↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
14/14

6-2 夜明けの為替窓口

午前二時に、ハティは客間の長椅子で目を覚ました。

宿直の角灯が、広間の釘に掛かったままだった。いつもなら、それを提げて見回りが一度、広間を通る刻だった。

ハティは肩掛けを羽織り、二階へ上がった。

宿直室の戸が、半分開いていた。寝台の毛布は、畳んだまま、皺が一つもなかった。北向きの窓辺で、植木鉢が右に寄せてあった。鉢の脇で、猫が通りのほうを向いて座っていた。枕元の宿直日誌は、今日の頁が白いままだった。

廊下の四つの戸のうち、三つが開いていた。部屋は、三つとも空だった。四つ目の戸は、閉じていた。


広間の調剤台の上に、物が残っていた。

王都の地図が一枚、四隅を薬の瓶で押さえてあった。地図は鉛筆の線で、十二の区画に割ってあった。区画ごとに、番号と、刻が書き込んである。中央郵便局の区画にだけ、名が一つ書いてあった。ユール。

地図の余白に、将軍の字で数行あった。


 二十二時半 角灯 釘のまま 三段目 鳴らず

 二十三時 向かいの交代 灯は消えず 篠懸の陰を使う

 警備員 二名とも残す 持ち場を離れるな

 エキノクス 在宅 事務官と


地図の脇に、手形の控えが綴じてあった。屋敷を出る前に、御者組合の名簿から書き写した控えだった。王都の辻馬車の御者、十二人の名。振出人の欄には、凍結されたはずの商会の名が、商人の字で書いてあった。

地図から顔を上げると、階段の下に、青年が座っていた。

膝の上に、紙が一枚あった。青年は、ハティを見ずに、紙を差し出した。


 手紙四十七通 投函の刻

 二十二時台 三十一通

 二十三時台 十一通

 零時以降 五通

 投函局 中央郵便局 夜間窓口 四十七通


「閣下に、同じものをお渡ししました」

「ここにいるように、と言われました。わたしが出れば、あの方の今夜が、無駄になる」

ハティは、青年の隣に腰を下ろした。三段目の、ひとつ上だった。

しばらくして、ハティは立ち上がり、宿直室から日誌を持って下りてきた。白いままの頁に、書いた。


 二時十分 嘱託 不在 事務官代記


日誌を膝に置いて、ハティはまた階段に座った。



   *


北の区画の辻馬車の溜まり場に、御者が四人、火鉢を囲んでいた。

商人は、控えの手形に、刻と区画の番号を一枚ずつ書き足して渡した。

「旦那。この商会の名は、連合のほうで止められてるって噂だ。懸賞金のほうが、手形より高くつく名だ」

いちばん年かさの御者が、手形を火鉢の明かりにかざした。

「止められているのは、金だけだ」

「で、値は」

「値は、明日つける。今夜は、刻だけ守れ」

御者は、手形の名を親指で一度なぞった。手形を懐にしまい、馬の口を取った。

商人は、手帳を出した。家賃の欄と、餌代の欄と、見出しのない欄の下に、新しい欄を作った。見出しに、今夜の日付だけ書いた。



   *


東の区画の路地は、灯がなかった。

魔導師は角灯を胸の高さに掲げて、路地を一本ずつ歩いた。角灯の火は、マッチを三本しくじってから点いた。

路地の奥が、角灯の光の届かない暗がりになっていた。指を一度鳴らせば、路地の端まで昼のように明るくなる。聖庁で十年、毎晩していたことだった。

魔導師は、角灯を持つ手を替えた。空いた右手を、前掛けの隠しに入れた。干し林檎の袋があった。

角灯の油は、半分に減っていた。袋を握ったまま、次の路地へ曲がった。



   *


最後の受け渡しは、十年前の十二月の、冬至の五日前だった。

帝都の中央郵便局の局留めの窓口は、年の瀬の小包で混んでいた。フェリクスは列に並びながら、小包の目方を量り直させた。帳簿の一頁が、包みの紙の下にあった。

「春になったら、娘に自転車を買います」

フェリクスは、包みの紐を結び直しながら言った。

「八つになります。帝都の坂は、あの子にはまだ急ですが」

アシュトンは、帳簿の頁を受け取った。

「坂の下で、乗る練習をさせるといい」

フェリクスは笑った。紐の結び目を、もう一度確かめた。

窓口の硝子に、列の後ろの男が映っていた。列が進んでも、男は前に詰めなかった。

アシュトンは、振り返らなかった。


二日後、帝国の官報に三行が載った。


 軍需局書記官 フェリクス・ローデ

 国家反逆の罪により 処す

 監察総局


官報は、翌日、王都の本部の資料室に届いた。アシュトンは資料室の窓際で、三行を読んだ。その頁を元の綴じに戻し、綴じ紐を結び直した。資料室の係が、次の綴りを待って、後ろに立っていた。


