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風待ちの魔女郵便  作者: Loui.Sue
Letter4 名前を呼ぶ手紙
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23/46

返送印②

 支局長室の扉は、半分だけ開いていた。


 中からは、紙をめくる音と、低い咳払いが聞こえる。朝の報告書が積まれている時間だ。リンは扉の前で一度足を止め、封筒を持ち直した。


 保護袋に入れたせいで、返送印の黒は少しだけぼやけて見えた。


 けれど、消えたわけではない。


「入れ」


 中から声がした。


 リンは顔を上げる。


「まだノックしてません」


「扉の前で二人分の足音が止まった。急ぎの顔だろう」


 オスカー・レーヴェンは机の向こうで書類から顔を上げた。灰色の髪は朝から少し乱れていて、眼鏡の横には細い紙片が挟まっている。昨夜から残っている分類票だ。


 フィオナが小さく頭を下げた。


「還付便から、確認していただきたい郵便物があります」


 リンは机の上の空いた場所を見つけ、保護袋ごと封筒を置いた。返送印が上に来る向きにする。


 オスカーはすぐには手を伸ばさなかった。まず、宛名を読んだ。それから返送理由を読んだ。


 その順番だけで、リンは少し息がしやすくなった。


「北方中継支局の返送印だな?」


「はい」


「返送理由は?」


「宛先地域に危険な魔獣が生息。受取人の存在を確認できず、還付」


 リンが読み上げると、オスカーは眉間に皺を寄せた。


「受取人名は?」


「ヴァルク・ガルムさん。黒樫の森、北部監視塔跡。灰角族の利用者登録があります」


「灰角族か……」


 オスカーはそこで初めて封筒を手に取った。保護袋の上から、角の傷みと封緘を確かめる。


「開封は」


「されていません」


「水濡れは」


「なし。封緘も無事です。ただ、仕分けの擦れがあります」


 答えたのはフィオナだった。


 オスカーは頷いた。


「エルナを呼べ」


「もう来ています」


 背後から声がした。


 リンが振り返ると、エルナ・ヴァイスが扉の横に立っていた。片手に救援記録ではなく、薄い規則綴りを持っている。


「廊下でフィオナから少し聞きました」


「早いな」


「この手の返送は、遅い方が困ります」


 エルナは部屋へ入り、机の横に立った。封筒を見る。その目は、返送印よりも先に、やはり宛名へ行った。


 ヴァルク・ガルム。


 声には出さない。


 けれど、読んだのは分かった。


「危険地域での配達中断自体は、規則違反ではありません」


 エルナは静かに言った。


「はい」


 リンは頷いた。


「現地で郵便魔女、または管理官が危険と判断した場合、配達を中断して持ち帰ることは認められています。特に黒樫の森は、近年、家畜被害と通行止めの記録があります」


「そこは分かっています」


「分かっている顔ではありませんね」


 リンは少し口を結んだ。


 エルナは責めるようには言わなかった。ただ、リンの顔に出ているものを、そのまま指摘しただけだった。


「危険なら、戻っていい。そこは曲げません」


「はい」


「でも、これは別です」


 エルナは返送票の一行を指した。


 危険な魔獣が生息。


「危険地域への中断なのか、受取人を魔獣と見なした返送なのか。記録の書き方が混ざっています」


 オスカーは椅子の背にもたれた。


「受取人の存在を確認できず、という文言も弱いな」


「弱いというより、確認した跡がありません」


 フィオナが記録紙を差し出した。


「利用者登録は有効です。住所変更、死亡届、登録抹消、いずれもなし。最後の受領記録は八年前です」


「八年前から配達がない」


「はい」


「その間、誰も確認していないのか」


「少なくとも、この記録上は」


 フィオナの返事は小さかった。


 リンは封筒から目を離せなかった。


 八年。


 その長さは、言葉にすると短い。けれど、一通の手紙を待つ時間としては長すぎる。


「差出人は子供か」


 オスカーが聞いた。


「たぶん」


 フィオナが答える。


「字と切手の貼り方だけでは断定できません。ただ、慣れてはいません。宛名の名前を、何度も見ながら書いた跡があります」


