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『カエデ』①:前編

 ジャックは真っ暗なポッドの中に横たわっている。ポッドは『植木鉢(バイタルフレーム)』を抜け、順調にその航路を進めていた。

 『カエデ』の支配域である『森』に入ったのだろう、『機能』は『監視塔(ウォッチタワー)』から切断される。彼の脳にはつかの間の静けさが訪れる。ジャックはこの瞬間が好きだった。ほかの誰でもなく、ただ自分であるという感覚よみがえるこの瞬間が。この時だけは、彼は父から受け継いだ『伐採者』という『命題』からも、『監視塔(ウォッチタワー)』からも自由になれた。


 今や父親も弟もなく、友人も恋人もいない孤独な若者にとって、『伐採者』という立場は、彼にとっては持ちたくもない、見ず知らずの他人の命がみっしりと入ったカバンを預けられるのと同義だった。


「クソ迷惑な『命題』を押し付けていきやがった」


 彼はしばしば、記憶の中の父親に悪態をついた。弟のジョンの死に目にも顔を出さず、不意に世界から姿を消した彼は、肉体に刻まれた二重らせんの遺伝情報を除けば、彼にとっては他人以下の存在だ。


 しかし彼は、自分が命題を果たさぬことによって他人が『漂白樹』の脅威にさらされることは重々理解していた。自身の不手際によって他人の命が脅かされるのは、彼に言わせると「夢見が悪くなる」ことだった。


 そのために彼は今日も『命題』に縛られる自身に歯噛みしつつも、その立場を甘受していた。つまるところ、彼は律儀な青年だった。


 『(ルートライン)』は『植木鉢(バイタルフレーム)』の外—『漂白域』に出る唯一の手段である。

 『漂白樹』の侵食は地下にも及ぶ。びっしりと張り巡らされた太い根は地球の全土を覆っている。しかし、『伐採者(ランバージャック)』により『樹』が死ぬと、その根は空洞になる。『(ルートライン)』とはそれらを無数につなぎ合わせ、目的地までの即席の路線のことだ。

 そして『根』の敷設は『斥候(スカウト)』の最重要任務の一つでもあった。

 『斥候』は『伐採者』のために、『森』深部に到達し、『根』に利用可能な脈を探り当てる。『伐採者』の任務は必要最低限の装備による短期決戦。すなわち、『斥候』の進度が深ければ深いほど、『伐採者』のリスクは低下する。


 『植木鉢』を抜けた今、ジャックは到着地点を『機能』に保存したマップで確認する。『植木鉢』を脱した今、『監視塔』からのリアルタイム情報を受け取ることはできなくなっている。

 スパイクは『森』の9割近くを走破したうえで『根』を設置した。彼の手腕に改めて舌を巻く。

 それだけに、彼の警告が頭から離れない。


 「来るな、か」

 疑念と薄気味悪さを振り払うために、ジャックは『機能』のライブラリからある一冊の本を呼び出した。

「転轍機」という題を与えられた短編集は、マルンという男によって書かれたものだった。『植木鉢(バイタルフレーム)』内で提供される物語の数は多くない。『小説家』がそもそも少ないのだ。精神的なストレスの解消のみに焦点を当てられたためか、その多くが娯楽的な活劇に占められている。

 マルンが著した短編集も、収録された7つの短編のうち、6つがそのような性質のものだった。

しかし、七番目に収録された表題と同じ名前の「転轍機」という短編だけは違った。一口にいうと、それはそれは退屈な小説だった。

 旧暦人の男が列車の進む方向を次々に決めて行くだけだ。何を書きたいのかまるで分からない。

 しかしジャックはその短編だけを繰り返し『機能』を通じて頭の中で読んだ。味のしないガムを延々とかみ続けるような作業だったが、彼が『伐採者』として一人前となるころには、一つのルーティンと化していた。

 彼は自分でもその小説を選んだ理由はよくわかっていなかった。

 見慣れた文字列が変わらない退屈さのまま、彼の視界に流れ出す。


※※※

 ―走る列車の中で、決断を迫られている男がいた。数キロメートル先に待ち構えているのは、一つの転轍機であった。後一分もしないうちに、男は右か左かどちらかを選択しなければならなかった。どちらを選ぶのが正解かは彼が知る由もないことだ。選んだ先に線路が続いているのかどうかさえも定かではない。もしかすると崩れた橋桁につながっているかもしれないし、うっそうとした森林に線路が覆われているかもしれない。

 しかしここで列車を止めることは、唯一明確な過ちだった。奇妙なことだが、唯一明確な過ちが示されていたために、彼はそれ以外の選択であれば有能な独裁者のように何でも決めることができた。

