4-1 警備計画 改訂第三版
警備計画は、二十二頁あった。
表紙に帝国の書式で題が入っている。王都郊外旧薬種商邸 警備計画 改訂第三版。立案者の欄と承認者の欄に、同じ署名があった。
二週目の朝、その一部が警備員の詰所に回ってきた。回覧の印が、もう三つ押してあった。
ハティは調剤台で、昨夜の宿直日誌を日報に写していた。日誌の欄は、一行だけだった。
向かい二階 灯 二十三時に一度消え、二分後に点く
「苦情を、申し上げに来ました」
鼻に古傷のある警備員が、調剤台の前に立った。計画書の別紙の頁を開いて、こちらに向けた。
「別紙の三です」
嘱託 散歩 午後二時 所要四十分
経路 三通り(別図) 当日の朝、ユールが指定す
前衛 鼻に古傷 後衛 左利き
「自分は、前衛だそうで」
警備員は頁を一枚めくった。別紙の四だった。
喫煙 一日三本とす 場所は勝手口の外、風下とす
「あいつは、五本吸います」
勝手口の外で、もう一人の警備員が、舐めた指を風に立てていた。
警備員はさらに頁を繰った。別図だった。屋敷を真ん中に、郊外の道が細い線で引いてある。三本の経路に、色の違う鉛筆で印がついていた。
「三本とも、通りに面した二階の窓の下を通りません。向かいの屋根からの線も、全部外してある」
警備員の指が、図の上の小さな四角を一つずつ叩いていった。叩き終えるまでに、しばらくかかった。
「自分はここの警備を十二年やってますが、窓を数えたことはありません」
「それで、苦情というのは」
「写しを、一部いただけないかと」
老将軍が掲示板の前に来て、当番表の鋲を押し直した。
ハティは警備員の日誌を引き寄せた。四日目の夜の欄に、左利きの字で一行ある。
二十二時十分 ユール 外出 一名
「閣下。四日目の夜、お一人で外出されていますね」
老将軍は当番表から目を離さなかった。
「前を歩いていた者を、数に入れた」
ハティは当番表の最下段を読み直した。外出 二名以上とす うち一名はユール。違反は、どこにもなかった。
階段の上で、床板が鳴った。アシュトンが、空のインク壺を提げて下りてくるところだった。
「散歩はしない」
「今日からする」
「二時は、日誌を書いている」
「日誌は、一時に書け」
門の外で、馬車が止まった。
*
前の馬車から、課長が降りた。後ろの馬車からは、運用課の書記が二人がかりで木箱を下ろした。箱の角に、通関の札が下がっていた。行き先の欄は、空いていた。
「部長は今日から三日、予算審議で王宮に詰めておられる」
「聴取の日取りは、部長がお決めになると伺っています」
「日取りは、決まっていない」
課長は木箱を顎で指した。
「今日は、器械の較正だ。借りてきた。較正には本人に座ってもらう。質問は、較正のためにする」
書記が箱を課長のほうへ向け、留め金を外した。立てた蓋の上に、硝子の筒の先だけが覗いていた。筒の中で、細い針が光っていた。
魔導師が、調剤台から一歩下がった。
青年は、蓋の端を見ていた。
「蝶番だけ、新しいです」
課長は答えず、規程集を開いた。付箋が一枚だけ貼ってあった。
「第十二章第十五条。聴取の場には、聴取官と記録係のほかは立ち入らない。較正も、聴取に準ずる」
課長の目が、アシュトンに来た。
「嘱託には、コリンズ君の買い出しに付き添ってもらう」
鼻に古傷の警備員が、外套に手を伸ばした。
「持ち場を離れるな」
警備員の手が、外套から下りた。
商人が椅子から立った。
「買い出しなら、私が行く」
老将軍が、当番表の最下段に指を置いた。うち一名はユール、の行だった。
「規程だ」
商人は当番表を見上げ、老将軍の指を見た。手帳を一枚破り取り、立ったまま数字を書いた。卵、小麦粉、バター、塩、干し果物。品名の横に、値が一つずつ並んだ。
紙は、アシュトンではなく、ハティに渡された。
「この男に、財布を持たせるな」
アシュトンは帽子掛けから外套を取った。魔導師が台所から茶碗を一つ運んできて、アシュトンの空いた椅子の前に置いた。
