おわりに
私は、ここで筆をおこうと思う。
これまで書き記したものは、ウンコ酋長から学んだことの、ほんの一部だ。
書き残したものは、まだ沢山ある。
だが、これで大体のことは伝わったと思うし、これ以上のことは誰も望んでいないだろう。
尊敬する人をウンコと呼ぶことに、不謹慎だと感じる読者もいると思う。
たしかにその通りだ。
しかし、どうか安心して欲しい。
この呼称は、ドン・フン・ミエルダ師の了解済である。
師は喜んで許してくれた。
「知るものは言わず、言うものは知らず」と老子は言った。
私は自分が人より知っているとは思わない。むしろ劣ると思う。
それでも、この場で教訓じみたことを述べたのは、それが意味を持つと思ったと同時に、人間の可能性を信じたからだ。
人間は、いくつになっても成長できるし、人間の心は、いくつになっても若返ることができる。
私は、そう信じる。
酋長の言葉には、賛否があるだろうと認識している。
大人になればなるほど、受け入れづらい金言だ。
それでも、もし、あなたに何か少しでも得るものがあったとしたら、私はとても嬉しい。
なぜなら、あなたも、忘れた心を取り戻した私と同じように、たった一度きりの人生を、もっと謳歌できる可能性を得たのだから。
私は祈る。
あなたの人生に、幸ウンあらんことを。
最後に。
その後、集落で出会った栗毛の美少女は、カリフォルニアで母親と再会した。彼女には弟ができていた。
そして彼女は今、私のヨメとして、日本で楽しく暮らしている。
彼女は、どうやって集落を出たかって?
その話は、また別の機会に……
このネーミングセンスの欠片もないタイトルの拙作を、最後までお読みくださり、ありがとうございます。
また、感想や評価をしてくださった方に、心より感謝いたします。