6-1 午前二時、東の区分棚
夕食の卓には、椅子が七脚ある。
三週目の最初の晩、その七脚の並びをめぐって、食堂の入口に四人が立っていた。
「窓に背を向ける席は、外から撃たれる。戸口が見えない席は、入ってくる者に遅れる」
老将軍が、卓の上座を指した。
「あの男は、壁を背にして戸口の見える上座に座るべきだ。その右、窓とのあいだに、私が座る」
「家賃を払っているのは私だ」
商人が、卓の反対の端を指した。
「出資の順に座る。出資者の筆頭は、当主の右に座るのが連合の作法だ」
「右の椅子からは、あの方の手元の日誌が読めません」
青年が言った。
「読めない席でしたら、わたしが座っても、障りがありません」
「お皿は、右からお出しするものでございます」
魔導師が言った。
四人とも、上座の右の椅子を見ていた。
アシュトンは、いつもの、卓のいちばん端の椅子を引いて座った。戸口に近く、上座からいちばん遠い椅子だった。
四人の目が、上座の右から端の椅子へ移った。端の椅子の右は、壁だった。左は空いていた。
ハティが、規程集を胸に抱えて食堂に入ってきた。事務官の泊まり込みの届けが受理されてから、今夜で三日目になる。ハティは、空いている椅子に座った。アシュトンの左だった。
四つの視線が、ハティの椅子に集まった。
「食堂の席次は、規程集のどこにもありません!」
四人は黙って、残りの椅子に散った。賄いの女が鍋を運んできた。
食後、アシュトンは裏門まで下りた。
掛け金には、昨夜渡した髪の毛が、元の位置にかかっていた。アシュトンは髪をそのままにして、掛け金と門柱のあいだに、封筒を一通差し込んだ。
封筒の表には、何も書いていない。封は、赤い蝋で閉じてある。
内側にだけ、一行書いた。
今夜 二時 中央郵便局 夜間仕分け場 東の区分棚
アシュトンは門を離れ、角灯の火を落とした。
*
二十二時の見回りを終えて、宿直室の灯を消した。寝台の端で、猫が顔を上げた。出かけるのか、という顔だった。
「すぐ戻る」
角灯は、広間の釘に掛けたままにした。
階段は使わなかった。台所の窓から裏庭へ出て、篠懸の木の陰を通り、隣家の生垣と塀のあいだを抜けた。向かいの下宿の二階の窓からは、篠懸の幹が、裏庭の半分を隠す。
中央郵便局の裏口は、郵便袋の搬入口を兼ねている。監査官の札を見せれば、守衛の帳簿に名が残る。夜の便の荷車が入るあいだ、扉は半時間、閂を掛けない。荷車の御者は、搬入口の脇で煙草を一本吸ってから帰る。その一本のあいだに、建物の中へ入った。
夜間の仕分け場は、二時に一度、灯が半分になる。夜勤の局員が十五分の茶をとりに、二階の詰所へ上がるからだった。
二十五年、国際郵便の監査官の札で、この建物を通ってきた。床の板のどれが鳴るかも、知っている。
東の区分棚は、外国あての朝の便の残りを溜めておく棚だった。六時に、局員が引き出しを抜いて、仕分けに回す。引き出しが縦に四十、横に三十。宛先の国の名が、真鍮の札で打ってある。
棚の前に、男が一人立っていた。
中背で、外套は灰色、帽子はかぶっていない。年は分からなかった。目と鼻と口が、それぞれ普通の位置にあった。明日、どこかで会っても、思い出せない顔だった。靴の踵だけが、直したばかりだった。
アシュトンは、男から三歩の位置で止まった。男の右手が届かず、自分の左手が、区分棚の三つの引き出しに届く位置だった。
男も、動かなかった。男の両手は、外套の外に出ていた。指は、軽く開いていた。
「封蝋あてに、封蝋で」
男の王国語には、どこの訛りもなかった。
「峠の家は、もう空でした。裏門の髪も、そのままにしておいでだった」
男は外套の内側から、封筒を一通出した。古い手紙だった。区分棚の、公国の札の引き出しの上に置いた。
「峠の家の郵便受けにあったものです。お返しします」
