5. お辞儀より、顔を見せて
菓子は青い包みごと保管し、食卓へは出させていない。朝、納品元を確かめるよう頼んでから、私は公爵のいる居間へ向かった。扉の前で、こわばった指をそっと開く。
「昨夜の包みなら、鍵のかかる棚にある。君の許しなしには開けさせない」
「まだ、うまく言えないのに……何も聞かずに、ありがとうございます」
「言えるときでいい。今朝は、何を確かめたい?」
「侯爵家宛てから公爵邸へ回した荷も確かめたいのです。屋敷の納品帳を見せていただけますか?」
「家令に話を通しておく。気になる荷は、現物も確かめるといい」
公爵の手元の書類は、裏返しのままだ。跳ねた黒い短髪を揺らし、ハイディが横から覗き込んだ。
「兄上、それ、義姉上の足音がした途端に裏返しになったよ」
「読み終えたところだ」
「途中だったよ! 裏返しにするところ、あたし見てたもの!」
私も裏返しの紙へ目を落とす。まっすぐな眉を寄せた公爵が、さっと封に入れた。紙の擦れる音が、やけに大きい。
「ふふ、私がお邪魔すると、続きが読めませんね」
咳払いした公爵はすくっと立ち上がる。
「君の用件が先だ。帳場へ行こう」
彼の後を追い、廊下の鏡で赤茶の編み髪の飾りを直した。まだ何も確かめていないのに、肩から少しだけ力が抜けている。
帳場で倉係が机へ出したのは、納品帳だけだった。説明は添えず、私の指が表紙に触れるのをじっと見ている。
「今朝の分まで記載してあります。収納先も、その欄です」
婚礼から八日目。一周目の今日、港の倉が焼けた。父が焦げた納品帳を私に見せたのは、何日も後のことだ。毛布と灯油は失われ、人は無事だったという。私が知っているのは、その知らせを聞く場面までだった。
鼻の奥によみがえる、あの煤の匂い。今、開いている頁には、焦げ跡などない。
港から出せば守れるはずだった。その荷が今朝、公爵邸の倉に入っている。
送り状の旧宛先には線が重なり、公爵邸への訂正とボニファーツの名が添えてあった。
「送り状には毛布と灯油がありますが、収納欄の灯油は、どちらに載っていますか?」
「こちらの毛布で全部です。開けずに一緒に収める指図が付いていましたので」
添付された古い指図には、毛布一括、開梱不要。今の収納欄にも、毛布の文字しかない。
指先から、机の冷たさが染み込んできた。場所を替えても、荷の中身は替わっていない。
私は帳面を戻し、現物を見たいと告げる。倉係が鍵を探す間に、玄関から聞き覚えのある声が近づいた。
「僕の家へ来る荷を、ここへ回したそうだね。持って帰るよ」
フィリベルトは私を見るなり、艶のある金髪を払う。隣では、ベルナデッテが肩で弾む巻き毛を揺らして頷いた。
「お姉様、毛布も灯油も待っている人がいるのよ。早く運ばせてよ」
「父から私へ渡された支度荷ですから、宛先が変わっても、持主は私です」
私は送り状を広げ、荷主と、持参金に添える品目の欄を指で押さえる。倉係が訂正された行に顔を寄せた。
「家を替えれば、僕から逃げ切れると思うな!」
「お話は現物を確かめてから伺いますので、まず、この荷は動かさないでください」
息を整え、私は倉係へ鍵を求める。公爵は家令を呼び、先に倉へ向かわせた。
倉の扉が開くと、係の人が灯りを持ち上げかけている。石の床から這い上がる冬の冷気に、足首がすくんだ。
「灯りを入れるのを待ってください! 戸口の明かりで荷を確かめます」
「分かりました。公爵様からも、奥様のご指示に従うよう伺っていますので、灯りは外へ置きます」
窓と扉が開き、冷たい風が荷札を揺らす。私は送り状と荷札を並べ、毛布の荷を開く手元を見守った。倉係の手が、ふいに止まる。
「奥に、灯油の容器が……布にも染みています」
毛布の間に灯油の容器がある。漏れた油が、布に暗い染みを広げていた。鼻をつく匂い。ここは、灯りを使う布荷の置場なのに。
