道を閉じる前に
四人は、共同区内の配達を分担した。
エルナは管理棟へ残り、トーヴァと風路管理所の記録を確認する。
アデルは最も遠い下段の採石集落へ。
フィオナは双方とも距離が近いため、居住区と診療所。
リンは山壁の裏側にある風車棚と、季節移動民が滞在している北の牧草地を担当した。
段丘の間を結ぶ風舟は、風路ほど強くない自然魔力流を利用している。小さな帆へ流れを受け、人や荷物を谷の向こうへ運ぶ仕組みだった。
リンは風舟の横を飛びながら、周囲の魔力へ意識を広げた。
公式の北東第九支線から、細い筋が幾つも枝分かれしている。
風車棚へ向かうもの。
牧草地へ流れるもの。
さらに山の向こうへ消えていくもの。
どれも中央の運航図には描かれていない。
けれど、その流れが風車を回し、風舟を浮かせ、人々の暮らしを段丘の上へ支えていた。
北の牧草地には、布張りの天幕が十数棟並んでいた。
季節移動を続ける牧民たちである。
代表者へ通知書を渡すと、老人は何度も首を傾げた。
「利用者が六十四人?」
「中央の登録では、そうなっています」
「わしらは入っていないのか」
「定住者としては、登録されていないようです」
「郵便は使っているぞ」
「ラドナ村の共同受取箱を通していますよね」
「そうだ。冬の居場所が変わるからな」
老人は通知書を持ち、天幕の中へ入った。
やがて一枚の紙と封筒を持って戻ってくる。
「字は孫に書かせた。届けてくれ」
「お預かりします」
リンは封を確かめ、管理札をつけた。
「この道がなくなれば、どうしますか」
尋ねてから、自分は何を期待しているのだろうと思った。
残してほしいと言われれば、中央の判断へ不満をぶつけられる。
危険だから閉じてほしいと言われれば、納得できる。
どちらか一つへ決まってくれた方が、考えるのはずっと楽だった。
老人は山の北を見た。
「別の道を探す。だが、羊を二日歩かせれば、痩せたものから死ぬ。冬に間に合わなければ、わしらも困る」
残せとも、閉じろとも言わなかった。
道がなくなったあとに起きることを、そのまま口にしただけだった。
リンは返事をせず、封筒を郵便鞄へ収めた。
風車棚では、三十人近い職人が、共同区全体の製粉と揚水を担っていた。
リンが着いたとき、一基の風車が止まりかけているところだった。
「押せ!」
工房長らしい男の声に合わせ、職人たちが補助輪へ長い棒を差し込み、人力で回している。
回転が戻ると、太い水管の中から、ようやく水の流れる音が聞こえた。
「これが止まったら、上の畑まで水が上がらないんですか」
リンが尋ねる。
「畑だけじゃない。飲み水もだ」
工房長は汗を拭い、通知書を受け取った。
「第九支線から分かれた流れで回してる。」
「風車が使用している魔力については?」
「毎年、村へ報告してる。共同区の帳簿にはある」
「中央まで届いていないんですか?」
「さあな。記録は出してる。向こうが何を数えてるかまでは知らん」
工房長は通知書を読み終え、机へ置いた。
「廃止するなら、代わりの揚水設備を先に作ってくれ。それまでは閉じるな。そう書く」
「分かりました」
「道を閉じるのは、空だけじゃない」
工房長は、粉にまみれた手で封筒を差し出した。
「下から水を汲む人間まで閉じ込める」
リンは封筒を受け取った。
内容は見ない。
けれど、差出人の手に付いた粉と、止まりかけた風車の重い音は、封筒の外側に残っているように感じた。
中央へ届くのは、記録と意見書だけだ。
この暑さも、補助輪を押していた職人たちの息遣いも、水が流れ始めたときの安堵も、書類には載らない。
郵便魔女が運べるのは、封をされた中身だけだった。
だからこそ、せめて途中で止めずに届けなければならないのだと思った。。
その頃、フィオナは中段の診療所にいた。
石造りの小さな建物には、居住区だけでなく、牧草地や採石場からも患者が運ばれてくる。
待合室には、腕を吊った青年や、咳をする子供、腰を痛めた老人が並んでいた。
