った台詞を返され、リンは少しだけ笑った。


「分かった」


「本当に?」


「……分かったってば」


 アデルはまだ疑わしそうだったが、それ以上は何も言わなかった。

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