第130話 終の住処
紀伊国の新役所の建設の話が進んでいく慌ただしさにある頃、少しの時間を見つけて藤原道長はようやっと藤式部からの原本返還の報告の書簡に目を通すことができました。右大臣から口頭の報告は受けていたものの、やはり自分も知っておくべき重要書類なのです。
特に問題もなく、受け渡しは和やかなうちに行われた、と言うことを、書状は淡々と綴っていました。そして改めて、今は任を解かれて久しい元従者たちを呼び、村の様子など直々に話を聞きました。もちろん、すでにそれも右大臣の報告の中にはあったのですが。
それならば良かった。百年にわたる積み残しが片付いた───。
道長は帝の願われる通り、この代で片付けられたことにほっとしていました。
しかし、なぜ、式部は村に残ったのか・・・?
従者たちは、村のことを探るおつもりのようですと言います。
しかし、道長には式部がそんな忍びのようなことを思い立つとも思えないのです。
今、道長は月明かりの下、二通目となる式部からの私信を開いていました。
・・・伝説の村を終の住処としたい・・・?
一体、何を考えておるのだ?
───村の方々は本当にお優しく、親切で、
共の者たちにも何くれとなくお手をかけてくださいます。
本当に、記録にある通りの村でございます。
このような方々と京が戦に及んだなどとは到底信じられぬ思いでございます。
村の景色や人々の様子を眺めるにつけ、
ここなれば、余生を心の赴くままに過ごし、
また新たな物語の着想も生まれようかという予感すら致します・・・
さぎりが一人、当分の世話役として残ってくれましたゆえ、
いずれそんな物語ができました折りには、さぎりに持たせようかとも存じます・・・
誠に、この地にえも言われぬ懐かしさのようなものを感じるのでございます。
まるで故郷に帰ったかのような───
見も知らぬ土地に何の思い入れがあると言うのだ?
───『伝説の村に行った者は決して戻ってこない』───
従者たちは戻ってきた。彼らの中にも残りたいと思った者はいたのであろうか?
しかし、帰ってきて、今も京にいる以上、そこを正直に話す者もいないのではないか・・・?
自らの思いよりも職務を優先したか・・・しかし、それは宮仕えならば至極当然のことであろう。
式部はこれを最後に宮中を離れる身ではあった。
───帰って来ずとも良い。気に入った土地があらば───
道長は後悔しました。それはそこに住まうこと自体が内裏からの褒賞でもあったのです。
だが、勝手にそんな所に落ち着かれたのでは、褒賞も何もないではないか───。
道長は、余生を心置きなく過ごせるよう、家屋敷と下女下人と生活の保証をひとまとめで式部に与えるつもりだったのです。
そしてそれは今後も個人的に式部と交流を持ちたいと思ってのことでした。てっきり、山科あたりか、近場に構えてくれるものと思っていたのに。
当てが外れた・・・まさか、『伝説の村』が気に入ろうとは・・・。
この『返還』の使命は、退職した式部をそんな位置に置く願ってもない機会でもあったのです。堂々と、一介の宮仕え女房に家屋敷を与えられる・・・もちろん、それは内裏の会議でも認められ、そのための予算も立てられていたのです。何といっても数代にわたる帝の『勅命』を果たすのですから。今、立派にやりおおせたのに、その予算の持って行き場もなくなってしまう事態なのです。
まさか、今度は『伝説の村』へ藤式部を取り返しに行く羽目にでもなるのか・・・?
