『希望』
旅行やら他の短編やらを書いていたので一週間ぶりの投稿になります。
「繰り返されている? 僕が殺した? 僕の父親を? 僕に父親はいない。僕の家族は—」
『庭師』の少年の表情は動かない。しかし、否定する言葉とは裏腹に、額と握りしめた拳にはじんわりと汗がにじみはじめている。記憶が反復する。
—既に十五万人を殺した『伐採者』。
—『監視塔』が読み取ってしまった、この世界にいないはずの人間の生体情報。
—『監視塔』を疑うな。
全容は見えない。しかし、戦いによって押しやられていた記憶の断片は、うぞうぞとひとりでにその触腕を伸ばし始め、空いた腕で少女の言葉をくいくいと指し示している。
—この世界は既に十一回繰り返している。
少女の言葉が畳みかけられる。
「言ったでしょう、あんたは記憶を失っているだけ」
「—僕の家族は彼らだけだ!」
ジャックの叫びに少女はすげない答えを返した。
「確かにごめんだわ、あの男が家族だなんて。でも私が言っているのは血縁の話。—いいえ、魂の縁と言った方がより正確かしら」
「—?」
訂正するように付け加えられた言葉へのジャックのけげんな様子を感じ取ったのか、少女は手をひらひらと振って話を切り上げた。
「話してあげられるのはここまで。これは冥途の土産よ、ジャック。人殺し(リッパー)としての役割を終えたあんたに教えてあげられる最大限。これ以上は、聞いたところですっきりするわけもない。知ったところで納得するわけでもない。これ以上の損な役回りはね、『腕』を受け継いだあの木こり(ランバージャック)に任せておけばいいのよ。あんたがこれ以上苦しむ必要は微塵もないってわけ」
ジャックは推し量るように少女の深紅の瞳を見据えた。皮肉交じりの口調ではあるが、彼女の言葉に嘘はないようだった。
暫し後に、ジャックは短く口を開いた。
「そのうえで、もう一度お願い。—僕をあそこに戻して」
「—話聞いてた?」
少女の声のトーンが低くなる。呆れと微量ないら立ちが声の主成分だった。
「もちろん、はっきりとね。そして理解した。どうやらこの世界の成り立ちが僕の想像を超えてろくでもないらしいことも、お姉さんが親切心から話してくれていることも」
「賢いのね、そしておバカさんね。無理って言ったでしょう。あんたはいっぱいいっぱいだって。あの木こりが息を吹き返せたのは、あいつが目覚めた強い『怒り』に、『右腕』が起動したから」
少女は続けた。
「『植木鉢』の人間の脳にかけられた四つの鍵、怒り、恐怖、憧憬、そして殺意。あんたの脳には、その右目に移植した『眼』を起動するために必要な鍵が残ってない。なぜなら前の—十一週目の世界ですべて解錠されているから」
ジャックは深呼吸をして、少女に問いかけた。
「—じゃあ、僕に手段はもう残されていない」
「そういうこと。分かったなら、早いとこ逝った方が身の為ね。ここにいても何も変わらない。ただあなたの家族が死んでいくのを目にしているだけだし」
少女はそっけなく言い放つと、部屋の隅を指さして言った。
「出口はあそこ」
そこにはいつの間にかドアが現れていた。
「僕は死んだ」
「その通り」
少年は箇条書きを読み上げるように確かめた。少女はそれを肯定する。
「僕は父親を殺した」
「その通り。正確にはあんたをナイフとして、私が刺した」
「この世界は繰り返されている」
「その通り。びっくり仰天でしょ?」
「僕にできることは何もない」
「少し違う。あんたはすべてやり切った。私に与えられた役割を遂行し、『庭師』として多くの人々を守っていた。お疲れさま、ジャック」
ジャックはよろよろと立ち上がると、ゆっくりとドアの方向へ歩いて行った。しかしドアノブにかけたところで尋ねた。
「一つ聞きたいんだけど」
「何?」
「これからお姉さんはどうするの?」
「別に。この部屋から、この世界—十二週目の顛末をずっと見ているだけ。たまに世界に切り込みを入れては、死者に声をかける。私の力なんてそれだけのもの」
そう言って、少女は手にした深紅の枝切ばさみをくるくる回した。
「寂しくないの」
「寂しさなんて、そんなのとっくの昔に忘れちゃった」
