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風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Letter4 名前を呼ぶ手紙
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25/46

配達継続

 特別配達の申請票には、配達継続、という文字が書かれていた。


 リンはその四文字を見下ろして、しばらく黙っていた。


 継続。


 止まっていたものを、もう一度動かす言葉だ。


 けれど、それは必ず届ける、という意味ではない。届けられない理由があるなら、そこで止める。危険なら戻る。相手がいないなら持ち帰る。


 それでも、何も確かめずに返すことだけはしない。


「字、睨んでも変わらないよ」


 隣でフィオナが言った。


 仕分け室の隅には、出発用の机が一つ空けられている。机の上には、保護袋に入れた封筒、危険中断の判断基準、黒樫の森の簡易図、黒樫村管理官への照会状が並べられていた。


「睨んでない」


「眉、寄ってる」


「考えてる」


「じゃあ考えてる眉」


 フィオナはそう言いながら、封筒の保護袋をもう一枚重ねた。


 外側は薄い防水紙。内側は湿気を吸いすぎないよう処理された布。通常の書留なら少し大げさなくらいだが、黒樫の森は湿気が強い。枝葉に触れれば、雨が降っていなくても水が落ちる。


「それ、厚すぎない?」


「厚くする。封筒の角がもう弱いから」


「飛ぶ時、重さ変わる?」


「少し。でも鞄の奥に入れるなら大丈夫。手前に入れると、出す時に擦れる」


「了解」


「あと、森に入ったら勝手に出さないで」


「出さないよ」


「リン、相手を見つけた瞬間に出しそう」


「そこまで早くない」


「早いよ」


 フィオナは顔を上げた。


「宛名を見つけたら、すぐ渡したくなる顔してる」


 リンは返事に困った。


 否定しようとして、やめた。たぶん当たっている。


 机の上の封筒は、薄い保護袋の中にある。返送印は少しぼやけたが、まだ見える。宛名も見える。


 ヴァルク・ガルム。


 その名前を読むたびに、リンの中で何かが急ごうとする。


 でも、急いではいけない。


「渡せる状態か、先に確認する」


 リンは自分に言い聞かせるように言った。


「本人かどうか。受け取れるかどうか。危険がないか」


「うん」


「それから渡す」


「うん」


 フィオナは今度は茶化さなかった。


 扉が開き、エルナが入ってきた。


 手には細い地図筒と、赤い紐でまとめた注意票を持っている。


「出発前確認をします」


「はい」


 リンとフィオナは同時に返事をした。


 エルナは机の上の黒樫の森の図を広げた。黒い線で村道、茶色の線で古い山道、灰色の点線で今は使われていない獣道が描かれている。


「黒樫村までは通常風路を使えます。村から北部監視塔跡までは、現行の風路登録がありません」


「地上から入るんですか」


「村の管理官の判断次第です。森の上を低く飛ぶことは勧めません。枝が高い。霧が出ると、地面より枝の方が先に見えなくなります」


 リンは地図を覗き込んだ。


「監視塔跡は、ここですね」


「はい。村から北北西。古い巡回路が残っていれば、歩いて半刻ほど。ただし、今の状態は不明です」


「箒は?」


「森の入口までは使用可。そこから先は、現地判断。飛ぶより歩いた方が安全なら歩きなさい」


 リンは頷いた。


 歩く。


 郵便魔女としては少しもどかしい言葉だった。けれど、森の中で箒が万能ではないことくらい、分かっている。


「灰角族についても確認します」


 エルナは別の紙を出した。


「大型です。人間よりずっと大きい。角があります。爪もあります。声も低い。森の中で不意に会えば、驚くと思います」


「昨日も聞きました」


「何度でも言います。驚くこと自体は失礼ではありません」


 エルナはリンをまっすぐ見た。


「驚いたあと、どう扱うかです」


 リンは少しだけ息を吸った。


「受取人として扱います」


「よろしい」


 エルナは次にフィオナを見た。


