『眼』
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東居住区外縁に立つユズリハまで、『イチョウ』倒壊に伴った爆音が届く。数十秒遅れて、猛烈な風が彼女の体を打った。巨大な空気の塊に押し流されるようにして、軽々とがれきが空を舞っている。わずかな油断が命取りとなるこの状況にあって、彼女は快哉を叫んだ。
「やった、『イチョウ』が!」
—あんた達と一緒に戦って、あたしがあたしを認めるチャンスなの。
『庭師』の少年たちへ向けた決意を振り返る。非戦闘員である自分が、彼らの反対を押し切ってまで、この戦場へやってきた理由の一つ。
「私も、少しぐらいは役に立ったでしょ」
べちゃり。
ごうごうと傍らを吹き抜ける暴風に乗って、控えめに自賛するユズリハの傍らに白い何かが不時着した。見覚えのある「それ」は、脚と思しき突起を支えに立ち上がる。暴風に吹き飛ばされる段階で「それ」からは腕が欠損している。
「『ムスペル』、ううん」
『監視塔』から与えられた識別名よりも、もっと耳なじみのある呼び名が、目の前の「それ」にはあったはずだった。
「ゅ、ゆ」
真っ白な胴体の頂部に形作られたいびつな裂けめから、「それ」が声を発するのを、ユズリハはうつむいて聞いていた。
—そう、分かってたんだから。
「ゆ、ずり—ハ」
眼前の裂け目から自身の名前が漏れ出てくるさまは、弱冠十三歳の少女には受け入れがたいものだった。しかし、覚悟は決めていた。
「お母さん」
—伝えてあげなくちゃ。私はちゃんと生きてるって
顔をあげ、目の前の現実をしかと見つめる。夕日のように紅い頭髪が揺れた。舞い上がる砂塵や煤にまみれてなお、その鮮やかさは失われていなかった。
「—aa」
いびつな急ごしらえの口蓋を筋力に任せて開き、『ムスペル』と呼ばれたそれは叫んだ。愛娘を目にした歓喜の声のようにも、自らの醜さを嘆くようにも聞こえる声は、まさに絶叫だった。
その叫びは、離れた複製元の意識すら塗りつぶし始める。
「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
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「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
倒壊した『イチョウ』の下にも、同じ叫びが響いていた。
重傷を負ったローレルを小脇に抱える『木こりのジャック』が振り向いた理由は、大気をびりびりと震わせる、強烈な音量のためだけではない。
『怒り』の声に酷似していたからだ。
『カエデ』の森に現れた無貌の巨人が発し、自身の右腕に血液のように流れる『怒り』の声。『植木鉢』の内外で違いこそあれど、韻を踏むような状況の相似性に、『木こりのジャック(ランバージャック)』はあのガスマスクの怪人の存在を感じずにはいられなかった。彼は『ムスペル』に相対する大鎌を手にした少年に向けて声をかける。
「おい、久しぶりだな死神気取りさんよ!」
その声に『庭師』の少年はゆっくりと振り返った。彼の眼窩に花開く純白のアネモネを目にして、『木こりのジャック』は唇をかみ苦々し気に言った。
「てめえもか、クソガキ」
「数日ぶりだね、—ジャックさん。お互い元気そうで何より」
「その『眼』—あの女に会ったな」
「うん。それに少しだけ、教えてもらったよ」
『木こりのジャック』は眉間に作ったしわを一段と深くした。
「—どこまで知った」
「あとにしよう。まずはそのおじさんを安全なところまで。僕は、ここでの役目をまだ果たしてない」
『庭師のジャック(ジャック・ザ・リーパー)』が『ムスペル』に向き直るのを合図としたように、その純白の体から異音が湧き始めた。
ぐちゃり、ぐちゃり。ぐちゃ、ぐちゃ、ぼこぼこぼこぼこ。
のけぞった身体からは這いだすように無数の複製体が顔をのぞかせる。
