東部第四支局①
黒樫の森から戻った翌朝、東部第四支局は、不自然なほど静かだった。
風が止まっているわけではない。
発着場を囲む環状風路にも異常はなく、窓の外では薄い雲がゆっくりと南へ流れている。
ただ、今日は三か月に一度の設備点検日だった。
発着標、誘導灯、緊急着陸用の防護術式。支局周辺の環状風路を一度閉鎖し、午前中を使って順番に点検する。
そのため、正午までは一騎の箒も飛ばせなかった。
「まだ二時間十三分もある……」
アデルが、配達準備室の時計を見上げた。
仕分け台の向こうで防湿袋を調べていたフィオナが、顔だけ上げる。
「さっきは二時間十五分って言ってなかった?」
「二分経った」
「それは、時計を見れば分かるよ」
「じゃあ聞かないで!」
アデルは最後の封筒を輸送袋へ入れ、口紐を勢いよく締めた。
ぎゅっ、と袋の中央が不自然にくびれる。
「郵便物に八つ当たりしないでね」
「してない!」
「袋、苦しそう」
「袋は苦しまない!」
「でも、見た目が苦しそう」
「見た目で決めないで!」
アデルが結び直している隣では、リンが郵便鞄から内袋を外し、縫い目を指で辿っていた。
フィオナの視線が、今度はそちらへ移る。
「リンも、人のこと言えないけどね」
「何が?」
「その鞄、今日だけで何回見た?」
「いま見てるのは縫い目。さっきは封印具だから、別」
「その前は?」
「固定環」
「その前」
「肩帯」
「四回じゃない」
「見る場所が違うでしょ」
「鞄は一個だよ!」
フィオナがとうとう声を上げて笑った。
リンは納得がいかないまま縫い目へ視線を戻し、アデルも輸送袋の結び目を直しながら、また時計を見た。
「あと二時間十二分」
「一分しか経ってないよ!」
「分かってる!」
普段なら、三人ともとっくに朝の配達へ出ている時間だった。
飛ぶ必要がないのだから、少しくらい遅く起きてもよかったはずである。
それなのにリンはいつもと同じ時刻に目を覚まし、支局へ来るなり箒の固定具を確かめ、手袋までつけたところで、今日が点検日だったことを思い出した。
アデルも大差はない。
朝から割り当てられていた仕分けを、普段の半分ほどの時間で終わらせていた。仕事を早く片づければ、設備点検まで早く終わるとでも思っているような働き方だった。
配達準備室の扉が開く。
点検表を抱えたエルナが入ってくると、きれいに片づいた仕分け台を見て、足を止めた。
「随分、進んでいるわね」
「進められる仕事は、全部終わらせました!」
アデルが勢いよく答える。
エルナは少しだけ身を引いた。
「そんなに元気よく報告しなくても聞こえるわよ」
「元気なのは悪いことですか?」
「悪くはないけど、朝から少しうるさいわね」
アデルの勢いが、一段だけ落ちた。
エルナは背後の棚を見る。
「第二保管庫の輸送袋は?」
「規格別に確認済み。破損記録とも照合しました」
「いつ?」
「朝です」
「運航順は?」
「確認しました」
「変更予定は?」
「出てません」
「予備箒の固定具は?」
「それは設備班です」
「ちゃんと分かってるのね」
「何だと思ってるんですか!」
「飛べなくて落ち着かない郵便魔女」
「落ち着いてます!」
言いながら、アデルはまた時計を見た。
エルナも見た。
フィオナも見た。
三人の視線に気づいたアデルが、ゆっくり時計から顔を逸らす。
「……いまのは確認です」
「誰も何も言ってないわよ」
エルナはアデルをそのままにして、フィオナへ向き直った。
「そちらは?」
「外縁部用の防湿袋を見ています。三枚、封蝋の効きが弱かったので、交換申請も書きました」
「ありがとう。リンは?」
「鞄を調べてます」
フィオナが答える。
「それは見れば分かるわ」
エルナはリンの前に立った。
「異常は?」
「ありません」
「では、どうしてまだ見ているの?」
「見落としがないか確認しています」
「四回目だそうですよ」
フィオナが告げ口をした。
「四回じゃない。見る場所が違うから」
「まだ言ってる」
「そこまで暇なら、第三誘導灯を手伝って」
エルナは抱えていた点検表をリンへ差し出した。
「外装を外すから、内側の術式線に焼けがないか見てほしいの」
「はい!」
リンはすぐに内袋を戻し始めた。
「私は?」
アデルも間髪を入れずに尋ねる。
エルナが止まった。
視線だけを宙へ向け、本当に仕事を探し始める。
「……運航順をもう一度確認しておいて」
「十分前に確認しました」
「変更が出ていないか見て」
「一分前にも見ました」
「では、座って待っていれば?」
「私を仕事のない人みたいに扱わないでください!」
「ないのよ、いまは!」
フィオナが耐えきれず、仕分け台へ突っ伏して笑った。
リンも口元を押さえている。
「リンまで笑わないで!」
「笑ってない!」
「笑ってるでしょ!」
「アデルが朝からずっと同じだから!」
「リンだって鞄ばっかり見てるじゃない!」
「私は仕事してたの!」
「私も仕事してた!」
「二人とも静かに!」
エルナの一声で、配達準備室が止まった。
数秒だけだった。
廊下の奥から、今度は別の音が聞こえてくる。
ごとん。
がらがら。
ごとん。
重いものを載せた荷車が、床の継ぎ目を越えながら近づいていた。
扉の外から、受付職員が顔を覗かせる。
「手が空いている方、二人ほどお願いできますか」
「荷物ですか?」
リンが真っ先に立ち上がった。
「支局宛てです。裏口の地上便で届いたんですが、少し大きくて」
「私が行きます!」
アデルも立ち上がり、リンより先に扉へ向かう。
「二人って言ってたでしょ!」
「大きいだけなら、一人で持てるかもしれない!」
「見てから言って!」
「二人で行きなさい!」
再びエルナの声が飛ぶ。
アデルは不満そうに足を緩めた。
フィオナも防湿袋を置き、二人の後へ続く。
「私は呼ばれてないけど」
「絶対、見に来ると思った」
リンが振り返る。
「面白そうなんだもん」
「まだ荷物が大きいことしか分かってないよ」
「それだけで十分面白そう」
フィオナは悪びれずに笑った。
荷物は、大きいという言葉で片づけるには、少し無理があった。
受付裏の搬入口に、一台の荷車が置かれている。
その上には、横幅がリンの両腕ほど、高さも腰近くまである木箱が載っていた。
使われている板は一枚ずつ色が違う。角の金具も、新しいものと錆びたものが入り交じり、側面には後から打ち足したらしい板が、不格好にはみ出している。
最初からこの形だった箱には見えなかった。
何かを入れるたびに広げ、補強し、無理やり大きくしてきたような姿だった。
「……これを一人で?」
リンが隣を見る。
「持てる」
アデルは即答した。
「まだ誰も聞いてないよ」
「顔に書いてあった」
「アデルが言い出したんでしょ」
箱の上には、大きな宛先票が貼られていた。
――国際郵便組合東部第四支局、職員一同。
宛先は間違いない。
ただし、その下にある差出人欄には、何も書かれていなかった。