王国の議会は、冬営の帳簿の数字を見て、予備役を召集した。帝国の北方軍は、春に動かなかった。


その月のうちに、アシュトンは王都の中央郵便局の局留めの窓口で、最初の手紙の束を受付に出した。受付印には、年まで入る。

同じ日、隣の為替の窓口で、帝都あての為替を一枚組んだ。差出人の欄には、私書箱の番号だけを書いた。額は、帝都で子ども用の自転車が一台買える値だった。

その冬、アシュトンは国境の森へ行った。猟師小屋の主に、金ではないものを渡した。

台帳の立春の行に、閉鎖、と書いた。



   *


仕分け場の灯は、まだ半分だった。

アシュトンは、左手の届く三つの引き出しに、目を落とした。真鍮の札は、帝国、教国、連合だった。

「この三つに、一通ずつ入れてある。宛先は、それぞれの国の暗号局だ。今夜は、私が抜いて帰る」

男は、三つの札を一つずつ見た。手紙には、触れなかった。

「同じものが、ほかの国の局の棚にもある。期限が切れれば、配達に回るように出してある。期限は、私が月に一度延ばす」

「宛先には、あの方の居所も」

「書いていない。公国の設計官が国を出た、とだけだ」

アシュトンは、引き出しから手を離さなかった。

「彼を消せば、私は延ばさない。三つの国は、国を出た設計官が、何を持って出たのかを考える。考えた先にあるのは、鍵が漏れた、の一つだ」

「生かしておけば」

「彼が明日の朝も、卓に座っていれば、どの棚の手紙も動かない」

男は、外套の縫い目を一度なぞった。

「次の鍵の切り替えまで、あの方の頭が誰にも開かれなければ、処分を急ぐ理由はありません」

「開かせない」

「あなたの国の暗号局にも、ですか」

「誰にも」

ひと月ください、と言った部屋の窓に、雪が落ちていた。

男は、帽子のない頭を、わずかに傾けた。

「鍵は替わります。ただ、替えるのは、あの方の作った型です」

男は東の区分棚の陰へ、二歩下がった。床の板は、どれも鳴らなかった。

「一つだけ」

棚の陰から、声がした。

「あなたの国は、春までもちません」

アシュトンは、三つの引き出しから封筒を抜いた。

二階の詰所で、茶碗を置く音がした。仕分け場の灯が、元の明るさに戻った。

公国の札の引き出しの上に、峠の家の古い手紙が一通、残っていた。



   *


中央郵便局の正面の階段に、老将軍は夜半から立っていた。階段の石は、夜のあいだに霜で白くなった。

十二の区画には、網を張ってある。十一の区画から、尾ける者はない、と順に報せが来た。

将軍は、中には入らなかった。あの男が、自分で選んだ建物だった。

夜明けに、窓口の鉄格子が内側から上がった。

将軍は、開いた戸から入った。

朝一番の窓口の前に、客は、一人だった。局員の通用口の戸が、まだ揺れていた。外套の肩が、仕分け場の埃で白かった。

客は、為替の窓口に紙を一枚出していた。局員が、それに受付の印を押していた。

将軍は、あの男の肩越しに、その紙を見た。あの男は、紙を手で覆わなかった。

送金の為替だった。差出人の欄には、私書箱の番号だけがあった。宛先は、帝都。額は、帝都の役人のひと月の給金ほどあった。

宛名の姓は、ローデだった。

局員が、釣り銭を窓口の皿に置いた。あの男は、それを二度数えた。

将軍は、その右に立った。手袋を外した。

局員が、為替の控えを窓口から差し出した。あの男は控えを受け取り、外套の内ポケットにしまった。内ポケットには、古い封筒が一通、先に入っていた。

あの男が振り向く前に、将軍は自分の外套を脱いだ。

埃で白い肩に、それを掛けた。

あの男は、振り向かなかった。将軍の外套の前を、片手で合わせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。