・・・しかし、さぎりと式部がそこにいて、従者たちも無事に戻ってきたからには、人をやって書簡のやり取りぐらいはできそうだ・・・。そのうちには説得もできるやも知れぬ・・・。
色々考えるうちにそう思えてきたのが、道長にとっては救いでした。
さぎりがただ一人で戻ってくるまでは───。
道長は中天に輝く満月を見上げました。
「この同じ月を、藤式部はかの村で、今こうして眺めておるのじゃろうか・・・」
今、道長の手元には、そのさぎりが持ち帰った二冊の、藤式部による、かの桃太郎や村から聞き取ったことを素材にしたという新たな物語が置かれていました。そして、それに添えられた三通目の私信───。
さぎりも直々に訴えてきました。どうか、あの村はあのままお忘れくださいますよう───。
そして、
───おそらく、これが最後の文となりましょう───
さぎりが言うのと同じようなことをさらに情熱を持って書き記してきた式部の私信の最後の行に認められた言葉。そして、
これからも亡き帝のご遺志を受け継がれていかれますよう───できますならば、未来永劫に───
そればかりが切々と綴られている───。
道長は再び、煌々と照らす満月を見上げました。
・・・村を忘れる・・・
そればかりは、たとえ自分や今の帝や内裏が村を黙殺したとしても、それから後は、時の流れに任せるしかない。
そして、それが許されなくなった時、藤式部がそんな世を見ないで済めば良いのだが───。
村を出て一年とたたないうちに、さぎりは村へ戻っていました。まわりには諸国を巡る、と言いながら、紀伊国の新しい役所にだけ立ち寄り───元の土地と白浜の村があった場所は結界を張ったままにしてあり、立ち入りを禁じられていました───あとはただここを目指したのです。さぎりにとっては賊にやられ、多数の死者を出したこの紀伊国が、京のある世界との訣別の区切りの領域でした───ある意味、それ自体が『結界』とも言えるかもしれません。今、その結界を越えてこの領域へと踏み込んだのです。この領域の者となるために。
両親にも兄弟にも、戻るつもりはないことは言ってないのです。申し訳ないとばかり思うのですが、行き先など言うことはできません。ただ役所の建設現場にいるときに、二度ほど家に文を送っただけです。ただ、元気で手伝いをしている、とだけ。現場を去ったあと、家から届いたかもしれない返事には、渡す相手もなく、梨の礫になるのでしょう。ただただ、行方知れずとなることを何も聞かずに許してもらうしかないのです。我が儘な、最低な娘かもしれません。しかし、この想いは、そんな個人的な感傷に代えられるものではない───。
村が近づくにつれて、そんな思いが増幅していきます。そのままにある、とびすけの墓の前を通り過ぎる時、またちょっと手を合わせ・・・
紫式部も村人たちも驚いてさぎりを迎えました。
式部は今は桃太郎の家からも出て、ちょうど空いていた家を大工たちが新築同様に修繕してくれたので、悠々自適に一人で暮らしていました。保存会は芝居好きの集まりとなって『竹の会』と名付けられ日々忙しく活動しています。タケの物語をつないでいくのはもちろんのことなのですが、自分たちでも物語を作り、タケのように、あるいは何人かで役柄を決めてそれを演じる、という形が紫式部が加わることではっきりしたようです。が、その参加も別に自分の気分次第で決して求められるものではないのです。もちろん、式部はこの村に来て以来、体が不調になることもないので、毎日のように、たとえ誰も出てきていなくても文庫の活動場所には通っていました。そして好きなことや物語の続きなどを書き散らして過ごすのです。参加する人たちがいれば、一気におしゃべりの会のようになってしまいます。それでも『会』としての成果物は着々と出来上がっていきます。薬草庭園の舞台を目指して。式部は自分ではとても『役者』はできないので、脚本や舞台監督のような役割りを中心に楽しんでいます。みんな、同じ『好きなこと』に熱中する仲間なのです。他には何も煩わされることはありません。まさに、心の平安を謳歌できる世界───。
生活の中では京や実家での暮らしのように下男下女と呼べるような、身のまわりの世話をしてくれるような人はいません。この村では誰も誰かの下につくようなことはないのです。
村人たちはさぎりのことももう『客人』のような扱いはしてくれませんでした。再び戻ってきて「ここにいる」と言うからにはそれだけの覚悟があってのことだろう・・・。
それは『村人』として受け入れられた、ということでもあるのです。
とはいえ、とりあえずさぎりは式部の家に転がり込みました。「しばらくはおそばにお仕え申します」と。しかし、それは許されることではありません。式部は言いました。
「いいこと? 私はもう『式部』ではありません。ここではあのまま『むらさき』と呼ばれているので、あなたにもそう呼んでほしい。ここでは誰もがただの『人』です。私もあなたも。だから、前のように私のそばに侍ろうなんて思わないこと。そして、あなたもできるだけ早く大工さんたちにお頼みして家を見繕ってもらい、自分で暮らしてください」
優しい口調でしたが、ここには京にはない、別の『厳しさ』があるようです。もちろん、家族でなくても仲間同士何人かで寄り集まって一つの大きな家に住んでいる者たちもいます。それは人それぞれですが、式部───むらさきは、京での関係から離れるためにも、さぎりと一緒に住むことは良しとしませんでした。自分たちだけ上下の関係を持ち込むことなど許されないのです。いずれ本当に村人として溶け込んだら、さぎりにも一緒に暮らすような相手や仲間も見つかることでしょう。むしろ、そうなる方がいいのです。
もう、『式部様』と呼べないのか・・・。
さぎりは式部様の顔を見て、村の人たちと同じように『むらさきさん』と呼ぶことにそんなにすぐに馴染めるだろうかと不安になりました。武人としての在り方を叩き込まれているさぎりは、式部様からの通告に、まるで自分が何かから突き放されたような感覚に陥ってしまったのです。
それでも、自分自身を鼓舞します。
それならば一人の人ではなく、全ての村人に仕える気持ちになるのは構わないのではないか?と。
手放したくない何かに縋り付くかのように───。
転がり込んだその夜から、さぎりは「むらさきさん」と呼ぶことを強要され、言葉遣いも同僚に対するように、いちいち訂正されることになりました。さぎりにとって『京』と訣別するに際しての、第一の関門となったようです。