 そのような全能感は男のそれまでの人生で味わったことないものだったから、彼は背後に迫る怪物に感謝さえした。

 列車のすぐ後ろに迫っている怪物は一目見ればわかるような具体的な脅威をそのまま形にしたような姿をしていた。スピードを落としたが最後、短い列車は男ごとその顎の中でつまらない鉄くずのようになってしまうことは誰が見ても―列車に乗り合わせているのはその男一人だけだったのだが―一目瞭然であった。

 分岐が迫っている。男は毛ほども迷わず列車の中の遠隔操作機から転轍機に、「右」に進路を切った―。

※※※

 「()」?彼はここで「左」に切るはずだ。

 

 ふと沸いた疑問をさえぎるようにして、ポッドからの自動音声が流れる。

『まもなく射出口に到達します。射出に伴う強いGに備えてください。』

 ジャックは襲い来るだろうGに備えて身を固くする。ポッドが上方に加速する。身体の上に人ではない何かの手による圧力を感じる。

『まもなく最高度に到達します。『翼果』の展開後、「樹」の位置を確認してください。』

 ポッドに内蔵された音声が、まもなく展開の段階に入ることをジャックの鼓膜に告げている。

『3.2.1.展開』


 地上300m、ジャックの視界が一気に白転(・・)する。彼の眼下に広がるのは、一面の銀世界である。彼ポッドの外皮は彼の頭上での羽のように変形した。落下の風圧を受けながら回転し、速度を減衰させている。パラシュートほどの減衰効果はむしろ必要なかった。『森』の大まかな地形を把握し、『森』からの攻撃を最低限に抑え、かつ『樹』までの最短距離を把握するには、『高度からの視点』と『一定以上の突入速度』、これら二つが絶対条件であった。


 ジャックは自らのポッドが射出されたと思しき穴をはるか下方の地表に確認した。『斥候』であるスパイクが設定してくれた『根』の射出口である。

―スパイクは無事に脱出できただろうか。

 『伐採者』の現地到着を以って『斥候』の任は解除される。すべてが順調であれば、彼も今頃『根』を通って脱出しているはずだった。

監視塔(ウォッチタワー)』の事前情報通り、訳20㎞ほど先に30mほどの高さとみられる『樹』が見えた。根元から放射状に広がるその樹形から判断しても、「カエデ」とみて間違いないだろう。

 全て事前情報通りだ。

「全てうまくいっている」ジャックは独り言ちた。


―「来るな」

―男は「右」に進路を切った。


 スパイクのバリトンの澄んだ声と、小説の語りがジャックの脳に去来する。『機能』によるものではない。無意識による反復(リフレイン)だった。


 『翼果』のプロペラによる減速効果があり、ジャックの身体が頑丈であるとはいえ、ほぼ墜落と表現して差し支えのないほどの着地だ。本来その衝撃が彼を無傷で返すことはない。漂白された地上までの距離が残り100mを切り、ジャックは防護服のエアバッグを展開した。マットブラックの防護服はタイトな作りながら接地面に反応しながら効果的に膨張、衝撃を吸収し、彼の身を守った。


 ゴロゴロと転がるように着地したジャックは、先ほど目視で確認した地形と目の前の景色を素早く照合すると、『樹』への最短距離を全速力で走り始めた。『森』がジャックの―『伐採者』の侵入に気づく前に、『樹』にたどり着かなければならない。

 その250m後方に植え付けられた、『斥候』の両腕と、砕かれた丸鋸には気づかないまま走り去る。もはや風に揺れることもないその手首は、見つけてもらえなかった寂しさにうなだれているようだった。


―分岐が迫っている。


▼▼▼


 彼が下草を踏みしだく音は、森の環境音に簡単にかき消される。鳥の鳴き声や羽ばたき、枝葉の揺れ擦れる音、時折がさりと響く獣の足音。しゃりしゃりと草木をかじる虫の咀嚼音まで、森という単語から連想できるものすべてが、森を走るジャックの耳に届いている。

 地球は青かった、と、最初に宇宙へ到達した旧暦人の一人は語ったそうだ。彼は一体何を思ってそんな言葉を口にしたのか、青年は駆けながら想像した。


 母星を自らの掌の上に収めることができた満足感か?それとも純粋に、美しさへの賛美か?


