↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/17

4-1 警備計画 改訂第三版

警備計画は、二十二頁あった。

表紙に帝国の書式で題が入っている。王都郊外旧薬種商邸 警備計画 改訂第三版。立案者の欄と承認者の欄に、同じ署名があった。

二週目の朝、その一部が警備員の詰所に回ってきた。回覧の印が、もう三つ押してあった。


ハティは調剤台で、昨夜の宿直日誌を日報に写していた。日誌の欄は、一行だけだった。


 向かい二階 灯 二十三時に一度消え、二分後に点く


「苦情を、申し上げに来ました」

鼻に古傷のある警備員が、調剤台の前に立った。計画書の別紙の頁を開いて、こちらに向けた。

「別紙の三です」


 嘱託 散歩 午後二時 所要四十分

 経路 三通り(別図) 当日の朝、ユールが指定す

 前衛 鼻に古傷 後衛 左利き


「自分は、前衛だそうで」

警備員は頁を一枚めくった。別紙の四だった。


 喫煙 一日三本とす 場所は勝手口の外、風下とす


「あいつは、五本吸います」

勝手口の外で、もう一人の警備員が、舐めた指を風に立てていた。


警備員はさらに頁を繰った。別図だった。屋敷を真ん中に、郊外の道が細い線で引いてある。三本の経路に、色の違う鉛筆で印がついていた。

「三本とも、通りに面した二階の窓の下を通りません。向かいの屋根からの線も、全部外してある」

警備員の指が、図の上の小さな四角を一つずつ叩いていった。叩き終えるまでに、しばらくかかった。

「自分はここの警備を十二年やってますが、窓を数えたことはありません」

「それで、苦情というのは」

「写しを、一部いただけないかと」


老将軍が掲示板の前に来て、当番表の鋲を押し直した。

ハティは警備員の日誌を引き寄せた。四日目の夜の欄に、左利きの字で一行ある。


 二十二時十分 ユール 外出 一名


「閣下。四日目の夜、お一人で外出されていますね」

老将軍は当番表から目を離さなかった。

「前を歩いていた者を、数に入れた」

ハティは当番表の最下段を読み直した。外出 二名以上とす うち一名はユール。違反は、どこにもなかった。

階段の上で、床板が鳴った。アシュトンが、空のインク壺を提げて下りてくるところだった。

「散歩はしない」

「今日からする」

「二時は、日誌を書いている」

「日誌は、一時に書け」

門の外で、馬車が止まった。



   *


前の馬車から、課長が降りた。後ろの馬車からは、運用課の書記が二人がかりで木箱を下ろした。箱の角に、通関の札が下がっていた。行き先の欄は、空いていた。

「部長は今日から三日、予算審議で王宮に詰めておられる」

「聴取の日取りは、部長がお決めになると伺っています」

「日取りは、決まっていない」

課長は木箱を顎で指した。

「今日は、器械の較正だ。借りてきた。較正には本人に座ってもらう。質問は、較正のためにする」

書記が箱を課長のほうへ向け、留め金を外した。立てた蓋の上に、硝子の筒の先だけが覗いていた。筒の中で、細い針が光っていた。

魔導師が、調剤台から一歩下がった。

青年は、蓋の端を見ていた。

「蝶番だけ、新しいです」

課長は答えず、規程集を開いた。付箋が一枚だけ貼ってあった。

「第十二章第十五条。聴取の場には、聴取官と記録係のほかは立ち入らない。較正も、聴取に準ずる」

課長の目が、アシュトンに来た。

「嘱託には、コリンズ君の買い出しに付き添ってもらう」

鼻に古傷の警備員が、外套に手を伸ばした。

「持ち場を離れるな」

警備員の手が、外套から下りた。

商人が椅子から立った。

「買い出しなら、私が行く」

老将軍が、当番表の最下段に指を置いた。うち一名はユール、の行だった。

「規程だ」

商人は当番表を見上げ、老将軍の指を見た。手帳を一枚破り取り、立ったまま数字を書いた。卵、小麦粉、バター、塩、干し果物。品名の横に、値が一つずつ並んだ。

紙は、アシュトンではなく、ハティに渡された。

「この男に、財布を持たせるな」

アシュトンは帽子掛けから外套を取った。魔導師が台所から茶碗を一つ運んできて、アシュトンの空いた椅子の前に置いた。