「濡れた布ごと分け、油の容器も点検してください。乾いた毛布とは別に置きます」
「はい! こちらへ来てください、油があるので灯りを近づけないで!」
倉係の声に、使用人たちが駆け寄った。戸口で待つ私へ、分けた品と数量が順に告げられる。
旧指図のまま一緒に収めれば、危険まで荷についてくる。私は送り状の灯油の文字へ、冷えた指を置いた。
指図を出した人も、その意図も、この紙だけでは決められない。今は、人と品が揃っているかを確かめる。
前庭に荷が分かれ、倉へ入った人たちも怪我なく戻ってきた。扉の向こうに煙は見えない。詰めていた息を、ようやく吐き出す。
「……奥様を試しました。帳面だけ渡せばお困りになるだろうと、わざと説明せずに……」
「まあ、試すなどとは困ります。ここで働く方のお名前さえ、まだ教わっていないのですよ」
倉係は鍵を握ったまま俯く。その手元を見て、私も送り状を下ろした。
「申し訳ありません。私が、皆を危ない目に……油のことも、読まずに写して……」
「次は一人で決めず、私と確かめてください。分からないところは、声にして教えてほしいのです」
言葉が、自分の胸にも引っかかる。誰にも頼まずに済むように先回りしてきたのは、私も同じだった。
倉係が倉の方へ顔を向ける。戻ってきた人が、皆揃ったと手を高く上げた。
「よかった……人も荷も無事です! 濡れた毛布も、分けて手入れできます」
「良かったです! あなたも顔を上げてください、無事だったのですから」
倉係が、おそるおそる顔を上げる。目が合うまで待ってから、私は公爵のそばへ歩み寄った。
「皆さん、無事です! 公爵様、屋敷の方を全員、ここへ呼んでいただけますか?」
「喜んで」「あいよ!」
ハイディは駆け出す。公爵が使用人棟へ家令を向かわせるのを見届け、私は倉の鍵を倉係へ返した。
「目録は、一緒に直しましょう。灯油はきちんと、灯油として記してください」
「はい、奥様。次は必ず、お呼びします!」
前庭に、台所からも庭からも人が集まる。ハイディは使用人の子供たちまで連れて戻ってきた。石畳に重なる足音へ、別の声が割り込む。
「さあ、確認は済んだんだろう。こちらの馬車へ、さっさと荷を積ませろ」
「お姉様、皆が集まったのなら、すぐに運べるでしょう?」
フィリベルトと義妹が、搬出を指図する。倉係が荷の前に立った。使用人たちは私へ道を空ける。
「奥様の荷ですから、奥様のお言葉で動かします」
「使用人の分際で、侯爵家に逆らうのか!」
「逆らってなどおりません。ただ、持主のお言葉をお待ちしております」
フィリベルトの、荷へ伸ばした手が止まる。義妹が袖を引いても、誰も道を空けなかった。やがて手が下がり、二人は空の馬車へ戻っていく。
「ふんっ! 覚えてなさい!」
前庭を渡ると、皆が一斉に頭を下げた。あまりに深い礼で、私からは誰の顔も見えない。せっかく、ここにいるのに。
「ありがとうございます。お辞儀はもう十分ですから、どうか顔を上げて、皆さんのお名前を聞かせてください」
最初に顔を上げた倉係が、隣の人を紹介してくれた。名を聞くたびにその顔を見て、私は本人へ礼を返す。次に困ったとき、呼びかけられるように。
その脇で、ハイディだけは最初から胸を張っている。
「みんなを呼んだの、あたしだよ! 兄上、あたしにも何か言って!」
「君まで礼を受ける側に並ぶな」
公爵が袖を引くと、少女はするりと私の隣へ滑り込んだ。
「あたしは子供だから、ここでもいいよね!?」
「はい、呼んできてくださって、ありがとうございます!」
昼過ぎ、玄関へ届け物が来る。冬の日差しが届く戸口で、家令が王宮からの呼出しを受け取った。
背後には、さっき名を教えてくれた人たちがいる。その気配を背中に感じながら、私は家令を見る。彼は皆を下がらせず、私へ向き直った。
「フィリベルト様が、王宮に『婚姻は無効』と訴えられました」