「そう、じゃあ僕がここにいるよ」
ジャックはドアに向かう踵を返して、少女の正面の椅子に座った。少女は軽く目を見開いて彼を見つめた。
「何言ってんの?」
「僕がお姉さんと一緒にいるよ。僕にできることは何もないみたいだけど、少なくともあのドアから外に出ないことはできる」
「何で—そんなこと」
「多分、お姉さんが優しい人だから」
「—は?」
開いた口がふさがらないといった様子の少女に、ジャックは続けた。
「そうでしょ、あとは死ぬだけの僕を呼び止めて、いろいろ説明してくれた挙句にお疲れ様だなんて」
「—迷惑だって、言ったら?」
目を伏せて聞き返す少女。
「それしかできないんだったら、それでも一緒にいるよ。僕は—そんな優しい人が独りでいることが耐えられないんだと思う。お姉さんの為じゃない、多分僕自身の為なんだ。多分師匠も—僕の母親も同じことをしただろうと思う」
少女は確かめるように少年に言った。
「つらいものは全部目にすることになるの。家族も、それ以外の死も全部」
「じゃあなおさら、僕はそこから逃げちゃいけない。それに、あの『木こりのジャック』に尋ねたいことがあったんだ。ここにいれば、僕はその答えを知ることができるかもしれない」
少年はもう一度少女に伝える。
「だから、僕が一緒にいるよ」
少女は白斑に覆われたジャックの瞳を見返した。その刹那、少年の瞳に奇妙な感覚が起こった。泡立っている。静かで小さいが、確かな泡がはじける感覚が、ぽこぽこと彼の眼窩を打つ。
≪—め≫
やがてささやくような音に変化してゆく。
—今のは?
少年の無言の問いを合図にしたように、少女は勢いよく立ち上がった。木製の椅子が大きな音を立てて倒れる。
「馬鹿言わないで。さっさと出て行きなさい」
唇を引き結んで、黙ってドアの方へ向かおうとするジャックの背に、少女は声をかける。
「そっちじゃない。あんたが出て行くのは—あっち」
「―え?」
彼女が指さしたのは、机の上の東居住区を模した立体映像だった。
「どうしてもというなら、そのまま死んでもいいけど?」
「でも、もう手段がないって」
「どうするの!」
「—行く!」
『庭師』の少年は迷いなく言い放った。少女はその様を少し目を細めて眺めると、少年に忠告した。
「まだ不完全だけど『眼』は起動して、あんたは地獄に戻る。そしてすべてを—このろくでもない世界の成り立ち全部を見ることになる。でも決して忘れちゃだめ。あんたは、この世界でただ一人手に入れたの。このクソみたいな螺旋を終わらせる、もう一つの手段を! 自覚しなさい。あんたが受け取った、その声の正体を!」
≪希望め!≫
眼下に響く泡音が、確かな声を成す。
『再接続』
ちょきん、と深紅の枝切鋏を鳴らす。ずきん、とジャックの眼窩に痛みが走る。
「あんたは一度死んだの。過去と、この部屋のことは忘れて前を向いて歩きなさい」
ジャックの体が、細かなリコリスの花弁へほどけ始めた。彼は散り散りになりつつある腕を少女にのばして言った。
「分かった。じゃあ、最後に名前を教えて」
少女は少し逡巡した後、目をそらして少年に告げた。
「—『赤』」
「また必ず会いに来るよ、『赤』」
その言葉を最後に、ジャックは夕暮れの光射す部屋から完全に姿を消した。
—だから、僕が一緒にいるよ。
うっかりしていた。目の前のこの少年ならば、この部屋からいなくならないのかもしれないと。その言葉に、希望を持ってしまった。彼女がいなくなってからというもの、一回も油断しなかったのに。
元通り一人残された少女は、誰へともなくぼそりとつぶやいた。
「久しぶりに、思い出しちゃったじゃない」
窓からは相も変わらず、夕焼けの赤い光が差し込んでいた。
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『庭師』のジャック(ジャック・ザ・リーパー)は目覚める。
眼球を収めていた眼窩には純白のアネモネが花開いていた。頭上に『イチョウ』が炎を取り戻し始めているのを認めたジャックは、右腕に『ヤドリギ』の種を突き刺すと、一言呟いた。
「さあ、仕切り直しだ」