「通知の写しです」
フィオナが封筒を差し出すと、診療所の責任者である女性医師は、患者の診察を中断せずに受け取った。
「そこへ置いて。読めるところまで読むから」
医師は子供の胸へ聴診具を当てたまま、机の上の文面へ目を走らせた。
「一か月後に支線廃止。地上便を月二回……」
最後まで読む前に、苦い息を漏らす。
「谷底の病院へ搬送する患者が、月二回の便に合わせて現れてくれるなら助かるけど」
「地上路では二日かかるそうですね」
「健康な人間で二日。担架を運ぶなら三日。冬は道そのものが埋まる」
医師は診察を終え、母親へ薬を渡した。
次の患者を呼ぶ前に、フィオナへ向き直る。
「支線が危ないことは知ってる。先月も、搬送舟が急に沈んだ」
「廃止には賛成ですか」
「今のまま使い続けることには反対。でも、閉じた後の話が何もない」
医師は診療所の奥を指した。
寝台には、顔色の悪い男性が横たわっている。脇腹へ厚い包帯が巻かれていた。
「採石場の落石事故。今日か明日には谷底の病院へ移したい。ここでは手術ができないから」
「今日、運ぶ予定だったんですか」
「夕方の風舟でね」
フィオナは通知書に記された時刻を見た。
午後四時から、魔力供給が引き下げられる。
「供給が下がる前に運んだほうが――」
「患者の状態がまだ安定していない。急げば途中で悪化する」
医師は紙を一枚取り出した。
「閉じるなとは書かない。閉じるなら、患者を運ぶ道を先に用意してくれと書く」
「お預かりします」
「あなたたち、午後四時まで残るの?」
「今のところは」
「なら、風舟の様子も見ておいて。最近、本当に浮きが悪い」
フィオナは頷いた。
診療所を出る前に、奥の寝台をもう一度見た。
月二回の地上便。
その文言を書いた者は、ここで横たわる患者の顔を知らない。
だから間違っている、と決めつけるつもりはなかった。
知らないまま決められる仕組みのほうに、問題があるのだと思った。
アデルが向かった採石集落は、共同区の最下段にあった。
山肌を削った広い平場には、切り出された石材が積まれ、運搬用の小型風舟が何隻も並んでいる。
風路が弱っているためか、どの船体も地面すれすれまで沈み、職人たちが補助の浮揚具を取りつけていた。
「トーヴァさんからの通知です」
アデルが集落代表へ封筒を渡す。
代表は五十代ほどの、片腕のない男だった。
空いた袖を腰帯へ挟み、片手で封を切る。
「ようやく来たか」
「ご存じだったんですか」
「廃路の話が出てることは知ってた。むしろ遅いくらいだ」
男は書面を最後まで読むと、近くに停められた風舟を顎で示した。
船体の片側には、大きな補修痕が残っている。
「去年、あれが落ちた。俺の腕は、そのときに置いてきた」
アデルは言葉を失った。
「風路が急に沈んだ。船を山壁へぶつけて止めたが、石材に挟まれた」
「それでも、風舟を使っているんですね」
「使わなきゃ石を運べない。石を運べなきゃ食えない」
男は通知書を畳んだ。
「俺は廃止に賛成する」
「代わりの道がなくても?」
「このまま残して次に死人が出るよりはいい。集落を移せというなら、移る話もする」
アデルは男の空いた袖を見た。
共同区に暮らす全員が、支線を守りたいわけではない。
危険を知っているからこそ、閉じてほしいと願う者もいる。
「意見書を書きますか」
「書く。閉じるなら早く決めろ、と」
男は片手で紙を押さえ、不器用に文字を書いた。
アデルは手伝おうとはしなかった。
代筆を求められていない以上、その文字は男自身のものだ。
「届けられるか」
「届けます」
「危ない道なんだぞ」
「それでも、今はまだ通れます」
男はアデルの顔を見た。
「魔女ってのは、皆そういう顔で言うのか」
「どんな顔です?」
「自分だけは落ちないと思ってる顔だ」
アデルは言い返しかけて、やめた。
代わりに封筒を受け取り、郵便鞄へ収める。
「落ちないように飛びます」
「それでいい。落ちたあとに格好つけても遅い」




