断章:『被害者』
『ゆレてる、ねぇ』
「ああ、揺れているね」
ぶらりぶらりと揺れている。漕ぎ手を失ったブランコのように、今にも消えかけているろうそくの炎のように。
もちろんそれはあくまで比喩であって、本来はそこまで穏やかな風景とはいいがたい。しかし、「それ」はどこか感慨深げに感想を傍らの男に述べ、呼応するように手を振るのだった。
両腕が、ぶらぶらと揺れていた。肩関節からきれいにちぎり取られた一対は、本来の主を失って足元の雪原に「植え付け」られていた。「それ」には、風に吹かれるたびに揺れる手首から先が、どこか手を振っているように見えたのだろう。
—おーい、おーい。僕らのくっついていた両肩を知りませんか。僕らを勝手に置いて行ってしまったようなのです。
『こマってル、ね』
「それ」は、男に解釈を提示する。
男は深緑の背広にガスマスクという奇妙ないでたちをしていた。左腕からは細い管のようなものが伸び、それは彼の左肩のボンベに接続されていた。胸元には翡翠のブローチが輝いている。
男は「それ」の解釈に、ひとまずは真剣に向き合ってみたようだった。男が答える。
「...どうだろう。色んな解釈ができるけどね。否定することはできないけど、君の解釈は少し人とは違っているかもしれないね」
『ち、血、千…みンナと、ちがう?』
「あ、しまった」鍋に入れる塩の分量を小さじ一杯間違えてしまった、というような軽い口調だった。
『あ唖ぁア阿あ!!!』
癇癪を起した「それ」は、足元に落ちていた真っ黒な何かを地団駄で踏みつぶした。
巨大な丸鋸の形をしていたそれは、粉みじんにはじけ飛んで、アイスクリームに入ったチョコチップのように真白な森の地面に散布された。
周囲の一通りを破壊してしまうと、「それ」は機嫌を直してまた自分が植えた腕を眺める作業に戻った。男はやれやれというように首を振って、左腕を一振りすると、管からもくもくと銀灰色の霧が舞い起こった。
「じゃ、頼んだよ」
彼はそうひとこと言い残し、ゆらりと霧の中に消えた。
「それ」は両腕を眺めてはしばらくぶつぶつといっていたが、男がいなくなったことにようやく気付いたのか、立ち上がると、ぐちゃりと形を崩して消えていった。
後には漂白されたように真っ白な森と、持ち主を失った両腕が残された。
―おーい、おーい。
植え付けられた腕は、誰もいなくなった後も、風に手首を揺らし続けていた。誰かを呼んでいるのか、それとも拒んでいるのか。
「来るな」と。