「ユズリハ」
「ユズリハ」
「ユズリハ」
それらは皆、異口同音に、一つの名前を叫んでいた。
「ジャックさん、早く!」
「分かってるよ! だが無茶だけはするな、てめえの相棒が首を長くして待ってるんだからな!」
去り際の『木こりのジャック』の言葉に、ジャックは苦笑した。
「無茶を押し付けてくるのは、いつもその相棒だよ」
そして目の前の爆発的に増殖を開始した『ムスペル』に向かい、両手を広げて言う。
「師匠、僕は『庭師』になったよ。自分で決めたんだ。初めて出会った日に、あなたが言ってくれたように」
「ユズリハ」
「ユズリハ」
「ユズリハ」
ジャックの言葉に反応を返すことなく、際限なくわき出す『ムスペル』の複製体はただ愛娘の名前だけをうわごとのように吐き出し続けている。生み出された複製体達はもはや人型とはいえない異形へと姿を変えていた。胴体からは枝のように多節の触腕が伸び、抱きしめるものを探すようにわらわらと空を切っている。
いまや本体のシルエットは爆発的な増殖に呑まれもはや視認することもかなわない。
「薄々感づいていた通り僕はやっぱり人殺しで、この鋭くって幅広の鎌は人を斬り殺すのにぴったりだ」
膨れ上がる純白の肉塊を前にして、右目を抑えながらジャックは続けた。まるで自身の眼窩に住み着いた純白のアネモネが、自らの罪の証であるとでもいうように。
「でも—例え過去に僕がどこで何をしたとしても、今、僕は『庭師』だ」
鎌を握る手を握りしめる。
「そして例えどんな形だろうと、これは僕の力だ」
ある一つの臨界点を超えたかのように、生み出された無数の『ムスペル』は四方八方へ崩れ落ちながら進撃を開始した。その様はまさに純白の波濤だった。たった一人の恐怖から生み出されたそれらは、ただ一つの目的を果たすために進んでいた。
すなわち、愛娘をその腕の中に抱きかかえること。
痛ましいその進撃を見届けるために、そして終止符を打つために、ジャックは隠していた右目をあらわにした。
「やるよ—『眼』」
ジャックの声を皮切りに、右目のアネモネから花弁がひとひら落ちる。
「ねえ、師匠。僕らのことも、わすれないでよ」
純白の花弁が地面に触れる。
次の瞬間、ジャックの視界の右半分は、切り取られたように上空へとその視界を移していた。東居住区で起こっている何もかもが目に映る。
初めての体験だった。ジャックは「意識を飛ばしたような」とか「眼が飛んでいるような」といった表現を何とか探そうとしたが、どれもしっくりこない。
強いて表すならば空中に見えない縄でつるされているようだった。
『ムスペル』の複製体に対峙するユズリハの姿が、高性能なレンズにズームされるように、一つの視界の中に現れた。
焦りはなかった。彼が与えられたものはどこまでも伸び、何かをつかむことができる『腕』ではない。ただ見るだけの『眼』。
できることは限られているが、やるべきことを成すには十分だった。
—複製元を探すんだ。
白い波濤の中、ある一点で『眼』の走査が停止する。
波濤の中心部、うずくまる無貌の人型を『眼』がとらえたのだ。その純白の体には、核のように人間の頭部が植えこまれていた。
「見つけた」
ジャックは意識をつるされた上空から地上へ戻した。
—一体一体切り倒しているようじゃらちが明かない。少しでも密度が薄いルートを、最短距離で突っ切るんだ。
大鎌を前方に構え、大きく身を沈ませる。足腰にばねをため、一気に解放する。
ただ目の前に現れた障害物は、全て切り払う。
やがて当然の帰結のように現れた『ムスペル』、その大元に鎌を振りあげ、ジャックはつぶやいた。
「———。」
植えこまれた頭部ごと両断された『ムスペル』は、その言葉には何も答えることもなく、地面に溶けるように消えてゆく。母体に足並みをそろえるように、生み出された無数の複製体も、その姿をぐずぐずと崩していった。
『イチョウ』は伐採され、『火の巨人』は消えた。
『庭師のジャック』は、一人で立っていた。