老将軍は、客間の扉を自分で開けた。敷居の上で、ハティのほうを振り返った。
「事務官。経路は、別図の三だ」
扉が閉まった。
ハティは計画書の別図の三を探した。
*
客間の窓は、庭に向いていた。
将軍は外した手袋の指を揃えて、膝に置いた。真鍮の板に、右手を載せた。冷たかった。硝子の筒の中で、針が一度揺れ、まっすぐに垂れた。
「較正だ。偽りを一つ、言ってもらう。何でもいい」
課長が言った。書記の一人が、帳面を開いた。
将軍は少し考えた。
「あの男を、信用していない」
針が、筒の壁を打った。二度打って、しばらく震えていた。
書記は帳面に、較正、偽、と書いた。
名前と、階級と、前の職を聞かれた。答えた。針は垂れたままだった。
「帝国北方軍の、春の補給計画について」
「あの男のいない場で、話すことはない」
針は動かなかった。
「冬営地の数は」
「あの男のいない場で、話すことはない」
書記は、三問目から「同上」と書いた。
課長は問いの順を変えた。兵站の言葉を使い、帝国の書式の用語を使った。よく調べてあった。将軍は同じ一文で答えた。針は、筒の真ん中に垂れ続けた。
「嘱託アシュトンに、帝国の情報を渡したことは」
「十年、何も聞かれていない」
課長が顔を上げた。
針は揺れなかった。
課長が、帳面を一枚めくった。
「春の、帝国軍の動きは」
将軍の目が、窓へ動いた。
庭の隅に、薔薇の株が一つあった。前の住人が植えたきり、誰も鋏を入れていない。枝の先の葉が、茶色く縮れていた。
「何を見ている」
「薔薇だ。冬を越せるか、見ていた」
針は垂れたままだった。
書記は帳面の余白に、窓、と一語だけ書いた。
*
市場までは、歩いて二十分のはずだった。
アシュトンは門を出ると、左へ曲がった。市場は右だった。
「あの、市場は」
「こっちから行く」
ハティは歩きながら、計画書の別図を開いた。左へ曲がる線が、色鉛筆で引いてあった。三本目の線だった。道はそこから、三本目の線の上をたどった。
古本屋の並ぶ通りを抜け、教会の裏の石段を下りた。帽子屋の飾り窓の前で、アシュトンは足を止めた。値札は見ていなかった。台を抱えた靴磨きの少年が、二人を追い越していった。
次の四つ角で、その少年が台を広げていた。アシュトンは台に片足を載せた。少年は黙って靴を磨いた。アシュトンは硬貨を一枚置き、釣りは台の上に残した。
買い出しの付き添いは、勤務記録の外勤の欄に、出た時刻と戻った時刻を書く。所要の目安は、規程で四十分とされている。ハティは懐中時計を出した。門を出て、ちょうどそれだけたっていた。ハティは時計の蓋を閉めた。
市場に着いたのは、門を出て一時間十分後だった。
卵の屋台で、ハティは商人の紙を出した。
「卵、一ダース。この値で」
屋台の女は、紙を一目見た。
「ああ。連合の訛りの旦那の値だね。先週、軍人みたいな爺さんと二人で来て、半時間ねばっていったよ」
女は紙の値で卵を包み、紙と一緒に差し出した。受け取ったのは、アシュトンだった。
「あの旦那、どこのお屋敷の人だい。今朝も、旦那のことを聞きに来た人がいたけど」
「遠い親戚だ」
隣の屋台で、外套の裾に塩の跡がある男が、干し鱈の値を聞いていた。
アシュトンは小麦粉の屋台へ移った。台の端に商人の紙を置き、鉛筆で何か書き足した。値を是正しているのだろう、とハティは思った。
帰りは、運河沿いの道だった。別図のどこにも、運河は引いてなかった。
運河の橋の上で、新聞を脇に挟んだ男が、二人を追い越していった。アシュトンは男に道を譲り、欄干の側に寄った。
ハティは時計を見た。外勤の目安を、一時間過ぎていた。
「勤務記録に、遠回りの欄はありません!」
「備考の欄がある」
アシュトンは歩く速さを変えなかった。
屋敷へ戻る最後の辻の手前で、アシュトンは卵の包みをハティの腕に載せた。
「コリンズ君。これを、持っていてくれ。振り返らなくていい」
ハティが包みを抱え直すあいだに、アシュトンは言った。
「三人に、尾けられていた」




