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5. 贈り物は、丈夫な靴を

 三つ目の申し合わせは、贈りの儀――最初の贈り物である。


「何が欲しい」


 丘のベンチで、公爵様は単刀直入に聞いた。回りくどい遊びをしない方である。


「特にありません」


 わたしも単刀直入に答えた。


「宝石は」


「掃除が増えます」


「花は」


「枯れます。枯れるまで、水を替える係が要ります」


 公爵様の眉が、困った角度に曲がった。犬のお姿であれば、今ごろ耳が困っていたはずである。


「……詩集は」


「三冊持っています。どれも同じ頁で栞が止まっておりますが」


 ランドルフ様の栞である。贈った日の彼の得意げな顔まで、栞ごと挟まっている気がして、あれ以来開いていない。

 公爵様は、ふむ、と鼻を鳴らした。怒った様子はない。ただ、何かを測る目でわたしの爪先を一瞥した気がする。

 それに――欲しいものを口にして、それが手から取り上げられていくときの音を、わたしは知っている。だから先に諦めることにしている。欲しがらなければ、失望だけは確実に来ない。これはわたしの、古い古い家計のやり方である。


「……そうか」


 公爵様は、それきりその話をしなかった。


 翌朝。辻で合流したグスタフどのの背には、いつもの木箱の上に、平たい包みがふたつ増えていた。中身は教えてもらえないまま、いつもの道を歩き、丘の頂で夜明けの鐘を聞く。光がほどけ、人の姿に戻った公爵様が、ベンチの前で咳払いをひとつ。


「――贈りの儀を、申し上げる」


 グスタフどのが、包みを二つ、恭しく捧げ持ってくる。

 包みの中身は、靴だった。

 飾りのない、編み上げの散歩靴である。革は分厚いのにしなやかで、縫い目が細かく、蜜蝋と革の匂いが朝の空気に混ざる。もうひとつの包みは、頭巾つきの雨外套。留め具は、狼の頭の意匠である。


「北の革だ。水を通さん。十年は保つ」


 十年。

 ひと月の期限を生きている方が、十年先のわたしの足元の話をしている。それも、雨の日の。胸の奥のどこかで、小さな音を立てて何かの錠前が緩んだ気がして、わたしは気づかない振りをした。


「……寸法が、ぴったりです」


 履いてみて、驚いた。(あつら)えたように、ではない。誂えたのである。しかしわたしは、足の寸法を教えた覚えがない。


「なぜ、寸法を?」


「見ていた」


 公爵様は、当然のことのように言う。


「あなたの靴は右の踵から減る。それから、雨の日も歩くくせに、外套が薄い。……欲しいものを言わない人間は、観察するしかない」


 風が丘を渡って、草の匂いを運んでいく。

 観察するしかない――その一言が、静かに刺さった。欲しがらないと決めた人間の「特にありません」を、この方は嘘だと責めもせず、無欲だと褒めもせず、ただ黙って観察で追い越したのである。わたしの諦めの癖ごと、引き受けるみたいに。

 外套も羽織ってみた。肩にかかる重みが、思ったより頼もしい。守られる重さ、というものがあるのだと、初めて知る。狼の留め具は指の腹にひんやりと冷たく、頭巾の縁には銀糸がひと筋――狼の尾が外套を一周して、留め具の頭と噛み合う意匠である。北の職人は、芸が細かい。


 わたしはその場で靴を履き替えた。古い靴はグスタフどのが「お手入れして参ります」と箱に納めてくれる。新しい靴は踵が硬く、それでいて指の先は自由だった。二、三歩、歩いてみる。


 ――ああ。これは、いい靴だ。


 長く歩くことを当たり前に知っている人の、選んだ靴である。わたしの「特にありません」を、この方は「今をより魅力的に」と正しく翻訳したのだ。


 気がついたら、笑っていた。


 頬が動く感覚が、自分でも珍しい。四年間、笑いかけを二十六回と数えていた顔が、勝手に笑っている。危うく、数に入れ損ねるところだった。数えなくていい笑いは、ずいぶん久しぶりである。

 人の姿の公爵様は、数拍のあいだ黙って、それから明後日の方を向いた。


「……鐘だ。戻る」


 言い訳のように呟いて、彼は朝の光の中で犬へ戻る。――戻った、途端である。黒い巨躯の後ろで、尻尾が、ぶんぶんと風車のように回り始めた。


「尻尾が、回っておいでです」


「風だ」


「無風です」


「……そうか」


 彼は否定をやめて、明後日の方を向いた。耳が、少し倒れている。グスタフどのが、目礼だけで雄弁に語る。――殿は、お喜びです。


      ◇


 同じ頃、社交界の茶会ではこんな声が回っていたらしい。


 曰く、犬の求婚を受ける阿呆がどこにいる。


 曰く、アシュフォード家は娘を呪いに売った。


 ――父の胃薬は、この日から倍である。


      ◇


 帰り際、グスタフどのが一通の封書を掲げた。銀の封蝋に、王家の百合。


「王妃陛下より、お召しにございます。――『その娘を、茶会に』と」


 封を開くと、もう一枚、小さな添え書きが滑り落ちた。流麗な筆跡で、一行。


 ――散歩のあとで、よくってよ。


 ……王妃陛下。話が、お早い。


 顔を上げると、犬に戻った公爵様が、じっとこちらを見ていた。灰青の――いや、犬の姿でも、目の色だけは同じである。


「叔母上は、悪戯がお好きだ。……気が進まないなら」


「参ります。約束は、しておりませんが」


 封書を胸元に納めて、わたしは言った。


「明朝の散歩の折り返しで、首尾をご報告します。これは、お約束します」


 尻尾が、大きくひと振り。今日のところは、風が吹いていたことにして差し上げよう――。

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