「フィオナ。あなたは封筒の状態を優先してください。相手が見つかっても、リンに急かされて保護袋を乱さないこと」


「私、急かされる前提なんですね」


「リンは急かします」


「否定できないのが困る」


 リンは小さく口を尖らせた。


「急かさないようにします」


「努力目標ですね」


 エルナはさらりと言って、注意票を折った。


「それから、二人とも。黒樫村で村人に事情を聞く時は、断定しないこと」


「断定?」


「ヴァルク・ガルムが不当に避けられていた、と決めてかからない」


 リンは一瞬、黙った。


 胸の奥で、返送印の黒がまた少し濃くなる。


「でも」


「でも、です」


 エルナは遮った。


「村に家畜被害があったのは事実です。通行止めが出ているのも事実です。灰角族が危険という記録はなくても、村人が何かを怖がっているなら、その怖さ自体は嘘ではありません」


 リンは地図の黒い森を見た。


 返送印は嫌だ。


 あの書き方は嫌だ。


 でも、それだけで村全体を悪者にすれば、リンも同じことをする。


 名前ではなく、まとめて見てしまう。


「分かりました」


 リンは言った。


「記録と本人確認を優先します。誰かを責めるためには行きません」


「はい」


 エルナは短く頷いた。


「それでいいです」


 その時、廊下側から足音がした。


 オスカーが仕分け室へ入ってくる。片手には支局長印の押された照会状、もう片方には小さな金属札を持っていた。


「黒樫村管理官への照会状だ」


 リンは受け取った。


「ありがとうございます」


「管理官には、東部第四支局からの正式確認として渡せ。相手が拒めば、森へは入るな」


「はい」


「ヴァルク・ガルム本人に会えた場合は、本人確認。受領意思。危険有無。可能なら近況確認。返書が出るなら受け取れ」


「はい」


「ただし」


 オスカーはそこで、少しだけ声を低くした。


「この配達は、返送印を訂正するためのものじゃない」


 リンは顔を上げた。


「はい」


「郵便局の面子を取り戻す仕事でもない」


「はい」


「宛名に書かれた相手が、今も受取人であるかを確かめる仕事だ」


 オスカーは金属札を机に置いた。


 特別配達。


 所在確認併行。


 危険時中断可。


 短い文字が刻まれている。


「届けられるなら届けろ。届けられないなら、その理由を持ち帰れ」


 昨日と同じ言葉だった。


 でも、記録庫で指印を見たあとでは、少し違って聞こえた。


「二人で行って、二人で戻れ」


「はい」


 リンとフィオナの声が重なった。


 オスカーはそれ以上、長くは言わなかった。言葉を増やす代わりに、照会状の端を指で一度だけ叩く。


「行って良い」


 リンは封筒を鞄へ入れた。


 フィオナの言った通り、手前ではなく奥へ。保護板の隙間にまっすぐ収める。指先が少しだけ紙に触れたが、すぐに離した。


 宛名は見えなくなった。


 けれど、そこにある。


「行こう、フィオナ」


「うん」


 フィオナは肩掛けの道具袋をかけ直した。


 中には保護布、耐湿紙、予備の封緘紐、簡易記録票。いつもの配達より、少しだけ荷物が多い。


 発着場へ出ると、朝の風はまだ穏やかだった。


 箒掛けから自分の箒を外し、リンは柄の感触を確かめる。医務官から許可が出たとはいえ、長く休ませた体はまだ少し重い。


 フィオナが横から見ていた。


「無理そうなら、言ってね」


「大丈夫」


「その返事、あまり信用されてない自覚ある?」


「ある」


「なら、もう一回」


 リンは箒にまたがる前に、少しだけ肩を回した。


 背中が軽く鳴る。


「今のところ、大丈夫。途中で変だったら言う」


「よし」


「よしって」


「採用できる返事だった」


 フィオナは自分の箒に乗った。


 リンは少し笑ってから、発着場の先を見た。


 北の空は、薄い灰色だった。


 黒樫の森がある方角。


 まだ遠い。ここからは見えない。


 けれど、鞄の奥の封筒が、そこへ向かっている。

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