老将軍は、客間の扉を自分で開けた。敷居の上で、ハティのほうを振り返った。

「事務官。経路は、別図の三だ」

扉が閉まった。

ハティは計画書の別図の三を探した。



   *


客間の窓は、庭に向いていた。

将軍は外した手袋の指を揃えて、膝に置いた。真鍮の板に、右手を載せた。冷たかった。硝子の筒の中で、針が一度揺れ、まっすぐに垂れた。

「較正だ。偽りを一つ、言ってもらう。何でもいい」

課長が言った。書記の一人が、帳面を開いた。

将軍は少し考えた。

「あの男を、信用していない」

針が、筒の壁を打った。二度打って、しばらく震えていた。

書記は帳面に、較正、偽、と書いた。

名前と、階級と、前の職を聞かれた。答えた。針は垂れたままだった。

「帝国北方軍の、春の補給計画について」

「あの男のいない場で、話すことはない」

針は動かなかった。

「冬営地の数は」

「あの男のいない場で、話すことはない」

書記は、三問目から「同上」と書いた。

課長は問いの順を変えた。兵站の言葉を使い、帝国の書式の用語を使った。よく調べてあった。将軍は同じ一文で答えた。針は、筒の真ん中に垂れ続けた。

「嘱託アシュトンに、帝国の情報を渡したことは」

「十年、何も聞かれていない」

課長が顔を上げた。

針は揺れなかった。

課長が、帳面を一枚めくった。

「春の、帝国軍の動きは」

将軍の目が、窓へ動いた。

庭の隅に、薔薇の株が一つあった。前の住人が植えたきり、誰も鋏を入れていない。枝の先の葉が、茶色く縮れていた。

「何を見ている」

「薔薇だ。冬を越せるか、見ていた」

針は垂れたままだった。

書記は帳面の余白に、窓、と一語だけ書いた。



   *


市場までは、歩いて二十分のはずだった。

アシュトンは門を出ると、左へ曲がった。市場は右だった。

「あの、市場は」

「こっちから行く」

ハティは歩きながら、計画書の別図を開いた。左へ曲がる線が、色鉛筆で引いてあった。三本目の線だった。道はそこから、三本目の線の上をたどった。

古本屋の並ぶ通りを抜け、教会の裏の石段を下りた。帽子屋の飾り窓の前で、アシュトンは足を止めた。値札は見ていなかった。台を抱えた靴磨きの少年が、二人を追い越していった。

次の四つ角で、その少年が台を広げていた。アシュトンは台に片足を載せた。少年は黙って靴を磨いた。アシュトンは硬貨を一枚置き、釣りは台の上に残した。

買い出しの付き添いは、勤務記録の外勤の欄に、出た時刻と戻った時刻を書く。所要の目安は、規程で四十分とされている。ハティは懐中時計を出した。門を出て、ちょうどそれだけたっていた。ハティは時計の蓋を閉めた。


市場に着いたのは、門を出て一時間十分後だった。

卵の屋台で、ハティは商人の紙を出した。

「卵、一ダース。この値で」

屋台の女は、紙を一目見た。

「ああ。連合の訛りの旦那の値だね。先週、軍人みたいな爺さんと二人で来て、半時間ねばっていったよ」

女は紙の値で卵を包み、紙と一緒に差し出した。受け取ったのは、アシュトンだった。

「あの旦那、どこのお屋敷の人だい。今朝も、旦那のことを聞きに来た人がいたけど」

「遠い親戚だ」

隣の屋台で、外套の裾に塩の跡がある男が、干し鱈の値を聞いていた。

アシュトンは小麦粉の屋台へ移った。台の端に商人の紙を置き、鉛筆で何か書き足した。値を是正しているのだろう、とハティは思った。


帰りは、運河沿いの道だった。別図のどこにも、運河は引いてなかった。

運河の橋の上で、新聞を脇に挟んだ男が、二人を追い越していった。アシュトンは男に道を譲り、欄干の側に寄った。

ハティは時計を見た。外勤の目安を、一時間過ぎていた。

「勤務記録に、遠回りの欄はありません!」

「備考の欄がある」

アシュトンは歩く速さを変えなかった。

屋敷へ戻る最後の辻の手前で、アシュトンは卵の包みをハティの腕に載せた。

「コリンズ君。これを、持っていてくれ。振り返らなくていい」

ハティが包みを抱え直すあいだに、アシュトンは言った。

「三人に、尾けられていた」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。