 フィオナの返事は、少しだけ早かった。


 オスカーはその声を聞いて、わずかに目を細めた。叱るのではなく、分かっている、という顔だった。


「リン」


「はい」


「お前はどう見る」


 リンは一度、返送印から目を離した。


 どう見る。


 危険な森。八年前から途切れた配達。灰角族。返送印。子供の字。宛名にかかった黒い円。


 どれも、見えている。


 その中で、一つだけ、見落としてはいけないものがある。


「この封筒は、まだ配達不能だと確定していません」


 リンは言った。


「危険で近づけない可能性はあります。ヴァルク・ガルムさんが、もうそこにいない可能性もあります。受け取れない事情があるかもしれません」


 オスカーは静かに聞いている。


「それでも、名前が残っています。登録も、住所も、消えていません」


 リンは保護袋の端に指を置いた。


「なら、確認しないまま、魔獣がいるから返す、では終われません」


 エルナは何も言わなかった。


 オスカーは短く息を吐いた。


「通常便では出せない」


「はい」


「危険地域指定が絡む。再配達ではなく、所在確認を兼ねた特別配達扱いにする」


 リンの背筋が、少しだけ伸びた。


「許可されますか」


「条件付きだ」


 オスカーは机の上の印箱を開けた。


「黒樫村の管理官に照会。現地で危険が確認された場合は中断。灰角族本人、または明確な受領不能理由を確認できなければ、封筒は持ち帰る」


「はい」


「森へ入るのは二名。リン、フィオナ」


 フィオナが目を瞬いた。


「私もですか」


「封筒の状態確認と、現地での再保護が必要になる。森の湿気もある。お前の方が向いている」


「……分かりました」


 フィオナは少しだけ緊張した顔で頷いた。


 リンは横目でその表情を見る。怖がっていないわけではない。けれど、逃げる顔ではなかった。


「エルナ」


「はい」


「危険中断の判断基準を二人に渡せ」


「すでに持ってきています」


「本当に早いな」


「遅い方が困りますから」


 エルナは規則綴りから一枚を抜き、リンへ渡した。


「森の奥で判断に迷ったら、これを見なさい」


「読みながら飛ぶな、ですよね」


「飛行中に読んだら没収します」


「何をですか」


「箒」


「それは困ります」


「なら読まない」


 リンが少しだけ肩をすくめると、フィオナが横で息を漏らした。


 笑いかけた空気は、すぐに戻る。


 机の上には、返送印の押された封筒がある。


 オスカーは支局長印を手に取った。朱肉をつけ、特別配達申請票の下部へ押す。


 乾いた音がした。


「配達を許可する」


 オスカーは印を戻し、リンを見た。


「ただし、間違えるな。これは意地で届ける仕事じゃない」


「はい」


「名前を確認する仕事だ。届けられるなら届けろ。届けられないなら、なぜ届けられないのかを持ち帰れ」


 リンは頷いた。


「二人で行って、二人で戻れ」


「はい」


 フィオナも、少し遅れて頷く。


「はい」


 エルナはその返事を聞いてから、封筒を保護袋ごとフィオナへ戻した。


「フィオナ。出発前に二重保護へ。湿気対策を優先。衝撃より水分」


「分かりました」


「リン。黒樫の森の上空は低く飛ばない。枝に近づきすぎると、視界より先に箒が取られる」


「はい」


「あと」


 エルナはそこで少しだけ目を細めた。


「灰角族を初めて見るなら、驚いてもいいです」


 リンは返事に詰まった。


 エルナは続ける。


「大きいです。角もある。声も低い。森の中で会えば、怖いと思うかもしれません」


「……はい」


「それと、受取人として扱うことは、別です」


 リンは、封筒の宛名を見た。


 ヴァルク・ガルム。


「はい」


 今度の返事は、さっきよりもはっきり出た。


「別です」


 オスカーはそれ以上、何も言わなかった。


 支局長室を出る時、リンは一度だけ振り返った。机の上には、朱印の押された特別配達申請票がある。


 返送印とは違う赤だった。


 消すための印ではない。


 もう一度、確かめるための印だった。

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