二階の詰所で、椅子を引く音がした。茶の時間の、最初の音だった。
「我々は、道具を回収しません」
男の指が、公国の札の上で止まった。
「処分します」
*
十四年前の立春の朝、帝都の中央郵便局の窓口に、軍需局の書記官が並んでいた。
フェリクス・ローデは、三十をいくつか越えたところだった。袖に、帳簿のインクの染みがあった。妻の実家に送る小包の目方を、局員に二度量り直させていた。
アシュトンは国際郵便の監査官として、隣の窓口の帳簿を見ていた。
「書記官の方ですか」
アシュトンは、帝都の言葉で尋ねた。
「軍需局の帳簿の書式は、郵便の帳簿と同じ型を使うと聞いたことがあります」
フェリクスは振り返った。
「同じ型ですよ。ただし、軍需局のほうは、数字が合わないことになっている」
言ってから、フェリクスは自分の口を押さえた。
アシュトンは、帝都の郵便の帳簿の、数字が合わない話をした。三十分、二人で数字の合わない話をした。
台帳に符号を書いたのは、三月後だった。名は、最初の日の名にした。
四年、フェリクスは軍需局の帳簿の写しを渡した。月に一度、帝都の中央郵便局の局留めの窓口で、小包の目方を量り直させるあいだに。
アシュトンは、帳簿の数字の、合わないところを尋ねた。フェリクスは、尋ねられたところに答えた。答えの下に、尋ねていない数字が、もう一行書き添えてあることがあった。
四年のあいだに、フェリクスの娘は四つから七つになった。小包の中身は、毛糸の手袋から、子ども用の辞書になった。
受け渡しのたびに、フェリクスは包みの隅に、胡桃の焼き菓子を一つ入れてよこした。妻が焼いたものだった。アシュトンは、それを帰りの列車の中で食べた。
アシュトンは一度も、フェリクスの家の通りを歩かなかった。歩けば、誰かが見る。
三年目の冬に、アシュトンは帳簿の外のことを尋ねた。鍵のかかった棚にある、北方軍の冬営の帳簿だった。
フェリクスは、目方を量り直させている小包の紐を、指に巻いた。
「棚の鍵は、課長が首から下げています。課長は昼に、鍵を外して手を洗う」
翌月、小包の下に、冬営の帳簿の写しが一頁あった。フェリクスの字は、いつもより小さかった。
十年前の十一月、局留めの窓口の列で、フェリクスが妻の実家からの手紙を一通、上着の隠しから出した。
「近ごろ、義母の手紙が遅れるんです。三日も」
封は、完全だった。糊の縁がはみ出していない。義母は、手紙を三つ折りにしたあと、角をもう一度折る癖があると、フェリクスは前に笑って話していた。その角が、折られていなかった。
隣の机に、新しい書記官が来たとも、フェリクスは言った。
アシュトンは、帝都から王都へ戻る列車の中で、報告を書いた。協力者の周辺に監視の兆候あり。運用の停止と、出国の経路の用意を求む。
十一月の終わり、運用課長の部屋は、本部の三階の角にあった。
オルダムは、報告を読んだ。机の端に、議会の日程表が開いてあった。予算審議の欄に、赤い線が引いてあった。窓の外では、王都の議事堂の屋根に、雪が落ちはじめていた。
「帝国の北方軍が、国境の三十里手前に冬営地を作っている」
オルダムは報告を机に置いた。
「冬営地の数と、春までの補給の量が要る。議会がそれを見れば、予備役を召集できる。召集が見えれば、帝国は春に動かない。見えなければ、春に国境が燃える」
「協力者は、見られています。出国の経路を作るのに、ひと月ください」
「数は、もう一つの筋から取れている。議会に出せるのは、軍需局の判のある頁だけだ」
オルダムは、日程表の赤い線に指を置いた。
「予算審議は、二十日に締まる。経路ができるのは、その先だ。最後の頁は、その前に要る。彼は、二十日まで、机にいなければならない」
オルダムは、アシュトンを見た。
「あと一度だけだ」




