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風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Letter4 名前を呼ぶ手紙
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29/46

宛名はヴァルク・ガルム④

 セレン牧場は、黒樫村から少し離れた丘の上にあった。


 低い石垣と木の柵に囲まれた斜面で、羊と山羊が混じって草を食んでいる。小屋の横には干し草が積まれ、白い布をかけた桶がいくつも並んでいた。


 マーヤ・セレンは、柵の内側で小さな山羊を追いかけていた。


 薄茶色の髪を二つに結び、膝には乾いた泥がついている。リンたちが柵の前に立つと、山羊の首に縄をかけようとしていた手が止まった。


「郵便屋さん?」


「東部第四支局の郵便魔女、リネット・ファルンです」


 リンは身分証を見せた。


「マーヤ・セレンさんですか」


「はい」


 マーヤの目が、リンの鞄へ向く。


 期待ではない。


 先に浮かんだのは、不安だった。


「手紙、また戻ってきたんですか」


 リンは首を横に振った。


「いいえ」


 鞄から、ヴァルクの返書を取り出す。


「ヴァルク・ガルムさんから、あなた宛ての返書をお預かりしています」


 マーヤは動かなかった。


 追いかけていた山羊が、縄を引きずったまま足元の草を食べ始める。それでも、マーヤは気づいていないようだった。


「ヴァルクさん、いたんですか」


「いました」


「読んでくれましたか」


「はい」


「怒ってませんでしたか」


「怒っていませんでした」


 マーヤの口が、少しだけ震えた。


「ほんとに?」


「はい」


 リンは返書を両手で差し出した。


「マーヤ・セレンさん宛てです。ヴァルク・ガルムさんから、お預かりしました」


 マーヤは、手を出しかけて止めた。


「受け取って、いいんですか」


「もちろんです」


 フィオナが少し横へ寄り、封筒の向きをマーヤに合わせた。


「封はしっかりしています。けれど、便箋が少し大きく折られているので、開ける時はここからゆっくりお願いします」


 マーヤは、言われた通りに封筒を受け取った。


 封筒は彼女の手には少し大きかった。宛名欄には、フィオナが整えた文字で、マーヤ・セレンと書かれている。差出人欄には、ヴァルク・ガルム。


 その名前を見た瞬間、マーヤは息を詰めた。


「ヴァルクさんの字じゃない」


「封筒の字はこちらで書きました。便箋は、ヴァルクさんが書かれています」


「ヴァルクさん、字を書くの苦手だから」


 マーヤは小さく言った。


「木札に羊って書こうとして、半分くらい黒くなってたことがあります」


「そうなんですね」


「でも、羊は助けてくれました」


 封を開ける手が、少し震えている。


 フィオナがそっと支えた。


「ゆっくりで大丈夫」


 便箋が開かれる。


 大きな字が、紙の上に並んでいた。


 リンは中身を読まないように視線を外した。けれど、マーヤが声に出した一文だけは聞こえた。


「俺はまだ、北の監視塔にいる。住所は変わらない」


 マーヤは、その行をもう一度読んだ。


 それから、ぐっと便箋を胸に抱えた。


「住所、変わってないって」


「はい」


「また、書いてもいいんですか」


 リンはすぐには答えなかった。


 黒樫の森は、危険区域のままだ。北部監視塔までの道は安定していない。通常便として軽く受け付けられるとは言えない。


 けれど、書けないとは言わない。


「書けます。ただ、しばらくは普通の便より時間がかかるかもしれません。森の道を確認しながら届けることになります」


「待ちます」


 マーヤは即答した。


「戻ってこないですか」


「絶対に戻らないとは言えません」


 リンは、そこだけは正直に言った。


 マーヤの表情が不安に傾く前に、続ける。


「でも、何もしないで返すことはしません。宛先を確認します。受取人がいるか、届ける道があるか、ちゃんと調べます」


 マーヤは便箋を握ったまま、こくりと頷いた。


「それなら、書きます」


 小さな山羊が、マーヤの袖を噛んだ。


 マーヤはようやくそれに気づき、「あっ」と声を上げて袖を引っ張る。緊張が一度そこでほどけた。


「この子のことも書きます」


「山羊ですか」


「羊です」


 マーヤは真顔で言った。


 フィオナが少し首を傾げる。


「角がありますよ」


「でも、おばあちゃんが羊なので、うちでは羊です」


「なるほど」


 フィオナは納得したのか、納得していないのか分からない顔で頷いた。


 マーヤは便箋をもう一度見た。


「ヴァルクさん、笑ってましたか」


 リンは、塔の入口に立っていた大きな背中を思い出した。


 笑っていたかどうかは、分からない。


 けれど、封筒を受け取る手つきは、とても慎重だった。


「顔には、あまり出ませんでした」


 リンは答えた。


「でも、マーヤさんのことは覚えていました。川へ落ちた羊のことも」


 マーヤは目を丸くした。


「覚えてたんだ」


「はい」


「私も覚えてます」


 便箋を胸に抱え直す。


「ずっと」


 リンは受領票を取り出した。


「では、こちらに受領の署名をお願いします。難しければ、印でも大丈夫です」


「書けます」


 マーヤは少し背筋を伸ばした。


 フィオナが携帯用の硬い下敷きを出し、受領票を押さえる。マーヤは鉛筆を握り、ゆっくりと自分の名前を書いた。


 マーヤ・セレン。


 少し曲がっている。


 けれど、読める。


 リンはその署名を確認した。


「マーヤ・セレンさん、ご本人受領です」


 マーヤは便箋と封筒を大事そうに抱えたまま、家の方へ駆け出した。


「お母さん!」


 丘の上に、声が弾む。


「ヴァルクさん、いた!」


 その声を聞きながら、リンは受領票を鞄へしまった。


 大きな指印の下に、小さな署名が並ぶ。


 どちらも少し枠からずれていた。


 それでも、どちらも名前だった。


 返送印の下で消えかけていた宛名は、ようやく返事を持って帰ってきた。


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