 いや、と青年は否定する。

 ―地球の発する鮮やかな青がいくら美しかろうとも、周りが等しく暗黒であるならばそれは『孤独』だ。その旧暦人は、つい先日までこれ以上なく確固たるものとして足元に踏みしめていた母星が、暗い海を孤独に航行する船の一つに過ぎなかったと実感したはずだ。


 その絶望感に、青年はぞくりと身を震わせた。思考から眼前の目標に意識を戻す。

 ―まぁそれに比べれば目の前の景色は、


「及第点かな」


 一面に広がる白い森は、そのすべてが例外なく「白」で構成されていた。生い茂る樹木、その間を縫って歩く獣、葉の裏に潜む虫に至るまでがあまりに平凡な、ともすれば模範的であるとすらいえる風景。しかし純白と表現するにはあまりによそよそしい、色素を奪われてしまったかのような白がそこにはあった。

 青年は常軌を逸した風景にひるむこともなく走り続ける。なぜなら、この白い森は彼にとって日常生活の、『命題』の一部であったから。

 そして、ある一線で立ち止まった。

 不自然に脱色された森林の中にあって、なお不自然極まる空白があった。草木一本すら生えていないつるりとしたサークル。

 その中心には、直径5mはあろうかという巨樹―いうまでもなく真白に脱色されていた―が立っていた。扇子のように開いた樹形のふちを形作る葉の一枚一枚は、手のひらを開いたような形でそよいでいる。大樹の立ち姿には、己の不自然さこそが自らの在り方であると主張するかのような厚かましささえ感じられた。


「『カエデ』か」


 事前情報通り。何も問題はない。

 青年が迷いを見せることはなかった。サークルに一歩踏み出す。その足が地に着くか否かというところで―。


 『森』は総毛だった。


 餌を探し森を闊歩する獣が、花をつつく小鳥が、葉の裏に潜む虫が、風にそよぐだけの枝葉までも。そのすべてが、無遠慮極まりない闖入者に瞼を開き、ぎょろりと目を向けたように青年には感じられた。

 森はその『視線』をそのままなぞるように、青年へ文字通り凝集した。


 肉食獣が草食獣の首元にかみつくためにとびかかるのとも、鳥が魚をめがけて急降下するのとも違う。白血球が抗原を除去するのと同じく機械的だが、しかし全力を以ってただ異物を除去する、そのためだけの動きだった。


 しかしてその首魁である巨樹は何の反応も示すことなく、いまだふてぶてしく中央に鎮座している。

 つい先ほどまで各々が自由な生を謳歌していたかのように見えた動物たちは、水平方向に猛進する雪崩となっていた。防護服を除けば丸腰の青年は、三秒もすればあえなくその白い奔流に飲み込まれるはずだ。

 そう、丸腰であれば。


 彼は腰部のホルダーから、左手でくすんだ黒色の物体を抜いた。20㎝ほどの長さに先端が鋭くとがっている。一本の杭のようでもあり、弾丸のようでもあった。ジャックはその物体を『(シード)』と呼んでいた。

 

 眼前に迫る白い波濤に臆することなく、自身の右腕に『種』を突き立て、青年は一言呟く。


「来い、『ヤドリギ』」


『ヤドリギ』と呼ばれたものの『種』が右腕に沈み込むように吸い込まれる。

 彼はこの時、いつもある光景を幻視する。

 青年の脳の中心に、『種』がその根を下ろしていく。そこに在る「何か」を根はちゅうちゅうと吸い上げて、せっせと形作るのだ。

 ーこの「何か」はなんだろう?

 ジャックは考える。彼には何もなかった。家族も友人も恋人もなく、あるものは父親から受け継いだこの『命題』のみだ。


 ―空っぽのはずの俺から、何か吸い上げるほどのものがあるのだろうか?


 あるとき、質問された『監視塔(ウォッチタワー)』はこういった。

『▼あなたの便宜的なイメージで、特に意味はありません』と。

 そうなのだろう、と、彼も便宜的に納得した。

 ただ、死ぬのだけはごめんだ。怖くはないが、絶対に嫌だ。

 ―なぜ、こんなに死ぬのが嫌なのだろうか?


 彼の思考を切断するように、『種』は『発芽』した。

 『木こりのジャック(ランバージャック)』の手には、二振りの漆黒の手斧が握られていた。


「仕事の時間だ」

簡単な用語解説(用語:ルビ)


『根:ルートライン』:『伐採者』が現場へ急行するためのポッド及びその路線となるトンネルの総称。




『斥候:スカウト』:『伐採者』に先行して『樹』の調査及び『根』の設置を行う者。

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― 新着の感想 ―
たびたび失礼します。 とても読みやすく世界観が好きで、密な文章は素晴らしいですね。 ささやかながら評価の星を5つ入れさせていただきました。 応援しております。
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